(80)7ー14:『アラート:残存ネコ14%……ネコ補給プロセス開始します』

***

 まだらに漂う赤い霧。

 何千というネコ救世軍の只中で、蜘蛛のような躯体がギッと金属音を軋ませる。向いた先は宙に浮かんだ茶色いマイケルだ。真赤を浴びた殺猫兵器は、六本のネコ牛刀をしっぽのように漂わす。投げ縄でもするように。

 さっき、ボクの名前を呼んだよね……?

 困惑する茶色いマイケル。そこに虚空のマイケルが声を歪(ひず)ませた。

「もたつくな茶色、君は前だ! 神様方には悪いが多少食いつかれる覚悟で進んでもらう!」

『『ちゃいろはやくはやくー!』』

 2匹のコドコドたちがぴょんと跳びはねた。

 そうだ、逃げるなら今。

 『ニャオーン大合唱』もいつまた再開されるかわからない。茶色いマイケルは小さな神ネコさまたちのしっぽに招かれるようにして、出口の方へと芯を傾け速度を上げた。

 すると高速で氷を削る音がしはじめた。なんだ、と顔半分で振り返ると、

『アラート:残存ネコ14%……ネコ補給プロセス開始します』 

 ネコソルジャー・デスが目の前にいたネコ救世軍の1匹を、頭、胴体、両腕、腰、両足、尻尾の部位に一瞬で切り分けて、赤い汁が飛び散るよりも先に取り込んだ。鎧の胴体部分をバガッ、と大きな口のように開けてガブッと食らいついたんだ。

 それを硬い音をさせながらゴリゴリゴリゴリ砕き、かき混ぜているらしい。次第に音が滑らかになっていき……どくん。喉を通り抜ける食べ物の音がした。

『『ネコ牛刀』……多重展開。高速使用モード発動』

 ネコの手だ。巨大なネコの手が高速で手招きするようにネコ救世軍を狩りながら、茶色いマイケルを追ってきている。ネコ牛刀が爪のように地面に突き刺さり、引っ掻いて引っ掻いて追ってくる!

『殺猫剤再充填……完了。散布開始します』

「ひぃっ!」

『いちいち気にしてんじゃねぇ! 前だけ向いて走りやがれ!』

 背後から聞こえるガスの噴出音。雪崩ネコさまの声にお尻を叩かれた茶色いマイケルは、オセロットを背負ったまま、近くにいた小さな神ネコさまたちをひったくるように抱きかかえてがむしゃらに前へ前へ飛んでった。

 下では白服のネコ軍団が蠢いている。投げつけられるミニメカネコが足やしっぽに噛みついて痛いけれど、もうそれどころじゃない。それくらいならまだマシだ。

 腕の中の小さな神ネコさまたちもそれをわかってか、多少うめき声はあげても文句は言わない。『ん……』『みゃ……』と押し殺した声に心は痛むがあと少し。出口まではもう100メートルはとっくに切ってい――。

「右ぃっ!」

 とっさに声に従った。右から来たのか右に避けろと言われたのかは避けてから考えた。考えてゾッとした。茶色いマイケルの左側スレスレを高速でネコ牛刀の刃先が飛んで行ったんだ。刃は20メートルほど先の空中でドロドロに溶けてビシャリと下に落ちた。液を浴びたネコ救世軍の数匹から悲鳴と煙が上がる。吐き気はギリギリで堪えられた。

 もう少し。

「ぬっ、こやつっ!」

 さっきよりも声が遠のいた。そこへ、

 ニャォォォォォォォォォン!

 歓声は下からだ。「よしっ」と威勢のいい声。

「ば、バカじゃぁないのぉ!?」

「ワシにもできた」

 な、何が起きてるの!?

「こっちは無事だ振り返るな!」

 振り返ろうとして止められた。声はどんどん遠ざかる。

 繰り返される歓声と子ネコたちの明るい声。大丈夫ではあるんだろう。狙われているのはきっと茶色いマイケルだけなんだから。何が起こっているのか気になって仕方ない。だけどもう少し、もう少しで出口に着くんだ。

 あと少しだけ。

 超巨大スラブの端にたどり着いたなら、あとほんの少しで景色が――

 あ、明るく――

 視界がくわっと広がり開放感に包まれた。

 上下左右前方と、遮るもののない宙に放り出された茶色いマイケルを、優しい風が迎え入れる。

 むせ返るほどの赤い霧は洗い落とされ、思い切り息を吸っても生臭さのひとつもない。

 そこには広大な湖があった。

 スラブのてっぺん、100メートル以上の高さから見ているのに、視界いっぱいギリギリにおさまるくらいの広い湖。形はゆるい楕円形で、表面にはうっすらと『金属の霧』が漂っている。

 『黒い靄』の流れもはっきり見えた。

 黒い靄は、子ネコの真下、超巨大スラブの崖に沿って蛇行しながら細く長く下っている。それをずうっと下までたどっていくと湖の中へと入っていった。つまりあれが出口だ。湖の中に入ればいい。それはわかる。

『おー、あったなーあれだぞー。あれに飛び込めば次のトコだー』

 腕の中から顔を出した風ネコさまが言うと茶色いマイケルはしぶしぶ進行方向を下にとったよ。風を受けながら降下していく。だけど思わず「うっ」と顔を引いてしまい、速度が鈍くなる。

「でもアレって……」

 進めば進むほどぐぐぐっとブレーキがかかっていき、ついには後ろから迫ってきていた神ネコさまたちとぶつかりそうになっちゃった。慌てて避けて前に出た雪崩ネコさまはすれ違いざまに、

『なんだなんだ茶色のォ!? 急に立ち止まってんじゃねーぞー危うくぶっ込むトコだったじゃねーか、ああァ!?』

 とチンピラネコみたいに睨んできた。そのすぐあとで、

「どうしたのぉ!? 早く行かないとぉアレついて来ちゃうってばぁ!」

 今度は果実のマイケルが右隣に並んでぐいと背中を押してくる。だけど……。

 その湖は、霧と同じく金属の色をしていたんだ。

 水銀みたいにギラついて、パッと見たところ硬そうなのに、風が湖面を撫でればさらっと波がたち、ふるふる揺れる。『宝石の海』でも地面に頭から突っ込んだことはあった。だけど……

 身体にわるそう。

 もし口にでも入ればヒドイ病気にかかってしまいそうだなって、身体が全力で拒否していたんだ。背中を押す果実のマイケルにも抗って、どんとん落下速度が落ちてくる。と、そこへ、

『ためらわなくていい。あれが正式な通り道だ』

 樹木ネコさまが子ネコの左隣に並んだ。すっと鼻筋の通った凛々しい横顔。木目のジャガーはまっすぐ『金属の湖』を見ながらこう言った。

『リーディアも試しに入ってみたがどうということはなかったと聞いた』

「リーディアさんが?」

『ああ。だから安心して進め』

 樹木ネコさまは茶色いマイケルの肩に頭をトンと押しつけた。それから来た道の方へと振り返る。

『ただ、申し訳ないが我々はここまでだ。最後まで送っていきたかったが急ぎ戻らねばいかんようだ』

 どうにも気が急いて仕方がない、と笑ったよ。戦場の方からはまだ雷鳴やネコたちの雄叫びが聞こえてきていた。

 果実のマイケルは茶色いマイケルの腕をがっしりと強くつかみ、

「正直オイラもさぁ、あの湖の中に入るのキモキモだけどぉ、リーディアさんが大丈夫って言ったんなら平気でしょ? さ、行こう!」

 と強引に引っ張る。

『では会えたらまた会おう! おい泡、月明かり、健在だな?』

『『はい』』

 木目のジャガーのすぐ後ろ(上)にいた2匹のチーターの声は弱々しい。ずいぶんとミニメカネコに弱らされたみたいだ。ただ戦意が衰えている様子はなかった。3匹はそれ以上口を開くことなく岩肌を垂直に駆け上がり、あっという間に頂上までたどり着くと、脇目もふらずに戦場の方へと折れて行ってしまった。

 後ろ姿を見送って上を見ていた茶色いマイケル。果実のマイケルは、

「さぁ、行こう茶色ぉ」

 湖の方を向いたまま腕を引っ張った。

 だから、「そうだね、足を止めてゴメン」と、まばたきを一つしたんだ。その刹那だった。目頭にチカッと静電気みたいなものが走って、慌てて目を見開いた。すると赤黒い刃物の切っ先が突きつけられていた。ねばっとした赤い雫がぽたりと眉間に垂れおちる。

 ――ネコ牛刀。

 声に出す余裕はない。1秒遅れで子ネコは跳ねた。しびれ薬でも打ち込まれたみたいにビクぅっと全身を震わせる。視線の先だ。真っ赤に濡れた殺猫兵器ネコソルジャー・デスが、半身を乗り出しこっちを見ていた。降りてこようとしている!

 茶色いマイケルは口を噤んだまま言葉にならない声をあげ、果実のマイケルの首をつかんで急降下。何が起こったか見ていない果実は困惑する。「ぐえー」と白目をむいても仕方ない。気にしてる場合じゃない。早く、はやくはやく!

 ただ、後ろ向きのまま急降下する茶色いマイケルの視線の先、こちらを見つめるネコソルジャー・デスはそれ以上子ネコたちを追ってはこなかった。

 機械の足にネコ救世軍がとりすがっていたのも一因だ。身をよじって振り払おうとしていたけれど寄って集(たか)ってしがみつかれていたから身動きしづらかったのかもしれない。

 わずかな時間。

 体中を真っ赤に染めたネコソルジャー・デスは、じっと、降下する子ネコを見つめていたように見えた。そして、

 ピー ガー

『ターゲットネコ:個体名『茶色いマイケル』……安全圏突入。これより大規模殲滅戦闘に回帰します』

 とても小さな声だった。

***

 『金属の湖』に飛びこむ直前、風ネコさまがこんなことを言った。

『そーそー、先に言っとくけどよー、あの向こう、ちょーヤベーのいるからあんま音立てるなよー?』

 とぷんっ。

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