4-41:黒雲キャットケージ

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 ぶ厚く広がった黒い雲が空にフタをすると、無数の『雷蛇』がいきいきとその中を泳ぎまわる。空はひどく荒れていた。

 教練で学んだことなんだけど、稲妻っていうのは秒速にすると約200キロ~10万キロメートルで走るらしい。これじゃあ、たとえ前兆を見つけられたとしても逃れられる動物なんていないよね。

 しかも放電するときに熱せられた空気は、お日さまの表面よりも高い2万7000度以上にまでなるっていうんだから、もし子ネコたちが神世界鏡の欠片を掲げていなければ、雷撃一発でお陀仏ネコだっただろう。

 そんな『雷蛇』うごめく黒雲の中を、風ネコさまはケラケラと笑いながら楽しそうに駆け回っていた。

 風ネコさまが走り、雷蛇がそれを狙い撃つ。

 が、次の瞬間、風ネコさまは雷蛇にからみつくように走っている。

 そこをさらに別の雷蛇が狙い撃つ。

 すると今度はその雷蛇の背に沿って、風ネコさまが走っていく。

 こんな調子だから風ネコさま優勢かと思いきや、次は黒雲が形を変えた。

 小さな黒雲がポツポツと、キャットタワーの足場みたいに、空のあちこちに浮かびだしたんだ。すると雷蛇は足場から足場へと、縦だろうが横だろうが関係なく自由自在に泳ぎまわる。

 気付けば黒雲の中だけに限らず、空全体が風ネコさまを仕留めるための暗い檻になっていた。

 これは避けようがない。

 四方八方から雷蛇に狙い撃ちにされる。

 なのに、当たらない。

 雷蛇がなぜか、風ネコさまに噛みつく寸前になんの前触れもなく、その恐ろしい頭をおもいきり曲げて別の雲へと潜りこむんだ。まるでうっかり忘れ物をしたようにクイッとね。

 そんな事があちこちで、しかも瞬間瞬間に繰り広げられていた。

 恐ろしい光景さ。

 青から紫、紫から赤へと脳が痙攣しそうな速さで色味を変える暗い檻の中は、いっそわざとらしい舞台背景みたいだけど、それでいて幻想的だった。この世の終わりってこういう光景のことを言うのかもしれない。

 そんなところにさ、茶色いマイケルたちも閉じ込められていたんだ。

 隅っこの方にね。

「芯だ! 芯を使え! この『風の獣』を乗りこなして動きまくらんと死ぬぞ!」

「ムリムリムリムリぃ! 動かし方が分からないってばぁ!」

「果実、四つ足ネコダッシュだよ! しっぽを振って芯を揺らし続けてみて! なんか身体が『風の獣』にとろけていく感じがするから」

 茶色いマイケルたちはMサイズの風ネコさま――『風の獣』を操り、雷から逃げ回っていた。幸い、風ネコさま周辺と比べると、このあたりは挨拶程度の雷しかない。雷雲ネコさまもこっちにまで構っていられないんだろう。ま、その挨拶でも手一杯なんだけど。

「いや下手に制御してしまえば動きが鈍る。果実のマイケルはそのまま訳の分からない動きをしていた方がいい!」

「目がまわるってぇ!」

「ええい仕方のないやつだワシにつかまっておれ!」

 灼熱のマイケルの乗った『風の獣』が、じたばたと奇妙な動きをしていた果実のマイケルを捕まえ、その背に乗せた。

「は、吐きそぉう」

「安全ネコダッシュなどしていられるものか! どうする、このままいっそ外へ逃げ出すか!?」

 会話は頭の中に直接。

「だけど欠片が! 一つは谷底に落っこちちゃったし、半分になった方は雷雲ネコさまが持ってるから」

「俺たちの手元にある欠片は5つ半か。7つ喪失した状態で『神世界鏡』の修復には2000年かかるといっておられたから、5つ半だと1570年ほど縮まって……」

 虚空のマイケルは風ネコさまを注意深く目で追いながらも、「430年待てば修復が終わる」と計算してくれた。

 とはいえ、雷雲ネコさまと風ネコさまが戦いはじめた今、もういくらも待っていられない。他の神さまたちがこの騒ぎに気付けばすぐにでも大戦が始まっちゃうかもしれないんだ。何百年どころか一分一秒が惜しいよ。

「谷底に落ちた欠片は拾いに行けばいいけどぉ、問題は雷雲ネコさまの持ってる半分の欠片だよねぇ」

 いくらか落ち着いたらしい果実のマイケルが話を進めようとして、4匹がうーんと頭を抱えたその時だ、

『なー、そろそろ飽きてきたんだけどよー』

 と風ネコさまの気の抜けるような声が頭の中に割って入ってきた。お昼寝寸前の子ネコのあくびみたいな声だ。

『いつになったらあいつ吹っ飛ばすんだー? とっとと吹き飛ばせよー。そしたら欠片でもなんでも、あいつからぶん捕りゃいじゃねーかー』

 催促だった。

 いやしかし、と遠慮がちに応えたのは灼熱のマイケルだ。

「風ネコ様のおかげでどうにか細かな雷を避けることは出来とりますが、あそこに近づくには……」

 と雷雲ネコさまの方を見上げる。空にフタをした黒雲に負けず劣らず、獣の器の中ではひっきりなしに雷蛇が泳ぎ回っているんだ。こわすぎ。

 すると、

『ふーん、お前らじゃあいつを吹っ飛ばせないってことか』

 声色が変わった。

 急激に下がった声の温度に、茶色いマイケルは一瞬芯を見失ってしまう。ちょっとやそっとの動揺じゃそうならないよう訓練を重ねてきたはずだったのに。

 慌てて言葉を探したよ。

 だって下手なことを言えば風の獣を取り上げられるかもしれない。そうなると逃げることも空を浮いていることもできず、本当にどうしようもなくなるんだからね。風ネコさまがやれって言うのなら一か八か、ううん、万が一ほどの可能性が無くっても、やるしかない。なんて子ネコに厳しい世界なんだ。世知辛い。

 重圧でのどが勝手にゴロゴロ鳴りはじめる。そんな中、

「みんな、少しいいか」

 と子ネコが呼びかけた。その声はひどく落ち着いていて、生真面目だ。

「俺に一つ考えがある。あわよくば一矢報いるくらいは出来るだろう」

 ふと見た口元には、ほのかに笑みが浮かんでいるように思えた。

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