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暗がりでさえ明るく見える真っ白な毛。
それはスノウ・ハットに生まれたネコの特徴だ。
お祭りの日に地下道を照らしている白ネコ修道士さんたちほどの輝きは珍しいけれど、どのネコも身体のどこか一部に”白”を持っていた。茶色いマイケルのお母さんネコの耳も”白”だし、5つ子のチルたちや、チルたちのお母さんネコにも”白”がある。もう顔も覚えていないけど、お父さんネコにも”白”があったって。
そんな”白”を見せられたら、この傷だらけのネコもそうだと思ってしまうのも仕方のことないだろう。だけど答えは、
「スノウ……なんだ? 聞いた事のない国だな」
という事らしい。茶色いマイケルのしっぽが緩やかに地面に落ちた。
「国……じゃなくて街なんだけど」
「俺も『わが偉大なる祖国、サンド・アグリッシア大帝国』の隅々までを知っているわけではない。しかもその毛量では……お前、他に白い毛は生えていないのか? 足の裏や手の平などに」
「ないけど……なんでだろう?」
すると傷だらけのフードネコは額に手を当てて何度か頭を振り、
「はぁ……。それではほとんど”無価値”ではないか」
すっごく可哀そうなネコを見る目で見てきたよ。ひどっ!
「あ、あなただって大して変わらないじゃない!」
「何を言う、俺はもう成ネコだからな」
「成ネコだったらなんだって言うんだよ!」
「なんだ、親ネコから知らされていないのか、憐れな子ネコだ」
「憐れって言わないでよ! なんかヤダっ!」
「憐れなものを憐れと言って何が悪い。いやしかし、それだけ白い毛が少ないのなら教育する価値すらないと考えても仕方がないか……」
「ひ、ひどすぎないっ!?」
「そうして常識すら知らずに歳を重ねてしまい、理屈が通じなくなってしまったと……なんともむごい。いいだろう、俺が教えてやる。『輝く白毛の民』はな、成ネコになればその白い毛の生えた部分を国に奉納するのだ。だから俺はこうして首元に白い毛が残っている。だがお前の場合、奉納する部分が首元だけなのであれば、そこをえぐり取って渡すしかない。つまり成ネコになれば死が待っているということだ」
「なななななに怖いこと言ってるの!? えぐり……そんなことするはずないでしょ! もしそうならあなたはどこを」
と、そこまで言って、顔中にある傷に目がいったよ。いたずらに肉を溶接したような生々しい傷痕にね。もしかして、その傷が……。
「俺は右手だ」
顔じゃないの!?
って、思いきり言ってやろうと思ったんだ。
だけど、外套をひるがえした内側にあったものを見て、
「今はこうして別のものがついているがな」
茶色いマイケルは絶句した。そこには子ネコたちを狙っていたあのボーガンが、弓の部分を折りたたんだ形で白く輝いている。だけどそれを持っているはずの”右手首から先”を探しても、どこにも見あたらない。それはそうだろう、針金みたいなもので直接、手首にボーガンをくくり付けていたんだからね。
「は? え、それ……え?」
指そうとした指は固まって震えている。傷だらけのフードネコはゆっくりと口を開き、
「理解したか? お前の年齢で初耳とあれば、驚くのも仕方がない。本当はもっと幼い頃から言い聞かせておくものなのだからな。しかし恐れるな。これは俺たち『輝く白毛の民』に与えられた栄誉だ。価値の証明でもある」
「価値の、証明……?」
「そうだ。こうして失った部位を示すことにより、『わが偉大なる祖国、サンド・アグリッシア大帝国』の一員として認められ、愛のある平穏な日々を、誇りをもって暮らすことが出来るのだ」
さも素晴らしいことだと熱弁する。ただ、傷だらけのフードネコは「ふむ」と難しい顔をしてから、
「安心しろ。たしかに今のお前は、ほぼ無価値ではある。しかしお前もまた『輝く白毛の民』であることに変わりはない。これと同じように無類の価値を秘めているのだ。それは確かなこと。確かめた俺が言うのだから間違いない。だから誇りに思え。そうすれば残りの猫生を有意義に過ごすことが出来るだろう」
と言い、それから右腕を持ち上げて、愛おしそうに見つめていた。
茶色いマイケルはひどく混乱していたよ。
……それって、ホントの話?
成ネコになったら白い毛の部分を国にあげるなんて、そんな話は聞いた事がないし、スノウ・ハットのネコにしてもみんな”白”は残ってる。お母さんネコだって耳はついてるし、他のネコもみんなみんなあるはずなんだ。えぐりとったり切り取ったりなんかしていない。大丈夫。絶対。
……だけどあの右手。手首から先の無いあの右手を見ると、すぐそこにあるはずの常識や自信を、やさしく取り上げられていくようだった。もしかしたらスノウ・ハットの成ネコたちも、服の中はああして切り取られているのかもしれない……なんてね。「ばかばかしい!」っていくら振り払っても、そんな考えがどんどん湧いてくるんだ。
たじろぐ子ネコの様子をどう捉えたのか、傷だらけのフードネコは、
「見てみろ、俺たちはこんなに美しい価値を内に秘めているのだ。これは他のネコたちには無い栄誉なのだぞ」
と、本当に大切なものを「いいだろう? なぁ、いいだろう?」と自慢するときのように胸を張って、右手を見せつけていたよ。
――いや、待って。
ちょっとおかしい。
話がずれてるような気がしたんだ。ムズムズするような違和感があった。
このネコ、最初は茶色いマイケルのことを”無価値”だと言っていた。それから、白い毛の部分を国にあげれば価値を認められるって話になったんだ。だけど結局、白い毛が少なければ”無価値”であるはずだよね。なのに誇りに思え? 美しい価値を内に秘めている? 何かおかしい。
見てみろって言ったって、手首は無いんだしそこには何も……。
そう思って、うっとりと”失った右手首から先”を眺めているネコを見ていた茶色いマイケルに、ひとつ疑問がわいてきた。
そもそもあの視線の先にあるのは、”失った右手首から先”なのかな。
考えて、ぞっとした。視線が流される。頭の後ろから眼球をつかまれて強引に動かされているみたいだ。きもちわるい。目がボーガンに引き寄せられていく。
ボーガン。そのボーガン。そのつやつやと光沢のある、よく磨かれているのが一目でわかる、そして、ぼんやりと白く輝きを放っている、そのボーガン。
ねぇ、いや、まって。
まって、どうして、そんな、そんなボーガンを。
どうして。
”どうしてそんなに愛おしそうに見つめているの?”
ねぇ、だって、その、そのボーガンって。その白い輝きって。
ねぇ。
それ。
” だ れ で で き て い る の ? ”
茶色いマイケルは震える声で、
「ねぇ……」
恐る恐る呼びかける。
「ん?」
一方、成ネコの笑顔は力強い。いいぞこの際だ、聞け、知りたいことがあるのなら俺が何でも答えてやるぞ、と聞こえてくるような頼もしい笑みだ。
茶色いマイケルはなけなしの気力を振り絞り――。
「……ううん、何でもないよ」
だけど、ボーガンについて尋ねることは出来なかったよ。ガクガクするアゴをこらえながら、そう言うだけで精いっぱいだったんだ。すると傷だらけのフードネコは呆気にとられたような顔で「仕方のない奴だな」と苦笑いをした。そして、
「これほど美しいものに生まれ変わることが出来るのだからな、確かに俺たちには”価値”があるのだろう。自信を持て」
白く輝くそのボーガンを、左手の爪でツンと弾いてみせた。
乾いた音というにはもっと密度のある音。だけど氷柱を叩くよりも軽やかな響き。それがこの、満月を思わせる夜の明るさの中で、風のように広がっていく。
広がって、響いて、広がって。
茶色いマイケルの耳の中に入り込んできた。
叫び声にはならない、呻き声のような震えがわいてきた。
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