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しーんと静まりかえった路地の中、茶色いマイケルは、大通りに佇む完全武装の鎧ネコから、
『消毒液補充プロセス……完了。残量……92パーセント』
という女性ネコの声を聞いた。それは耳の良いネコにしか聞こえないほど小さな声だ。
『空気圧縮プロセスを開始します』
すると鎧ネコは、胸の辺りをばかみたいに大きく膨らませ、荒く呼吸をはじめた。今の言葉のとおりなら、空気を口から取り込んで、身体の中で圧縮しているのだろう。なんだかごっこ遊びみたいだな、と思わなくもない。
だけどその呼吸の仕方が異様だ。
”荒い呼吸”なんてものじゃなく、今にもはち切れそうな風船をべこべこと何度も潰して潰して、しかもさらに空気を入れようとしているような、「肺は大丈夫だろうか」と目をつむってしまいたくなるほど激しい呼吸だった。ぱきぱきと乾いた音も混じっていて、茶色いマイケルはそれが何の音なのかを考えずにはいられない。
『圧縮プロセス15パーセント……継続。ネコ・サーチ・スキャン……完了。276個体を確認。”広域消毒モード”を解除し、これより”個別消毒モード”へと移行します』
ピー、ガーっと、奇妙な甲高い音が聞こえてきたかと思えば、完全武装のネコが両手を地面につき、四つ足へと姿勢を変えた。
「な、なにを言っ……」
必死に頭を回そうとする茶色いマイケル。そこへ、
「トム! チム! 起きてんならとっととやっちまいな!」
とキャティの怒鳴り声が飛んできた。声は大通りへと直進し、
「うへへへ。やっぱバレちまったなぁ! でもそっち側の”グロちゃん”たち一掃できたんだからいぃぃぃだろぉ↑ キャティ!」
「しっかし俺らの死んだふりで騙せるなんてよぉ、案外ポンコツじゃねぇ? このネコ兵さん」
と相変わらず元気そうな2匹を叩き起こした。
「バカだねぇ、さっき数えてたろう。アンタたちもしっかり頭数に入ってるんだよ。優先順位が低いってだけの話さ。つまり、バカにされてるんだよ!」
「「なぁにぃ↑!! バカにしやがってぇえ!」」
トムとチムは瞬間沸騰し、蒸気でも出ていそうな声を吐きながら、完全武装のネコへと突撃していく。その動きを目で追おうとしたところで、
「おい茶色いマイケルと果実のマイケル。とっとと後ろに下がりな! そんなところにいると巻き込まれるぞ!」
とハチミツさんの声。どこか苛立たしげだ。さらに
「あいつは俺らがやるよ。マイケルチャンたちは出来るだけ離れた方がいい。次の『殺猫剤』は”点”で狙ってくると思うから」
とコハクさんが繋ぐ。2匹はいつの間にか近寄っていたらしく、揃って茶色いマイケルたちの前に歩み出たよ。そこへ、ギィン、ガギィン、と戦いの始まった音が響いた。
「あ、あれって何なのぉ?」
「「……」」
慌てて起き上がりながら質問した果実のマイケルへの返答は、無言。というか躊躇いだった。何かを口にしようとはしているけれど、話してしまっていいものかと迷っている様子。代わりに口を開いたのは、後ろにいたキャティだった。石垣に背中をあずけて休んでいる。
「あれは『ネコソルジャー』。ネコネコ大戦の遺物で、”史上最悪の殺猫兵器”さ。」
「殺猫……兵器? 兵士ネコではないのだろうか」
ぎゅっ、と何かを握りしめる音が、サビネコ兄弟から聞こえた。
「いいところに気付いたねぇ虚空の坊や。アレには確かにネコが乗っている。ただし主体は乗り物のほうにあるんだよ。あの鎧『猫鎧殻』と言ったかね」
「『猫鎧殻』……鎧の形をした乗り物、ということか。しかしだとしたらあの動きは妙ではないだろうかまるで」
「”まるで中身のことを考えていない”だろぉ?」
そう、今マタゴンズの2匹と戦っているネコソルジャーの動きは、身体が柔らかいというだけでは説明ができない。
なにせ、真後ろからの攻撃に対して、右腕を強引に振り回した薙ぎ払い爪攻撃をしたり、身体を後ろ向きに折りたたむようにネコ頭突きをしてみたり、足を真上に蹴り上げてそこからそのまま真横へとねじ曲げてみたりと……身体のつくりを完全に無視した動きだったんだ。
「アレの目的はねぇ、”乗り込んだネコ”を使うことなんだよ。”乗り込んだネコ”にひたすら脳を使わせて、どうやったら敵を効率的に殺せるかだけを演算させ、そうして導き出した答えを”鎧殻”に実践させているのさ。だから腕の骨が折れようが足の骨が折れようがお構いなし。むしろ骨なんて全て砕けてしまって液体にしてしまった方がいいんだろうねぇ。より攻撃の幅が広がるんだからさぁ」
「え……じゃあ操られてるってことぉ? にしては叫び声なんかは聞こえないけどぉ……」
「乗ってすぐに麻酔に浸されるのさ。あとは適宜電流を流され、強制的に脳内麻薬を分泌させられる。すると脳が焼け焦げるまで敵を殺し続ける痛みを知らない兵士ネコの完成だよ」
「しかしそれではいずれ……」
「そう、脳が焦げて絶命するねぇ。骨が無くなっても”鎧殻”で支えられるし、内臓が機能しなくなっても血液と栄養さえ送っていれば脳は動かせる。だけど、脳がやられちまったらもう演算させられない」
「つまり兵ネコは”使い捨て”ということか……」
虚空のマイケルの声は歯を食いしばっていた。虚空宮殿にいた番兵ネコさんたちを思い出しているのかもしれない。だけど、キャティはおもちゃを見る目でネコソルジャーを見ていた。
「ヒィーッヒッヒ! いやいや勘違いしちゃいけないよぉ虚空の坊や! 『痛みを知らない使い捨ての兵士ネコ』。それは確かに敵国からすれば脅威さ。戦闘能力も普通の兵士ネコとは比べ物にならないし、ネコミサイルにも耐えうる『最硬金属ネコハルコン』のボディだってある。数百匹単位で運用されていたことも考慮に入れると、大抵の陸戦兵器は相手にならない。こんな場所でもない限り、アタシらなんて対峙した瞬間にオシマイさ。だけどねぇ、アタシはそれくらいじゃあ『史上最悪の殺猫兵器』なんてご大層な言葉は使わないよぉ?」
「キャティ!」
リーディアさんが言葉を挟む。だけどそこには少し迷いがあるようだった。
”座学”だよ、とキャティは冷たく言う。
「”自衛”のために知識ぐらいは与えておくべきだろう?」
と、ついさっき聞いたような言葉を並べていた。
「アレはねぇ『最後の乗り物』なのさ」
視線が動く。それを追っていると、
「オラァァァア↑ くたばりやがれぇえ!」
トムの声に、ギャァアアンとひと際大きな金属音が重なり、茶色いマイケルは大通りの方へと振り向かされていた。そこにあったのは、べこべこになった金属棒を握りしめているトムとチムの姿。それから、
「あ……」
上下逆さまになった頭から、赤い煙を出しているネコソルジャーの姿。さらには、
「コハク……!」
「うん、兄ちゃん……!」
深く身構えるサビネコ兄弟の背中だった。
「ほぉら。もうそろそろ始まるよ」
『脳細胞の焼滅を確認しました。これより『ネコソルジャー・デス』への移行を開始します』
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