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『ネコネコ大戦』
それは歴史の教科書において、まるで一人称のボクやワタシのようにほとんどのページに出てくる単語。それだけ深くネコたちと関わりがあり、長く続いた争いというわけだ。
早朝トレーニングを終えた私は、寮の自室に戻り、メロウ・ハートネコ図書館で集めた資料のコピーを低いテーブルの上に並べていた。けれどすぐにはみ出してしまうことに気づき、机を端に立ててカーペットに直接並べることにした。
私の通っていた子ネコ学校では、大戦は『前期・中期・後期』の3つに分けられていたけれど、資料によってはもう一つ、『最初期』を重要視する見方がある。
『最初期』は世界全土に覇を唱えた砂漠の帝国から広まった。
「きっかけは何かしら。ああこれね。隷属させられていた『パンガー』と呼ばれる輝く白毛を持つネコたちの逃走事件。えっ、逃げただけ? それだけで争いの火種に?」
さらに資料を読み解けば理由は判明する。パンガーは『財産』だ。帝国はパンガーを一括管理するという建前で他国を侵略し、白毛ネコたちを一所(ひとところ)に隔離していた。その財産が逃亡したことで、もともとあった不満や恨みが燻り始め、属領となった国々の独立心に火をつけることとなる。
「って、結局どの国も白毛ネコたちのことは財産としてしか考えていなかったのね……。今みたいに猫権という概念がなかったのかしら。ううん、差別が当たり前とされていただけかも。共同幻想みたいなものよね。いや、ちがう? このネコたちはうまく逃げ切れたのかしら」
パンガーと呼ばれたネコたちについてはその後どこへ行ったのかを示す資料はなかった。ただし、どこかで捕まったという資料もない。
白毛と聞いて、ふとカルティアさんの美しい毛が頭に浮かぶ。たしか彼女は祖父母の代に、そう遠くない雪の街から移住してきたという話だった。
私はクスッと笑ってから、再び資料に目を落とす。
「最初期の戦争は剣や槍を使ったひどく原始的なものだった、か。これが『サンド・アグリッシアの没落』ね」
『最初期』の資料とメモとをひとまとめに整理して端に置き、大戦『初期』へと頭を切り替える。ここから戦争のあり方が一変した。
「えっ『ネコAI』『無猫機』『電磁パルス攻撃』? 中核都市部の壊滅!?」
概要はこうだ。
強固な同盟関係を築いていた『5大同盟』。メトロ・ガルダボルドと共にその中心的な役割を果たしたという技術大国が突然、裏切りに踏み切ったのだとか。
「なんで? 平和そうじゃない。十分に豊かな暮らしだと思うけど……」
資料を見れば『大規模カリカリプラント』や『都市統括移動ネコシステム』『超高度ネコ医療福祉制度』など、メロウ・ハートに住む私から見ても豊かな暮らしぶりだったことがわかる。その上他国に侵略してまで得たいものがあったというのか。
「ある外交官ネコの背信行為が原因だった……? 1匹の行動や思惑だけで何もかも変わるかしら。その後ろよ。他の同盟国やそれ以外の国で何かしら画策されていたに違いないわ!」
そうは言っても確証は得られなかった。なぜなら『マザーネコAI』をはじめとする、現代ですら手の届かないテクノロジーによって、ごく短期間のうちに各都市部は崩壊していたのだ。
この『リーベ・レガリアの背信』を境に、戦争と殺猫の技術は一気に跳ね上がり、それに応じて戦火の広がりも加速した。
『中期』は『地方都市』の戦いだった。
中核都市を見限った地方都市が、わずかな物資や食料を巡って、他の地方都市に侵略を仕掛け奪い合いが横行したという。
「そんなもの、協力してみんなで作ればいいじゃない」
けれどそう簡単な話ではない。大戦の始まりから続く、国レベルでの『脱走』や『裏切り』。それは一般のネコたちにも知れ渡っているのである。特に同盟の分裂は深く印象に刻まれていたようで、リーベ・レガリアといえば裏切りの代名詞となっていた。
裏切り。
目の前にいる相手への拭えない不信感が、笑顔の下を疑わせるのだ。
「そうよね……初期に起こった大規模な争いで『怨み』が飛び火しているもの。いつ自分たちがその火にまかれるか分かったものじゃない。銃声を身近に感じていた当時のネコたちが怯えないはずがない、か」
協力すれば暮らしが良くなることはみんな分かっていた。「力を合わせよう」と手を取り合った地方都市もあったようだ。
その上で歴史はネコたちに残酷な対立を選ばせた。
『中期』において、もっとも注目すべきは『命の価値の暴落』だ。
情勢不安により生殖本能が刺激され、ネコたちは多産化。猫口は爆発的に増えた。それによって猫手不足は解消されたけれど、地方都市では抱えられる匹数に限度がある。つまりは養いきれなかったのだ。
あぶれた子ネコたちは、様々な形で使われるようになった。
はじめはちょっとした八つ当たりから始まったのかもしれない。けれど、一度目を閉じて、もう一度開けてみると、そこには数え切れない残虐行為が横行していた。
ストレスの発散、慰み者として、争いのはけ口、さらには刺激を求めた遊具感覚で……。
成ネコたちは、かつて自分が子ネコだったということすら忘れ、子ネコの尊厳を踏みにじった。
私は、『永久の暴落』と題された分厚い論文を読みながら感じていた。その長い長い戦いの中で、ネコたちの心から大事なものが抜けていくのを。いつの間にかこぼれていた涙と共に。
そして『後期』。
疲弊しきった世界に唯一、勢力を保って残っていたのは、かつて戦火を拡大させた技術大国リーベ・レガリアだった。
マザーネコAIを失っても、受け継がれた技術とその軍事転用は他国にとって驚異でしかなかった。結局、メトロ・ガルダボルド以外の隣国を滅ぼしたこの国が、大戦を集結させるものと誰もが思っていたという。
「ここに投入されたのがこの兵器……」
握った古い科学雑誌には『キャティ・グレース』のインタビュー記事が特集されていた。
彼女は、あの『空と大地のつなぎ目の部屋』を検証するために数々のネコを実験動物として使い潰した、稀代のマッドサイエンティストだ。
この雑誌の写真は悪名を馳せる前のものらしく、昔、彼女を題材とした演劇をしたときに参考にした資料とは雰囲気がまるで違う。
娘ネコと共に並んで立っている姿は、歳の離れた姉妹のようで、浮かべた笑顔には胸の痛くなるような優しさがあった。こんな女性ネコが戦後最悪の事件を? と疑いたくなる。
その長毛白猫が、大戦の兵器についてこう答えている。これは真に正しく『史上最悪の殺猫兵器』だと。
メトロ・ガルダボルドの技術者たちが、自国を占領していたリーベ・レガリア軍の目を盗んで作り上げた殺猫兵器。『恨みの塊』であるとキャティは比喩する。
いやに詳しく書かれたその内容に、私は何度も唾を飲みこんだ。
「すべては繋がっているんだわ……」
『暴落した命』が行き場を求めて彷徨い、その鎧の中に入っていくところを想像して、思わず手をのばす。
――ダメよ、その先にあなたたちの安らげる場所なんてないの。
けれど『ピサト』と呼ばれたネコたちは、わずかに振り返ってこう言う。
――じゃあどこに行けばよかったの?
『ネコソルジャー・デス』
その兵器によってメトロ・ガルダボルドはリーベ・レガリアの占領から抜け出し、さらには拮抗し、やがて講和をつかみとる。それに習うように世界中の国や地方都市もまた終戦を宣言し、大戦は終わりを迎えることとなった。
しかし、当時の5大同盟の国々は今現在一つも残ってはいない。
その『恨みの塊』に押し潰されてしまったのだ。
「これが『メトロ・ガルダボルドの報い』……どれも凄惨ね」
重ねた資料の束は、思ったほど厚くはない。それでもその中に、たくさんの死が詰まっているかと思うと、端に避ける手に、果てしない重さを感じずにはいられなかった。
大戦により国土は焼けただれた。汚染もひどかったという。
なにより『中期』に蝕まれたネコたちの心が問題だった。価値観の衰退ほど酷なものはないと口元を引き結ぶ。
ずっと爆音を聞かされ続けているようなものだ。拷問だ。心がやせ細り、瞳から光が消えるのも無理はない。
「けれど」
私は未だ整理されていない資料の山を見る。
「けれどネコたちは、そこから見事に立ち直った」
この先何年も作物は育てられないだろうという土地に、何か特別な力にでも導かれるように種を植えた。辛抱強く大地を育てた。
そして、空に青さを、大地に潤いを、瞳には光を。ネコたちは取り戻してきた。その一つの証拠としてこの芸術都市があり、また、私という存在がある。
「そういうこと、よね」
私は絵本のコピーの束を手に取った。
「このリーディアという主役の女性ネコは、ネコたちの歩みを擬猫化したものなんだわ。厄災に追われ、失ってもまた新たに種をまいた、つまり、猫種そのものの擬猫化」
壮大だ。そして、つよい。
ただ強いだけとは違う。
まだはっきりと掴めてはいないけれど、心のなかで『あの雲』がもくもくと形を変えていくのを感じた。
すべてを注ごう。
猫種そのもののつよさ。相手にとって不足はない。
明け方の光が、カーテンの隙間から漏れている。私は大量の書籍やコピーの隙間を軽く飛び越え洗面所へ行くと、ボールペンと鉛筆とで真っ黒になった手を洗い、それから頬も真っ黒になっていたことに気づいて顔をすすいだ。
再び鏡に写った見慣れたネコの顔。薄水色の瞳はキラキラとした決意を湛えている。
待ってなさい雲。
きっとその形を変えてみせるわ!
◆◆◆
「ではまずカルティア。手本を見せてやれ。ここで決めてしまっても構わないがな」
いくらかの手直しを経て戯曲は完成し、脚本と台本が刷り上がると、オーディションが開かれた。
当然ながらこの選考会にはカルティアさんを始めとした第一線級の役者ネコたちがでてくる。
脇役一つにしてもベテランネコ揃い。もと主役級の先輩ネコたちがしのぎを削っている。優秀な後輩も上がってきた。
ここは芸術都市メロウ・ハート。
べっこう猫ともてはやされたのは私たちだけではない。
ここから先は、本物の宝石ネコたちが相手なのだ。
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