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赤錆びた土の上。横たわる獣からゆらゆらと黒い靄がのびていく。子ネコたちは正面に降り立ち、その様子にじっと目を向けていた。
静かなものだ。辺りはこざっぱりとしていて宙に浮いていた機械球はもう見当たらない。ねじれた柱も壊されて、100万匹の神ネコさまたちのいくらかは地面に伏せって休んでいる。
ザリ、と砂を潰す音がした。
よろよろと立ち上がり、たてがみを垂らしながら茶色いマイケルたちを見やるライオンは、元の大きさに戻ってはいるけれど、にらみつける視線は変わらず鋭い。
『もう、終わりだよ……雷雲』
大空ネコさまは宙を歩いて子ネコたちの横に並ぶと、それから少し前にでた。
『何をしたのか、分かっているよね』
そこに重い足音が集まってくる。派閥の神ネコさまたちだ。
『大空さん。あとはワイらがやります。ケジメつけるんは――』
『僕の仕事だよ』
トラは口をつぐんだよ。
『僕が信じた』
言い終えると同時、器から漏れる力によって周囲がゆがみはじめる。大空ネコさまは権能を使う気らしく、威圧感に似た恐ろしい気配が目の前で膨らんでいるのが分かったよ。茶色いマイケルは慌てて辞めさせようとした。そこに、
「お待ち下さい」
声をかけたのは虚空のマイケルだ。大空ネコさまは振り返らずに言う。
『止めないでよネコちゃん。これから先は僕たちの問題だか――』
「いや、勝負の邪魔だと言っているのだ」
バカか、とでも付け足しそうな灼熱の物言いに、みんながぎょっとする。
「さっきのは表の世界でやられた分を返しただけだからな。勝負は1勝1敗、せっかくワシらの流れになったところだ、茶々を入れんでもらおう」
神さまを前に不遜にもほどがある。だけど『は?』『1勝1敗?』『なにを言って』『もうそれどころじゃ』とガヤガヤする様子を見ているとなんだか可笑しくなっちゃって。
「そうだね、続きはレースで決めよう」
ふふっ、と笑って言う。子ネコたちは声を揃えて、「それはいい」とわざとらしくあとに続いた。
『待ちなよ。弱っているとはいえ相手は神だ。こうして引きずり下ろした今、あの細し……集まった神たちの力は期待できないんじゃないかい? 安心しきっているようだし。だとしたら勝ち目はないよ』
『せやで。アンタらには感謝しとる。けどな、こっから先、ワイらとしても誰一匹としてケガさせたくはないんや』
大空ネコさまと大気圧ネコさまが向き直る。いつの間にか戻ってきていた雲ネコさまもそこに混ざった。
『目的は達しただろう。私は大空さんに話を聞いて欲しいと頼んだが、もう聞くまでもないと彼らも分かっている。黒だ。どうしようもなく黒。だから勝負の続きも何も――』
「雷雲ネコさまの罪は何?」
はぁ? と顔がねじ切れそうな声をだすジャガランディ。
『あれだけ攻撃されたんだぞ、見てたろ? そこの獣が来てなきゃオレたち――』
「でもぉ、みんな元気だしぃ」
注目を集めた果実が地核ネコさまを見上げると、神さまたちもつられてそちらに目をやった。その視線に気づいた巨大スナネコは、
『いやはや、年甲斐もなく雷遊びに興じてしまってね』
すっかりきれいになった背中の毛並みを示し『ふぁぁあ』と大きなあくびをして寝転がる。舞いあがる砂埃を嫌ってオオヤマネコたちがぴょんと逃げた。
『だけど……そうだ、君たちだって仲良しの神を飲み込まれたじゃない』
「あの方は小雨の神。みなさんご存知ないようですが、その正体は雷雲の神より分かたれた存在なのです。ゆえに吸収されはしましたが自分自身に戻っただけのこと、かの神たっての希望でもあります。罪にはなりませんよ」
『な、で、でも、だけど今までにも他の神たちを……風ちゃん』
風ネコさまは、茶色いマイケルの頬ヒゲを弾いて遊んでいる。
「それはこれから考えるべきことですよ」
虚空は雷雲ネコさまを遠くに見据えた。
「やり直すすべはあるのだと伺っております。ならば、あとは雷雲の神がどう償っていくか。そしてあなた方がそれとどう向き合うか。きっと、今のあの神なら」
派閥の神ネコさまたちは顔を見合わせている。黒雲の中でのやりとりは子ネコたちしか見ていないからね、不思議がるのも仕方ない。
『でも』
『ええんやないですか?』
それでも断りかけた大空ネコさまに、透明なトラがなだめるように言った。
『それでええと思いますよ』
大気圧ネコさまの周りに集まった、嵐ネコさまや流れネコさまたちは完全に納得しているとは言い難い。けれど、大気圧ネコさまの意図に気づくと『そうしましょう』と少し声を明るくして、バトンをつなぐように『なあ』と『そうだな』をやり取りしていた。
茶色いマイケルは、大空ネコさまの吐いた深い深いため息の音を聞いて、顔をほころばせたよ。
『いいよ、話を聞く約束だったしね。じゃあそのレースの取り決めでもしようか。そのまま勝負するのは流石に無茶があるから多少なりともハンデをつけ――』
『おい、ネコども』
和やかにまとまりかけた場の空気が一転、雷を伴った激しい怒鳴り声が響き渡る。神ネコさま共々、子ネコたちはその場で肩としっぽを跳ね上げた。
ライオンは身をかがめ、ゆっくりと構えをとる。
『レースでなら俺と対等に戦えるとでも思ったか』
緊迫した空気がヒゲを真横にひっぱった。
『いいだろう。後悔させてやる』
サッ、とトラやボブキャットが前にでる。他の神ネコさまたちも子ネコたちとライオンのあいだに身体を入れた。けれど。
『だが、あいにく今は気分が悪くてな、話はあとだ。精々怯えて待っていろ』
ライオンは、紫電のたてがみをパリッと散らし背を向けた。ただ、すぐには歩き出さずにほんの少しだけこちらを向いたんだ。その時見せたたてがみの揺れは、もしかすると目の錯覚だったかも知れない。
『らい……』
呼び止めかけた大空ネコさまの声を振り切るように、黒いライオンは岩の向こうに消えていく。頭は垂れず、背筋を伸ばし、颯爽と、前を向いて。誰も止めはしなかった。
『……じゃあ。そうだな。僕が代わりに約束しよう。きちんと取り決めが行われるまで君たちは安全だ。それでいいかな』
「特等神の約束であれば文句などございません」
堅苦しい虚空のお辞儀にちらほらと笑いがこぼれる。
「大空ネコさまたちはこれからどうするの?」
大空ネコさまは『僕たちもゴールへ』と言いかけて、なにかに気づいたらしくピタリと動きを止めた。耳がピンと立っている。
『僕は、もう少しだけここに残るよ。悪いけど大気圧ちゃんたちも外してくれるかな』
茶色いマイケルは、大空ネコさまの耳の向いた方を見て、それから虚空を見たよ。虚空はうっすらと微笑みながらそっちを見ていた。
「じゃあ先に行こうか、風ネコさま」
『そーだなー』
フードに潜り込んでいた風ネコさまは飛び出すなり、ひゅるんと頭を一周し、そして、
『またなー』
笑ってしまうくらいに小さな声でつぶやいた。大空ネコさまはコクリと頷いた。
ふと背中に、
『そうだ、神世界鏡――』
と野太いボブキャットの声が聞こえて4匹はその場で跳ねた。そういえば自分たちが持ってるって言っちゃったんだ。恐る恐る耳をそばだててみると、
『――は、このまま地核さまに預かっていてもらいましょうか』
みんなもう分かっていたみたい。地核ネコさまも誤魔化す気もないようで、
『いいのかい? 欲しかったんだろう、これが。元々渡そうと思っていたのだけれどね』
なんて言いながら鏡を出して、大空ネコさまに差し出していたよ。あんまりにも軽すぎるから偽物に見えてくる。気が抜けちゃうね。ただ、それに答えた声には胸が締めつけられた。
『僕はただ、楽しかっただけなんだ』
できることならその声にまた、明るい響きが戻りますように。
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