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「いつ見ても完璧な景色だ」
「どうかすると嫌味にしか聞こえないセリフだが、君が口にするとそうは聞こえないなリットン」
「当たり前だろう、心からそう思っているんだから」
黄昏た雲にほど近い、レガリアネコタワー展望所の最上階。地上1500メートルを高速エレベータで昇ってきたというのに、2匹には呼吸どころか毛の乱れさえなかった。空間大気制御システムは、地上と変わらない快適さで高層からの景色を楽しませてくれる。
マルティンとリットンは観光客ネコの少ない東側の空に歩みを進めた。
足場は透明で屋上の縁には手すりも安全柵もない。リットンは遮るものの見えない空のただ中に平然ともたれ掛かり、ゆるい風に目を細めながらリーベ・レガリアの街並みを見渡した。街の音は届いてこない。
「見てくれよマルティン、この街の流れを。ネコも車も滞りなく目的地を目指している。あの流れに乗りさえすれば、抱いた大望さえすんなりと叶ってしまいそうじゃないか」
マルティンは雲の多い空を見上げながら応えた。
「そうかい? それぞれの動きに合わせてネコAIが制御しているだけだろう」
「制御している“だけ”と言ってしまえるのは、君がこの街に生まれ育ったからだな。よく考えてみたまえ、あれだけ多くのネコがそれぞれに目的をもって歩いているんだぞ? なのに滞りがないのだ。これはすごいことだよ」
「うーむ、しかし……」
「君はこう言いたいんだろう。“所詮は機械に歩かされているだけだ”と。“大望へはネコの意志で歩むべきだ”とね」
マルティンはシルクハットのつばを摘まみ、ズレてもいないのに整えてみせた。
「いいかい? あの信号機一つとっても同じ間隔で切り替わりはしないんだ。ネコたちの動きを観測し予測判断されたタイミングで切り替わる。それを統御とは言わないよ。行動の補助だ」
「補助、ねぇ」
「そう、すべてのシステムがネコの行動補助として機能している。補助。つまりそれは、あくまでネコたちの意志に基づくものだということだ」
リットンは首元のネクタイをキュッと締め直し、空色の瞳を強く見張る。
「ここは統御されただけの街とは明らかに違う。ネコたちの意思が大切にされているよ。意思が街に表れている。街そのものが意思を持って動いているようなものなのさ」
見えない手すりの外側に配置されているのは、意識するだけで思い通りに景色を拡大できる透明なネコディスプレイだ。視線を下げたマルティンが軽く目を凝らすと、それに合わせて眼下の道路の様子が浮かび上がってくる。
往来ではリットンの言うとおり、歩くネコも走る車も、止まることなく絶妙なタイミングで流れていた。信号は故障を疑ってしまうくらい、青色の光のまま変わらない。ネコたちはまっすぐ前を向いたまま揺るぎなく、それぞれの目的地を目指して歩き続けている。
「言われてみれば機械的な退屈さとは一味違うかもね。主役はネコにある」
「そうだろう。自然の中に流れる一瞬の美、それを切り取ったものを芸術作品と呼ぶのならこれは、とめどなく流れる大河のような、自然そのものと言えるのではないかな?」
あごに手を当てて小さくうなずいていたマルティンだが、それを聞くなり弾かれるように顔を上げてリットンに向き直る。大げさに肩を竦めてみせた。
「はっ? この街を自然として見ろと? 所詮はマザーネコAIの計算結果の表れでしか無いのに、この街を大空や雲と同一視するのはさすがになぁ。君もあの巨大な鉄の施設を見たことがあるだろうに」
「表面的なことではないよ。たとえマザーネコAIの計算結果であっても、どんな計算をしたのか私たちにはまったく分からない。計算しようとしても出来ないんだ。つまりアルゴリズムを越えた何かがあるんだよ。それは『計り知れない』と言っていいのではないかね?」
「いくら私たちが分からないからと言え、どこまでいっても計算結果でしかないものを『計り知れない』と言えるものなのか……」
「まったく君というやつは。科学者ネコたちを見習いたまえよ。彼らはロジックを重んじながらもそれを超えたものの存在を頭のどこかに描いている。これは君の好きな演劇にも通じることではないかな? 自国の素晴らしさをもっと知ったほうがいい。というわけで明日は『マザーネコAI記念館』に連れて行ってくれないか」
「却下だ。何度となく連れて行っただろう、案内役の私は元より、大使たちですらすっかりどこに何があるか覚えているぞ。そんな驚きのない場所に連れて行って、もうここには来たくないと思われたらどう責任をとってくれるつもりだね」
「“仕事だから”と言ってやればいい」
「私は君の行いを阻止するためにこの仕事をしている気がしてきたよ」
片眉だけを持ち上げて呆れて見せるマルティンに、「まったくもってお互いさまだ」リットンは腕を組んで顔をしかめた。2匹の笑いは声高に響いたけれど、周りの誰も気に留める様子はない。システムによってプライベートな音は遮断される仕組みになっている。
「それにしても、こうして改めて見てみると他国のネコたちが見事に入り混じっているな」
ネコディスプレイに映し出されているのは交差点。そこにはスーツ姿のネコだけでなく、ドレスや着物、一枚布を巻き付けたスタイルなど、5大同盟各国の伝統的衣装で歩くネコたちが山ほどいる。ポツリポツリ程度ではない。
「地理的にそういう場所だからだよ」
「マルティン、僕は近頃思うんだ。これって至極素晴らしいことなんじゃないかって」
なんだい改まって、と口にしかけたマルティンだったが、街を見つめるリットンの横顔を見て飲み込んだ。
「君も聞いただろう、あの帝国が滅びたって話」
「ああ、ついに最後の血脈が絶たれたと今朝、小さなニュースになっていたね。いまさらどうなろうが広がってしまった大戦は終わらない。どうせ滅びるのならもっと早くにそうしてくれていればよかったものを。……なんてことは口にすべきじゃないかな」
リットンは口元をたわませたまま小さく首を左右に振った。
「あの国が発端であることには変わらない。侵略を続けた挙げ句、内側から崩壊し、その破片どうしがぶつかり合って大火が起こった。周辺諸国はまったくもって迷惑に思ったろうからね。それはここ、星の裏側にいる僕たちにしたって同じことさ」
「ちがいない」
「戦火は時間も場所も越えて近づいてきている」
緊張をはらんだ言葉に、今朝耳にしたばかりの西のゴート・ロマーリアの疑惑が頭をよぎる。なんでも前時代的な戦争風景の中に突如として使われた新兵器、その技術がゴート・ロマーリアから流れていたというのだ。
でまかせか、それとも裏切りか。
この疑惑は、大戦に一切加担しない事を盟約としている5大同盟に、大きな波紋を与えるだろう。それはマルティンの頭にも重い懸念としてのしかかっていた。
「なぁマルティン、世界に排他的な空気が蔓延し、国々が殻を固めてぶつかり合う中、こうして僕たちがくだらないことで真剣に喧嘩をしていられるというのは素晴らしいことだろう。何カ国ものネコたちが往来を闊歩し、うねりを伴いながらも流れているあの光景は本当に素晴らしい」
リットンのいつになく物悲しいその横顔に、マルティンは言葉を探す。
「……リットン、私はメトロ・ガルダボルドの芸術文化がたまらなく好きなのだ」
するとリットンもまた、
「僕はこの街、リーベ・レガリアの最新技術にワクワクするね。しっぽが弾む」
マルティンを真正面に見て微笑み返す。
「うんうん。国という枠組みを越えて好きなものを楽しんでいられるというのは、実に尊いことだ」
しかし、とリットンは声をひそめた。
「いつまでこうしていられるのか、僕は急に不安になってきた」
「らしくないな、何かあったのかい?」
リットンはややあってから静かに首を横に振った。
マルティンは「おや」と心のなかでしっぽをかしげる。
下を見すぎて気分が落ちてしまったのだろうか。やはり高いところなどとんでもない。高所恐怖症の身としてもとっとと帰りたいところだ。リットンが来たいと言わなければ絶対に来ていない場所だしな。マルティンは見えない手すりから身を起こし、
「なぁに、私たちがいる限り大丈夫だとも。共に築き上げてきたものを信じたまえよ」
リットンの肩を叩いた。
「“何があっても私を信じてくれていい”。私も君を信じている」
親友ネコのいつになく真剣な表情にリットンは、ぷっと噴き出し、
「おいおい、それは劇のセリフだな?」
と肩を叩き返して笑いだした。
「おっと、バレてしまったか。興味のないフリをしているくせによく知っている。先日公開されたばかりだぞ」
「お国柄というやつさ。知らなければお偉いネコたちと話が合わないものでね」
ひときわ強く光を放った夕陽をうけて、リットンの顔はいくらか晴れやかなものになっていた。
「しかしそうだな。僕たちに関してはそれでいいのかもしれない。たとえ外の世界がどう荒れようと、君となら」
このとき交わした瞳の輝きは、この先ずっと変わらないのだと、そんなことをどちらも思っていた。
陽が沈み、ネコの目が闇をとらえだしたころ下の道路では、1匹のネコがよろけて転び、信号が赤へと光を変えた。
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