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「は? 何を言うておるんだお前は。ここまで来て行きたくないだと? 世界のあれこれがワシらの働きにかかっておると言われたばかりではないか。お前の用事は確かに空で終わるものだったのだろうが、大地の神が滅びた今、どんなに優れた『リーディアの実』があろうと世界を豊かにはできんということくらい、お前なら分っているだろう。冗談を言うにもほどがあるぞ。だいたい」
「いや、待ってくれ灼熱。おそらくそういう事じゃない。なぁ、果実」
虚空のマイケルは、灼熱のマイケルを止めたかったから適当にそれらしいことを言った、というわけではないらしい。その問いかけに果実のマイケルが静かにうなづいた。
灼熱のマイケルは腕を組んで「むぅ……」としばらく考え込むと、虚空のマイケルに話を向ける。
「……つまり虚空、お前も少なからず似たような考えを抱いているということか?」
「そういう、ことになる」
だが、と虚空のマイケルは言葉を継いだ。
「それは灼熱、お前も同じはずだ。ただ一時、今はそれでよしとしているだけだと俺は思っている」
灼熱のマイケルのしっぽがしゅるりと弧を描いて下に降りた。思い当たるところがあったらしい。だけど茶色いマイケルはいったい何のことを言っているのかちっとも分からなかった。
つまり、みんな行きたくないっていうこと?
そう考えた瞬間、暗い夜道に1匹取り残されたような気分になって頭がくらくらしてきた。とても情けないことだけれど、さっきまで感じていた高揚感が一気に冷めて、心の中から「こわいこわい」と幼い子ネコの泣き声が聞こえてくるようだったよ。
こうなると、いかに自分が周りに頼っていたのかがはっきりしてくるね。
そこへ、
「ふむ。そういう事か」
と灼熱のマイケルの納得の声が飛び込んできて、さらには3匹のマイケルたちの視線が茶色いマイケル1匹へと注がれた。
「ここで溜め込んでも仕方あるまい、それならばきっちり本猫に話してやれ」
うん、と返事をしたのは果実のマイケルだ。
ただし、いつものように間延びしたしゃべり方が無くなっていた。
「茶色、はっきり言っておくけどさ、オイラたちじゃ無理だ。『ティベール・インゴット』を星の芯まで持っていくなんて出来っこない」
それは思わず、「なるほどね、じゃあやめよう」なんて言いそうになってしまうくらい、確信めいた口調だった。
だけど。
「……もしそうだとしても、引き返せないよ」
引き返して待っているのは、”まもなく終わる世界”でしかないんだ。その先には絶望しか残されていない世界。だから茶色いマイケルの心は決まっている。
「あの続きを見せられるくらいなら、ボクはどんな無茶をしてでも」
「茶色が諦めたから」
その一言に、「え」という声さえ、詰まって出てこなかった。
「茶色が諦めたからオイラは行けないって言ってるんだ」
「それって……」
ガツンとシロップのビンで頭を殴られたような衝撃。
脳裡に浮かんだのはクラウン・マッターホルンの空から落下していく景色だ。
空に浮いているために乗っていた『風の獣』を急に消されてしまった茶色いマイケルたちは、”芯”を使うか、それとも地上に落ちてしまうかを迫られた。芯を使えば神々の大戦が引き起こされ、そのまま落ちれば仲間ネコたちの命が無くなってしまう。
苦悩する仲間ネコたちを前に、茶色いマイケルは命をとった。
茶色いマイケルが、神さまたちの大戦の引き金を引いたんだ。
4匹があのまま空から落ちていれば、もしかしたら星が崩れるほどの被害は出なかったかもしれない。だとしたら、世界を滅ぼしたという責任は……。その思いが、茶色いマイケルの頭の片隅にはこびりついて離れないでいた。
だけど、果実のマイケルはそれを責めたわけじゃないらしい。
「誤解しないで欲しいんだけど、オイラはあの、芯を使った時のことを言っているわけじゃないからね」
「え?」
「あれは仕方のないことだって分かってる。オイラたちは風ネコさまに頼り過ぎていたし、信じすぎてもいたからね。茶色が飛んでなかったらオイラか、他の誰かが飛んでたと思うよ。実際そうしなかったら、あの時点で終わってたんだから、あれを”諦めた”なんて非難したりはしない」
「じゃあ……」
「オイラが言いたいのは別のこと。大地の神さまが粉々になったあとのことだ」
果実のマイケルは目をつむり、鼻から大きく息を吸ってゆっくりとそれを吐きだした。
「あれはオイラもどうにかなりそうな光景だった。なにせ大地が捲れるっていうことは、その下にある圧力のかかった高温の岩石が露出したりマグマが噴き出したり……つまりは地上が終わるってことだしね。親しかったネコたちの顔がつぎつぎと浮かんできて、それなのにどうしようもないっていう絶望感でいっぱいだった。
それを選択させられた茶色の気持ちを考えたら……そりゃあ、どんな気持ちになるのかくらい想像がつく。同じ光景を見てたんだから当然でしょ? むしろオイラたち以上に分かってやれるネコなんていないはずだ。
なのに、茶色はオイラたちを置いて行こうとした。
意味わかるかな?
生きることを諦めただけじゃなくって、オイラたちを置いて行こうとしたんだ。……残されたオイラたちがどうなるのかって、あの時、茶色は考えた?」
「それは……」
「考えられないくらい切羽詰まっていた、そうでしょ? 分かってる。それは分かってるんだ。……だけどさぁ、それじゃだめなんだよ。オイラたちはとっても弱いんだから。
山を一つ登るだけでもオイラたち4匹にはそれぞれ役割があったでしょ。誰一匹として欠けてたら、命がいくつあっても足りない道のりだった。とても登りきる事なんて出来なかった。神さま相手にあそこまで立ち回ることもできなかったはずだ。
そんな弱いオイラたちをだよ? 茶色は置き去りにしようとした。
それが何を意味しているのか分かってる? オイラたちの生きる道を断つも同然なんだ」
「ちがっ、そういう」
「違わないよ。そうは思ってないだろうけど、同じ意味なんだ。
茶色はあの時、オイラたちを確かに見捨てた。
だったらこの先、同じことを繰り返さないって言える? ううん、口では言えるだろうけど、オイラたちが心の底から信じられると思う? つらくなった時、我先にみんなを見捨てて逃げるんじゃないかって、生きることを諦めるんじゃないかって、オイラたちはそんな不安をずっとずっと抱えながら進むことになるんだ。
大丈夫かな、大丈夫かな、って。気をつかいながらね。
そんなんで”厳しい道行き”なんて進めっこないと思うんだよね。だから、オイラは行くのを止めようと思うって言ったんだ。どうなるのかが分かりきってるし、こんなことすぐには」
そこへ、
「おい、もうその辺にしておかんと」
と灼熱のマイケルが手で制した。果実のマイケルは、
「……そうだね、収拾がつかなかくなっちゃうかぁ」
と言って、素直にうなづいたよ。
虚空のマイケルも何も言わずにただ聞いているだけだった。きっと、同じことを思っているんだろう。
茶色いマイケルはうつむいて拳を握る。
お腹の奥からは「だってあの時は……」「だってそれしか考えられなくて」「だってもう無理だと思って」と、次々に「だってだって」という言葉が湧いてきていた。だってだってだってだって……と、口を突いて出てきそうな言い訳を、歯を食いしばって堪えた。
でもさ。だとしたらどうすればいいんだろう?
茶色いマイケルが生きるのを諦めようとしたこと、それは事実で、もう変えられない。みんなの記憶から消えてなくなったりはしない。果実のマイケルの抱いた不信感も変えられないよね。
だとしたら何ができるだろう?
今、この場で、果実のマイケルを説得して一緒に行こうって、力を合わせて頑張ろうって、思ってもらうには、どうすればいいんだろう。
茶色いマイケルには、それが絶望的なことのように思えたよ。
”気持ちなんてそう簡単には変えられない”。その考え方が、茶色いマイケルの中で大きくなりすぎてしまっていたんだからね。
ただ、どんなにキツイことを言おうと、果実のマイケルは仲間ネコだった。
「さっき、灼熱と茶色が言ってた通り、世界がこうなった以上オイラはこの先に進まなきゃならない」
「え? でも……」
「うん、この不安はすぐに拭える物じゃないと思う。なんなら一生かけても消えないかもしれないよね」
だからさ、と果実のマイケルは言った。
「もう一つ、オマイに話しておきたいことがあるんだ。それを聞いてくれる?」
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