♣♣♣
マルティンがその一報を受けたのは深夜2時前、自宅の寝室でのことだった。
毛玉飾りのついたナイトキャップを鷲づかみにして、
「ばかなっ!!」
と外務省の上役に食ってかかる。宙に浮かんだホログラムネコデバイスは微光を放ち、目の奥にわずかな痛みを突き刺した。
「メトロ・ガルダボルドに敵対意思アリですって!? そんな話を誰が信じると言うのですか冗談にしては笑えませんよ!」
『落ち着きたまえマルティン。敵対意思ではなく、敵対行動があったのだ』
姿は映らない。音声のみである。
「フォス事務次官、それこそ冗談だ。落ち着いて思い出してください、攻撃してきたのは」
『メトロ・ガルダボルド軍だ。指揮官の名前もはっきりしている。断じてどこかのテロネコ組織ではないのだよ』
言葉を失うマルティン。しかし自らの頬を張って気を引き締めると、フォスに任された外交ルートを使っての『意思確認』に取り掛かる。すなわち秘匿通信によるリットンとの事実確認だ。
『軍がリーベに攻撃!? そんな話伝わってきていないぞ!』
煮えきらない想いを抱えながらも、つとめて冷静に伝えたつもりだったがリットンの声は怒っていた。侮辱と取られても仕方のない発言だというのはマルティンにもわかる。しかし重要な仕事だ。今後のためにも詳細を詰めておかなければならない。
「わかっている! だからこそだリットン、今裏を取らなければならない」
リットンは吐き出しかけた息をのどを鳴らして飲み込み、メトロ・ガルダボルドの軍部と首脳陣の動きを調査し伝えることを約束した。
『しかしどう裏を取る。そうだ、マザーネコAIの判断は?』
マザーネコAIは通常、入力された事柄に対し計算結果を示すだけである。質問には応えても、具体的な行動は起こさない。それはネコの役割だ。
しかし災害などの異常事態では、より高度な判断を迅速に下す必要があるため、即座に対策をたてて実行する権限を与えられていた。これが戦時下でどのように働くかは、全くお粗末なことに、未知数なのである。
「事が事だ、解析行為そのものを差し止めている。有事と判断されればその時点で即開戦となりかねないからな。それは避けなければ」
『だとしたら』
「メトロ・ガルダボルド側でマザーネコAIを走らせる」
ホログラムの向こうから息の詰まる音が聞こえた。
『正気かっ、マルティン!?』
「正気だとも。メトロ・ガルダボルド国内で使用されているネコAIはすべて、マザーネコAIの下位互換だ。ならば蓄積された稼働データがあるはず。マザーネコAIを送り込み、全土のデータを収集させれば、時間をかけることなくあらゆる周辺情報を精査できるのだ」
膨大なデータと神のごとき演算器があれば、気温の変化一つからネコたちの動きを詳細に浮かび上がらせることさえできる。
「そうすれば、『企てはなかった』という“悪魔ネコの証明”でさえ短時間で終わる。万が一企てが事実だったとしても、一部の暴走だという証拠を突き止められるはず」
しかしリットンの懸念は別のところにあった。
『それはそれでもちろん有り難いがそうじゃないマルティン! 僕が言っているのはいくら短時間とはいえ自国の最重要機密を、他国の、しかも攻撃を仕掛けたかもしれない国に放とうとしていることだ! マザーネコAIが奪われないと誰が言える? 断片的な劣化コピーをとられるだけでもリーベ・レガリアにとっては相当な痛手になるぞ! もしも戦端が開かれてしまえば先鋭技術どうしの打ち合いになりかねん、そうなれば泥沼だ!』
「大丈夫だ。君になら預けられる」
リットンの声がうっと詰まる。
「私たちならば大丈夫、そうだろう?」
マルティンはマザーネコAIのアクセス権限を暗号化して渡した。2匹にしかわからないよう、その場限りのインスタントコードを用いて。
マルティンが国の最重要機密であるマザーネコAIのアクセス権限をリットンに預けたのにはわけがある。
もしもマルティンがマザーネコAIを使って情報収集を行えば、スパイ行為としてリーベ・レガリア側が一方的に責められることになるだろう。
だが、リットン自身がマザーネコAIを使うのならば、自国内の情報を集めるという形を取ることができた。この方法であれば、“国の情報を相手に渡す”という意味では、両国ともに否が生まれるのだ。
2匹の行動は外交上の危険をいくつも孕んではいるものの、しかし事がうまく運べば最悪でも互いの首一つで平穏が保たれる、最良の策であった。
通話を終えたマルティンは、陰干しをはじめたばかりのスーツをハンガーからひったくり、
「頼んだぞ、リットン」
と、なかなか留まらないボタンに指先を震わせながら口元を固く絞った。
♣♣♣
『食料プラント、ネコメタル精製施設、流体ネコチップ加工工場、流通ネコ機構……』
読み上げられる施設はすべて、上位アクセス権限がなければその所在地さえ知りようのない施設ばかりだった。
「幸いというべきか、我が国の根幹に関わるアクセスレベル1の機密施設は無事のようだが……マルティン」
身体の強張りは隠せたものの、ヒゲの跳ねるのだけはどうしても抑えきれなかった。マルティンは瞳に宿した力をどうにかとどめたまま、フォスと向き合う。
「君はどう考える」
外務省に急設された特別対策室である。中央の巨大ホログラムモニターに映るのはリーベ・レガリアの広域立体地図で、そこには参事官程度では知りようのない地下施設や軍事防衛施設までもが記されている。
四方の壁に映し出された情報モニターに向かって座るのは、130匹からなる情報局の専門局員ネコたちで、各部署から送られてくる情報を一つ一つ精査しているらしかった。
外交官ネコには場違いな場所だ。しかし、ここに呼ばれたのには当然理由があり、それはホログラムモニターに拡大されたリアルタイム映像にはっきりと映っている。
マルティンは上司ネコの質問に口ごもることなく答えた。
「アクセスレベル2、すなわち私たち外交官ネコの情報収集用に付与された、マザーネコAIのアクセス権限を、攻撃者側が手に入れたと見て間違いはありません」
「そう、それはつまり君がメトロ」
「お言葉ですがフォス事務次官、それは早計です! このレベルの権限であれば我々外交官ネコの他にも、万をくだらないネコたちに付与されております」
「しかしだマルティン。メトロ・ガルダボルドの軍猫による攻撃があったあとで、しかも君がアクセス権限をその国の外交官ネコに貸与して間もないこのタイミングでは、そうと思わざるを得ないだろう」
「だからこそです。何者かがこうなるように、私たちがメトロ・ガルダボルドを敵視するように仕向けていると考えるべきです」
「そう思いたい気持ちはわかる」
「思いたいだけではありません! 私には確信があるのです!」
その威勢にフォス事務次官の大きな顔がしわばむ。
「では相手方のリットン外交官と連絡が取れなくなったのはどう説明するつもりだね」
「……っ。きっと、何かに手間取って」
「この非常時に、相手国の機密を握ったまま連絡もよこさず、何に手間取っていると?」
のどの奥から言葉を引き出せないもどかしさ。マルティンは灰色の毛を震わせる。
何をもたもたしているんだ、リットン……!
「フォス事務次官、秘匿通信でマルティン参事官に連絡が」
「繋いでくれっ!」
噛みつくように、いや、すがりつくようにマルティンが叫ぶ。フォスは情報局員ネコに向かってしかめた面でうなづいた。
頼むぞ……!
皆に疑惑を晴らしてやってくれという思いでその場に繋がれた音声は、
『外交ルートの確保感謝する。しかしこちらの提示できる証拠は何もない。情報を精査するので今しばらくお待ちいただきたい』
リットンのものではなかった。
「リットン外交官は! 彼は今どうしているのだ!」
「おいマルティン」
『申し訳ないが私もつい先程連れてこられたばかりで、先役の所在や状況については把握していないのだ。今後それらも含めて精査し……』
くそっ、真偽が見えてこない……!
平坦に語られる相手方の言葉に、真意のわかる耳を切に欲した。これまでは疑う必要がなかったのだから仕方ない。
通信が終了したあと、マルティンはフォスに懇願した。マザーネコAIを稼働させてしまえば、もう2国間だけの話ではなくなってくる。5大同盟を巻き込んだ国際問題へと発展するのだ。だから、どうか、今しばらくは様子を見てほしいと。
退出を命じられたが食い下がり、下役たちの視線に突き刺されながらもその場にとどまった。
そして5時間後、リーベ・レガリアの中心市街地が燃えた。
コメント投稿