(36)6-7:火の手

***

 傷だらけのフードネコは、棒立ちになっている茶色いマイケルを眺めていた。

 まるで、子ネコの成長を辛抱強く見守る、親ネコみたいな目。

 その目がさらに茶色いマイケルをぞっとさせる。”そのボーガン”が”だれ”なのかは聞けなかったけれど、きっとこのネコにとって大切なネコであったことは感じられたからね。自分が”そういう”目で見られていると思うと、毛の逆立ちが収まらない。

 と、そこで、

「どうやら”教育”の時間はここまでのようだな」

 突然フードネコの視線が茶色いマイケルから少しそれた。

『おー、布団にいねーとおもったらこんなとこいたのかー。ネコバトルかー? 遊ぶならオレもよべよー。でもここではやめといたほーがいーぞー。ちょー怒られるからなー』

 風ネコさまがしっぽを揺らしながら庭にてくてく歩いて来たよ。窓の内側からは子ネコたちの「むぅ……」とか「あむあむあむ」とか「くっ……」という声が聞こえてくる。そろそろみんな起きてくる時間かもしれない。それを察したらしいフードネコは、

「ではな。俺の言ったことを忘れるな、同胞よ」

 と、背中を向けて去ろうとした。

「ま、待って!」

 茶色いマイケルは声をかけた。どうしてそうしたのかは分からない。できればこんな気持ちの悪い考え方をする成ネコなんて、とっととどこかへ行って欲しかったんだからね。だけど、なぜかそうせずにはいられなかった。だからなのか、

「……なんだ、他に質問でもあるのか?」

 また”そういう”目で見られた時には、自然と言葉が出てきたよ。

「あなたは、なんのために、このレースに、出ているの……?」

 一音一音を確かめながら声にする。リーディアさんと初めて会った時のことを思い出した。「なんでこんな普通の質問をするの?」ってね。けれど、このネコには思いがけず的を射た質問だったみたいだ。

 傷だらけのフードネコは片目をハッとさせ、しかし想いにフタをするように、のろのろと視線を落としていき、

「……巻き込まれただけだ」

 少し不機嫌な声でつぶやいた。それから顔を上げ、「ちっ」と舌打ちする。後ろから、

「貴様あの時の!」

噛みつくように声があがった。1匹だけじゃない、

「ここが交戦禁止エリアだと分かっているのか?」

「茶色ぉ下がって下がってぇ……って傷っ!? 顔やばぁっ!?」

 振り向けば仲間ネコたちが揃って窓から出てきたところだった。「そっちがその気なら!」といまにも飛び出そうとする3匹。茶色いマイケルは「待って待って!」と両手で押しとどめる。

「うまくは説明できないけど、襲われてたんじゃなくって……」

 襲われる以上に怖い思いをしてたんだけどさ。でも……。

 どう説明したものか悩んでいるとフードネコが、

「じきに始まるぞ。お前たちはとっととこの町を出た方がいい」

 顔を隠しながら言う。「なに?」と訝しむ灼熱のマイケル。「いったい何が始まるの?」と思ったのは茶色いマイケルも同じだ。ただし答えは別のネコが持ってきた。茂みの葉が大きく揺れて音を立てたんだ。そして現れた顔を見て4匹はおったまげる。

「なんだい、まだこんなところにいたのかい。そろそろ始まるから知らせに来てみれば……おや、子ネコちゃんたちまでいるとはね」

 しゃがれた声の長毛白猫。耳は両方垂れていて、まっ白なドクターコートを羽織っている。度のキツイ眼鏡の奥にでかでかと浮かぶ瞳は、水色とうすい黄色のオッドアイだ。薄闇の中、光って見える。

 キャティ・マッド・グレース。

 トムとチムはたしかそう呼んでいた。キャティは眼鏡の向こうにある大きな目をぎょろりと動かし、子ネコたちを見渡しながら、

「アタシらは祭りで派手に騒ぐけど、アンタはどうするんだい」

 と傷だらけのフードネコに尋ねた。

「俺はその祭りとやらには興味はない。先を急ぐとしよう」

「そうかい、アンタなかなかいい腕してたから面白くなると思ったが、まぁいいさ。また会ったらよろしく頼むよ」

 キャティは「世話になった」と言うフードネコの肩を「なに、お互い様さ」と、軽く手の甲で叩いてニヤリと笑った。それから茶色いマイケルたちの方を向いて再び口を開きかけた。

 そこへだ。

「「「突っ込んできたぞぉぉぉ!!」」」

 と遠くから誰かの叫び声が飛び込んできた。直後、地面が音をたてて震え、背の高い茂みの向こうにあったコテージの、さらにその向こうの空が朱色に染まった。炎だ。煮えたぎるように空気が揺らめいて見える。

「えぇ、地震!?」

「声が先だ! この規模の地揺れを引き起こすとすればおそらく……スラブ!」

「へぇ、アンタも察しがいいねぇ。助手にならないかい?」

「言ってる場合か! これが事故なら助けが必」

『いーや、これ事故じゃねーぞー。いっつもこんな感じではじまるからよー、次のレース』

「これ、レースの一部なんだ」

 それを聞いて灼熱のマイケルがふむ、と腕を組む。

「つまり、お前たちの言う”祭り”がこれから始まると、そういうことか」

「キャティだよ」

 キャティは静かに一言を返す。

「アタシに話しかけるんだったら、きちんと名前で呼びな、おチビちゃん。まぁいい、アンタの思ってる通り、今ぶつかってきたのは『超大型スラブ』。あの上にはとびきりやばい奴らがたくさん積まれていてね、そいつらがこれからこの町を覆いつくすってわけさ! ヒッヒ」

「とびきりやばい奴って、どんな……」

「どんなって、そんなもの自分の目で見てみりゃ分かるだろ。そんで、アンタたちはどうするんだい。レースはもう始まったんだ、先を急ぐならとっとと行っちまいな。もし一緒に来るっていうんなら、道すがら解説くらいはしてやろうじゃないか」

「はぁ!? 何でワシらがお前らなんぞと一緒」

「いや、待って待って。別にぃその”お祭り”っていうのに参加しろって言ってるわけじゃないんでしょぉ? だったらいいんじゃない、どうせ『大通り』の方に行くんだよねぇ?」

 果実のマイケルが振り向くと、全員の視線が茶色いマイケルに集まった。みんな同じ顔を思い浮かべたに違いない。

「うん、教えてくれるっていうなら知りたいよ。いいかな、キャティ」

「思ったよりも決断が速いじゃないか。ならついておいで!」

 言うなり走り出したキャティを見て茶色いマイケルは少し慌てた。キャティと子ネコたちの様子見て眺めていたネコのことが気になったんだ。

「……どうした、おいて行かれるぞ」

 内容は”アレ”だったけれど、茶色いマイケルにとってはこのフードネコも、”いろいろ話をしてくれたネコ”の1匹だったからね、

「ボクは茶色いマイケル。あなたの名前を聞いてもいいかな」

 と尋ねたよ。目深にかぶったフードの奥で、クスリと笑うのが分かった。

「俺の名はケマール。だが、名など忘れてしまって構わん。お前は覚えておくべき価値のあることだけを覚えていろ」

 同胞よ、と。ケマールさんは言って、キャティたちとは反対へ歩いて行った。

***

「それで。これから町に溢れるというやつらは一体」

 茶色いマイケルがキャティたちに追いつくと、待っていたというように虚空のマイケルが尋ねる。

「アレは”狂気の沙汰”さ。ネコと見れば見境なく襲ってくる化け物ども。一つ忠告しておくとね、アレに同情しちまえばすぐに飲み込まれるよ? いいかい、アレはネコに見えるかもしれないがネコじゃない」

 キャティは声を一段低くとり、

「『ネコ・グロテスク』。それが”狂気”の生み出した化け物の名前さぁ」

 と、顔に血生臭さを浮かべてニヤりと嗤った。

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