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立ち塞がるように並んだ3つの巨岩。
その左上、音もなく現れたジャガランディは茶色いマイケルたちを見下ろした。
素早く見渡す様は、森で会った時よりもキリッとしていて、短くもすっと伸びた4本の足が揺るぎない。何度か遠くへ目をやってから深いため息をつき、『とは言ってもよ』と視線を戻した。
『今ぁお前らの相手をしているヒマはないんだよなぁ。聞いたんだろ? 集会が始まるんだよ。その見回りしなくちゃなんねぇの。よかったな俺らが忙しくてよ。分かったら、ほら』
しっしっ。アゴを持ち上げあっちへいけと追い払う。その間も時々、鋭く辺りをにらみ回していた。
「大空ネコさまに会わせてほしいんだ」
イタチに似た小ぶりな頭が茶色いマイケルへと向けられ、
『だからよぉ、忙しいって言ってるだろ』
また遠くを見やる。
「大事な話があるんだ。話をさせてほしい」
すると小さな耳がピクリと立った。『まさか』とつぶやき、岩の上に腰を落ちつけ後ろ足でカリカリと耳の裏をかく。器の中ではピュンピュンと小石が忙しなく飛び交っている。
「んー……蒸気。もういっぺんだけ聞いとくがよぉ、お前らはそっちについたってことで、いいんだよなぁ?」
空に向かって問いかける。答えたのはクロヒョウだ。1匹1匹の見分けはつかないけれど、茶色いマイケルの前に出た1匹が蒸気ネコさまなのだろう。ジャガーネコもサッと前に出た。
『分かってねぇなぁ。おまえら揃いも揃って恥ずかしくねぇのかよ……。まぁいい』
間髪入れず猛然と飛びかかってきた。頬を大きく裂いて茶色いマイケルめがけて一直線だ。迫るジャガランディの口には一対の犬歯が鋭く光っていて、その切っ先が目玉にツプッと突き刺さるところを想像して子ネコは震え上がったよ。けれどその牙は、子ネコに突き立つことも肌を引き裂くこともなく、鼻先で向きを変えた。ぐぶ、と泡をふいたような声がした。
右へ、ふっとぶ礫ネコさま。
錆色の土に足先を埋め、地面を引きずりながらもすぐさま姿勢を立て直したところを見ると、ダメージはそれほどでもなかったらしい。
『話にあったチビか』
頭から振り返ってにらみつける。だけど、そこにいたのは驚いた表情の果実のマイケルだった。
「で、できたぁ」
呆けたのはわずかだけ。礫ネコさますぐにアゴを引いて構えなおし、荒々しくひと吠えすると、今度はよそ見をしている果実めがけて襲いかる。気づいた子ネコの顔が焦りに変わる。
ただ、牙が届こうかというタイミングでまた別方向からの攻撃だ。『なにを』という戸惑いに答える声はなく、クロヒョウたちも特に動きはしなかった。
それからは同じことの繰り返しだった。
力押しでなんとかできると思ったのか、ジャガランディは攻撃してきた子ネコに向かって飛びかかり、けれどそのたびに別方向から攻撃されて吹き飛ばされる。
回数を重ねるたびに緊張が形を変えていったよ。一方的に弱っていくジャガランディを見ていられなかった。
「話を、聞いてはいただけませんか」
そう言って虚空が姿勢を正すと、ジャガランディも動きを止めた。あとには荒い息の音だけが残る。
礫ネコさまは子ネコたちを1匹ずつにらみつけ、ためらいがちに、
『仕方ねぇ。だが、なにを話すのか、正直に俺に言え』
と長く息を吐いてまた吸い込んだ。子ネコたちはホッとする。
『取り次ぐのはそれからだ。正直に言えよ? もしオレを騙して別の話でもしてみろ、その時は全力で――』
『ねえ、何してるのかな?』
肩としっぽが飛び跳ねた。
声は上からだ。3つ並んだ岩のうち、真ん中に横たわった一番大きな岩から。
灰色の空の輝きを背にまとい、小さな影はしっぽを不自然なゆるさで揺らしながら遠くを見るように立っていた。顔は下を向いていない。なのに視線は痛いくらいに突き刺さる。
『お、大空さん』
器の中には乱暴に詰めこまれた“空”がある。眺めているだけで落ちてしまいそうな青空だ。
『礫ちゃん、見回りご苦労さま。休んでていいよ、あとはやっとくから』
声をかけられたジャガランディは慌てて背筋を伸ばし、言葉を足そうと口を開いた。けれど大空ネコさまに聞く耳はない。
『ネコがここに何の用?』
茶色いマイケルは首を締めた。
内側から広げられるような感覚だったんだ。なにかが胃や肺の中で膨らんで、口の中がめくれて目玉が飛び出しそう。逃げ出したくなったよ。これからどうなるのか、まさかこのままここで、と暗い予感が視界を閉ざしていく。
その時だ。
『ちょいちょいちょい、待って待って待ってーな大空さん、なに権能使おうとしとるん。これから大事なところやないの』
聞き覚えのある声と抑揚が、大空ネコさまの左の岩にぴょんと飛んで現れた。動きもノリも軽いけれど、その器はトラ。大きな前足がずっしりとして見えるのは錯覚じゃないだろう。透明な中身の向こうの景色は凝縮している。
話によると、あれが大気圧ネコさまだ。
さらに。
『騒がしいと思って来てみれば……ただのネコじゃありませんか。構うことありません、邪魔しないのなら放って置いて……ああ、礫がやられたのか。まったく、いらんケンカを売ったのだろう。ならやはり放って置きましょう』
大気圧ネコさまの後ろからそそくさと歩いてきた嵐ネコさまが忙しそうに言う。フォルムはボブキャット。トラと比べるとずいぶん小さいけれど神ネコよりは大きくて、オセロットやジャガランディと同じくらいの体長だ。丸顔で、しっぽが短く、耳の先に飾り毛がついている。
『どうかしたんすか?』
『厄介ごとか?』
『おや、ネコ。さっさとゴールを目指せと言っておいたのに。まだ残っていたのか』
続いて右側にある尖った岩に登ってきたのは、つむじ風ネコさま、星屑ネコさま、流れネコさまの3匹。全員神ネコフォルムで、器の中にそれぞれの特徴が蠢いている。薄茶色のつむじ風。鈍い色をした隕石。激しく立つ白い波。クラウン・マッターホルンの頂上にいた3匹だ。
まだ来る。3匹と同じ右の大岩の、尖った部分に軽快によじ登り、『あれは……』と苦い声でつぶやくのはオオヤマネコフォルムの霧ネコさま。さらに、
『おーい、何して……ん? 蒸気と小川と林。探してたんだぞ。さっさと上がってきて見回り手伝えよ』
軽い調子で合流したのは、神ネコフォルムの雨雲ネコさま。
青くて巨大な3つの岩の上、大空ネコさまを中心に、横にずらりと並ぶ神ネコさまたち。遠くを見たり、頭を垂れたり、前足を舐めていたり、よじ登っていたりと、前に見た時とは違って整列してはいないものの、逆光を浴びた獣たちは好き勝手する姿さえ凛々しく見える。
そこへ、
『どうされました』
お腹の底でゴロゴロと重たい鉄の玉でも転がしているような声が来た。
『そろそろ始まってしまいますよ』
ニジリ、と岩肌の小石を踏み潰す音がした。中央の岩にトンと現れたライオンは、大空ネコさまの元へたてがみを揺らして歩いていく。そうしてふと顔の前を蚊でも横切ったかのように、『ほお』と茶色いマイケルたちに目を向けた。
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