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『このレースは星の力の発散なんだ』
すっと背筋を伸ばしたオセロットが、茶色いマイケルを見据えてそう言った。
「星の力の、発散」
膝を抱えて座っている子ネコは、ただ口元でその音を繰り返す。その意味が頭の中にじわじわ染み込んでくると、やがてまん丸い惑星の形が思い浮かんだ。オセロットは『そうだ』と確かめるようにうなずいた。
『星は常に、その中心部で大きな力を生み続けている。その多くは星の生命活動に使われるのだが、それでも余った力は『芯』の中に溜められていくんだ。しかし、よほど激しく活動しない限り、力は溜まっていくばかりになる。では溜まりに溜まった膨大な力がどうなるか、分かるか?』
「空気を入れすぎたボールと同じだな。いずれ抑える力を上回り、弾けてしまうだろう」
樹洞の暗がり、右を見れば壁から背を浮かせた灼熱のマイケルが、拳をぱっと開いてみせていた。パンッとボールの弾ける音が聴こえそう。
『そうだ。もし星レベルで弾けてしまえば被害は甚大だ。地表に暮らすネコたちはもちろん、神たちでさえ失われる。そうさせないための仕組みが、あわあわのレースというわけだ。
まず、神やネコをレースに参加させ、ゴールにある星の芯に触れさせることで力を分け与える。そしてレースが終わり次第、それぞれを在るべき場所に帰す。そうすることで溜まった星の力を地表に分散させることができる』
大雑把だがそんなところだ、とオセロットは後ろ足で素早く耳のつけ根を掻いた。
「神さまやネコにぃ、余った星の力を運ばせてるってことだねぇ」
「知らんうちにこき使われとったというわけか」
花粉を運ぶミツバチみたいだ。
『ネコにも利益はある。さっきも少し話したがこれは“力”だ。生命力と言ったほうがイメージしやすいかもしれない。心の栄養みたいなものだな』
「『嘆き』か」
虚空のマイケルがつぶやいた。
『そう。星の力は心の裂け目に染み込んで、ネコたちに嘆きを乗り越える力を与えてくれる』
――嘆き。
それはこれまでにも何度か聞いた言葉だった。はじめはメロウ・ハートのカラバさんから。世界の大時計に向かうとき、オーロラネコさまも同じ言葉で送り出してくれたのを覚えている。
――嘆きのネコに幸いを。
茶色いマイケルは、ずくんと胸の疼(うず)きを覚えた。
――世界が崩壊していくときに感じたものを思い出す。オレンジ色に輝き始めた大地を見ながら、その向こうにいるだろう多くのネコたちを……いや、お母さんネコの顔を思い浮かべたあの瞬間に感じた、引き裂かれるような心の痛み。そうしてできた巨大なひび割れに飲み込まれていく感覚。果てしない暗闇に引きずり込まれる感覚。
嘆き。
茶色いマイケルはつばを飲み込み、顔をしかめるのをなんとか堪えた。
そうか。星の芯はこの痛みを。
そのうえで、裂けてしまった心に星の芯の力がじわりと染み込んで、刻まれた深い溝を埋めていく様子が目に浮かんだ。優しい雨のようにゆっくりとひび割れに溜まっていくところが。
オセロットは一呼吸分待って話を続ける。
『とはいえ、ネコに与えられる力は総量からすればほんのわずかだ。そもそもが小さな器だからな、与え過ぎれば弾けとんでしまう。だから力のほとんどは大きな器をもつ存在、“力を内包できる力”を持った存在、すなわち神へと渡すことになっているんだ』
「順当だろう」
「燃費も悪そうだしねぇ」
果実のマイケルが片頬を引きつらせて思い出しているのは、クラウン・マッターホルンでみた光景だろう。
黒雲が空を包み、雷の蛇が縦横無尽に暴れまわり、大渦が、炎が、礫が、隕石が、そして最後に青空の波がすべてをさらって空の彼方へと押し流していったあの光景。
いいや、それが神さまの力のすべてじゃない。力と言うならいつだって使われている。世界中を吹く風、時々やってくる嵐。雨。雷。他にもたくさん。神さまたちはいつだってネコには計り知れない力を持っているんだ。
星の芯はそんな神さまたちに力を預けるのだという。
『力の配分には秩序があった。神たちは活動に必要な力を分かっていたし、それ以上を求める必要もなかったからな。求めたとしても総量からすれば誤差のようなもので、星のバランスを崩すほどではない』
だが、とアゴを引くオセロット。その器の中で揺れているいくつもの細い線に、樹洞の銀色がチカリチカリと照り返る。
『それを破ったやつらがいる。大空の神たちだ』
『はぁ?』
声は茶色いマイケルの頭の上からだ。浴びせかけるように言って立ち上がったのは風ネコさま。今にも飛びかかろうとしているのが重みでわかったよ。
『大空の神たちは力の秩序を破ったのだ』
『オマエ何言っ――』
そこへ、さらに被せる声が鋭く響いた。茶色いマイケルの後ろからだ。
『おい、あんま喋りすぎると――』
雪崩ネコさまだ。そのフォルムと同じく猛獣みたいに食ってかかるのかと思ったけれど、
『雪崩』
『……っ』
冷気ネコさまの低い一声で、白いジャガーは奥歯で言葉を噛み殺す。たちまちのうちに勢いがたち消えた。雪崩ネコさまは迷いのある音でのどをゴロゴロと鳴らす。それを見つめるオセロットは静かなものだ。
風ネコさまは茶色いマイケルの肩に跳び移り、2匹の顔を交互に見遣った。
『おい雪崩ー、オメーなにか知ってんのかー?』
尋ねられた白いジャガーは『いや……』と萎れて口ごもる。風ネコさまは『おい』と身体の向きを変えそっちへ跳ぼうとした。そこへ、
『いい、俺が話す』
オセロットの神ネコさまが声を張る。
ふと、茶色いマイケルの目に入ったのは、痺れたように震えている前足だった。
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