(34)6-5:白い毛

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 受付ネコさんは『夜更かしをしなければ十分に休む時間はあります。目が覚めたら準備を始めて下さい』と言っていた。レースの再開は”その時”がきたら分かるのだという。

 とはいえ、どれくらい寝ていいのか分からないというのはストレスがかかるもので、気の小さい茶色いマイケルは他の3匹よりも早く目が覚めてしまっていたよ。宿場町のコテージというだけあってベッドの寝心地がすごく良く、入眠前に「寝過ぎないようにしなきゃ」なんて考えたのも、暗示として働いたみたい。

 二度寝すべきかこのまま目覚めるべきか。

 灼熱のマイケルがぎりぎりベッドから落ちていないところを見ると、寝ていたのは5時間くらいだろう。その先、カーテンの向こう側は満月の夜くらいの明るさだった。

 そっと窓をあけて庭に出るともちろん外には誰もいなくって、この町独特の陰気くささを醸し出している『黒い靄』も、こうした雰囲気の中で見れば幻想的に見えてくる。明るい夜の心地良い景色だった。

 ただしこの靄、触れるとちょっと臭うんだ。

 嗅ごうとしたわけじゃなく、身体のどこか一部に触れただけで「うっ」となるくらい臭ってくる。『スラブ』の芯を探ろうとした時の感覚に似ているから、あの『ドロドロの正体』っていうものも含めてハチミツさんたちにでも聞ければよかったんだけど……昨日は興が乗り過ぎて忘れてしまっていたからね。

 果実が何かつかんだかもしれないし、起きたら聞いてみよう。

 そう頭の中のメモ帳に書きつけて、漫然と辺りを見渡しながら歩いていると、そこで耳がなにかの音を拾ったようで、頭よりも先に振り向いた。見れば背の高い茂みが、隣のコテージとの間で静かに佇んでいる。

 風かな? なんてのんきに構えないくらいには緊張感を持っていたよ。ザッと地面に張り付くように身を屈め、茂みから距離を取る。窓からは離れすぎずいつでも助けを呼べるようにと息を整えた。

「……誰」

 勘違いだった場合に仲間ネコたちを起してしまわないくらいの声量で尋ねると、しばらくしてから、

「お前。白い毛はあるか」

 と聞き覚えのある声がした。誰だろうと考えつつ、

「ここは闘っちゃダメな場所なんだよ」

 釘をさしておく。だけど、

「違うな。傷をつけてはいけないが、自由を奪うなとは言われていない」

 なんてことを真剣な声で言う。それでようやく誰の声なのか分かったよ。

「あなたはフードのネコでしょ。マタゴンズの」

 外套を目深にかぶったフードネコ。『宝石の海』への入り口からちょくちょく、茶色いマイケルたちに見えない攻撃を仕掛けてきている成ネコだ。いつもマタゴンズと一緒だったからそう聞いたんだけど、

「それも違うな。俺は彼らの一員ではないのだから」

 違ったらしい。

「違うの? でも一緒に……」

「一緒にいるからと言って目的や思想が同じだと考えるのは早計だ。そもそも彼らと俺とでは価値が違う。もういいだろう。そろそろこっちの質問に答えてもらおうか」

 もう何も言わせない、というくらい強い語気だった。

「……白い毛があるかどうかだっけ。それに答えたら帰ってくれるのかな?」

「答えによるな」

 これは危ないと判断し、仲間ネコたちの名前を口にしかけたところで、

「とはいえ、おおよその検討はついている。この暗がりの中でそれだけ目立って見えるということはお前も俺と同じなのだろう」

 そう言うと大して音もたてずにスッと茂みから姿を見せた。目深にかぶった外套の、その奥にのぞく目つきは確かに鋭い。だけど前みたいにボーガンを構えてはいなかったから、茶色いマイケルは開きかけた口を閉じたよ。ネコは左手を持ち上げ、フードをくぐるように脱いでいく。すると、

「……え」

 その頭と顔には、むごたらしい無数の傷跡があったんだ。

 茶色い毛のあちこちには、縞模様をなぞるように目の粗い縫い痕があり、耳は折紙に切れ目を入れたみたいにズタズタ。なにより右目は潰れていて、だけど眼帯や義眼もしていない。まるで焼きゴテで肉を溶かしたとしか思えない、生々しい傷跡が残っていた。

「だい、じょうぶ、なの……?」

 するとそのネコは、

「なんだ、この程度で心配か。随分と穏やかな飼い主の元で教育されたらしいな」

 と顔の傷を引きつらせて笑った。それから外套の首元をつかんでぐっと下に引く。それを見て茶色いマイケルは傷を見たときとは別の驚きを感じた。白かったんだ。アゴの下、のどから胸にかけてのほんの少しの部分だけど、たしかに白い毛が混じっている。とはいえただの白い毛じゃ驚かないよ。白い毛のネコなんてそこら中にいるしね。

 光ってたんだ。白い毛が輝いていた。

 それは子ネコにとって、声をあげずに歩み寄るには十分なものだったよ。

 茶色いマイケルはその場に立ち上がり、フードネコと同じようにパーカーの首元をつかんでぐっと下げて見せた。成ネコは「やはりな」と言って襟から手を離す。その表情にどこか苦々しいものが浮かんでいたのが少し気にはなったけれど、

「あなたもスノウ・ハットのネコなの……?」

 という質問をこらえることは出来なかった。

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