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サビネコ兄弟の乗る『小型スラブ』が、ぼんやりと青い闇の中を遠ざかっていく。それを灼熱のマイケルは、『プルーム』の最後尾であぐらをかいて眺めていた。
「あの動き、王家直伝『脱出ネコ術』に似ているように思えたが……」
虚空のマイケルが隣に立って尋ねる。
「うむ。ワシもあの受け流しの呼吸に、似たものを感じた。しかしあちらがより起源に近かろう」
「起源?」
「ネコ武術には大本となる流派がある。それが起源だ。今ではもう名前も残っとらんし、継承・分化されていくという性質上、その型さえ完全な形で残っとるとは思えんが、それでもあ奴――ハチミツの動きからはワシの知る様々な技に通じる気配を感じた」
「君の使うネコ武術の流派とも関係している、というわけか」
「ククク、ワシのは流派などと言えるような代物ではない。ただの自己流だ。強敵と相対する中で必要に迫られて生み出した思い付きの産物。そこに起源などない……と、そう思っておった」
「何か心当たりがあったと」
灼熱のマイケルは小さくうなづく。
「父があれによく似た動きをしておった。筋肉繊維の一つ一つの働きを確かめるように、ゆっくりと身体を動かしていく、静かな”舞”のような動きだ。聞いたところによるとそれはかなり古いものらしい。ワシの中に起源と似たものがあるとすればその”舞”の動きだろう」
「……しかし、起源であることにそれほど大きな意味があるのか?」
「あるとも。他の流派はどうか知らんが、あれは間違いなく技の神髄を知るものの動き。ひとつの真理と言っても過言ではなかろう。あれを知れば他のネコ武術の動きなどすべて丸裸にされたも同然なのだ。であれば」
虚空のマイケルは灼熱のマイケルの顔をのぞきこみ、それからニッと笑った。
「あれを盗めば、ワシはもっと強くなれる」
***
そんな2匹の会話と動きを、茶色いマイケルはプルームの先端で”聞いて”いた。
膝を抱えて座ったまま、耳よりもヒゲも使ってね。
このところ、出来ることを精一杯するしかない状況が続いていて、その度に限界を感じていた。だから今のうちに出来ること自体を増やしたかったんだ。感覚を鋭くすればきっと役に立つだろうと思ってね。集中して磨いておかなきゃ。
ただ、集中しすぎると困ったこともあって、
「よぉし、だんだん分かって来たぞぉ!」
と隣から聞こえた声に、必要以上に肩を跳ね上げる。
「え、オイラそんなに大きな声出してた?」
果実のマイケルは地面に両手をついたまま驚いた顔を見せている。
「ううん、ちょっと考え事してたから。それより、上手くいきそう?」
果実のマイケルは、なんとかプルームを操縦できないかって、ハチミツさんたちに聞いた方法を試しているんだ。またあの「うぇっ」ってなるような感覚を味わうかと思うと、かなり勇気がいるだろうに、すごいや。
「まだまだだけどぉ、このプルームっていうのはスラブよりも、あのドロドロが少ない気がするんだよねぇ。これなら頑張れば芯を見つけられるかもしれないよぉ」
「スゴイや、果実! (ボクは諦めているから)頑張って!」
「いや、茶色もやれよぉ」
「だってぇ……」
茶色いマイケルが目をそらすと、代わりとばかりに声が飛んできた。
「おい豚猫。練習して出来そうならそれに集中せい。ワシは少し休むから起きるまでには覚えておけよ」
プルームの最後尾にゴロンと寝転がってあくびをする灼熱のマイケル。
「なんだよぉ偉そうにぃ。オマイ、今よわよわになってるんだから、オイラでもなんとかできちゃうかもぉ。寝てるうちに逆襲しちゃうかもぉ。あふふ、怖くて眠れなくなったぁ?」
「ククク、弱ってもお前になど負けるものか。おい虚空、ワシに休息が必要なことは承知の通りだ。先へ進むためにも少しでも回復しておきたい。だから協力してくれ。具体的にはちょっかいを掛けようとする豚猫がいたならチョチョッと縛ってハムにしてやってくれ。なんならもうハムにしてやっても構わん。犯行予告は届いとるからな」
「へーん。豚猫とかハムとかぁ、そういう”たとえ言葉”で虚空が動くはずが」
「安心してくれ、事前に聞いておいたんだ。豚猫とは果実の愛称で、ハムというのは緊縛の比喩なのだろう?」
「き、汚いぞぉ!」
この子ネコの操縦を覚えたのは灼熱のマイケルが先だったらしい。
そうしてガヤガヤしている内に灼熱のマイケルは大きないびきをかいて眠ってしまった。しばらくは叩いても起きないだろう。
***
30分ほど経ったろうか、静まり返ったプルームの上で、虚空のマイケルと茶色いマイケルはスラブ探しをしていた。
サビネコ兄弟の乗ったスラブはとうに見えなくなっている。
じゃあどうしてまだスラブに乗り換えていないのかって言うと、周りに一つも無かったから。子ネコたちは今、”星はないけど少し明るい宇宙空間”みたいなところに、ポツンと取り残されてしまっていたんだ。そんな中、
『おい、あれなんか、いーんじゃねーかー?』
という風ネコさまの明るい声は、救いそのものだった。スラブだ。少し離れているし、濃い青で見つけづらいけど確かにスラブがある。しかもそのタイミングで果実のマイケルが、
「ちょっと待っててねぇ、あっちに軌道修正を……んんっ!」
と操縦を覚えちゃうんだから、まさに追い風だ!
たどり着いた小型のスラブは完全に静止してしまっていたものの、調子を上げてきている果実のマイケルに任せておけばどうにかしてくれるだろう。ということで、茶色いマイケルと虚空のマイケルは、まだぐっすり寝ている灼熱のマイケルをスラブの方へと運んでいくことにしたんだ。
「ここで見つけられてよかったねぇ。このまま一生彷徨うことになるのかと思ってボク、すっごく焦っちゃった」
「彷徨うだけならまだやり直す機会はあるだろうが、”あの冷気”が迫ってきたときが問題だ。最悪、ネコ精神体ごとこの場に囚われてしまいかねんからな」
「ええっ、怖いなぁ」
真実はどうか分からないがな、そうだね、と言いながらプルームとスラブの境界をまたぐ2匹。
「とはいえ、どうなる事かとは思ったが、先へ進めそうで何よりだ。さて、どのあたりに灼熱を」
そこへ、
『お? なんだ、なんかヘンなのがいたみたいだぞー』
なんて言われるから背筋が凍っちゃう。
ヘンなのが、いた……!?
灼熱のマイケルは寝ている。果実のマイケルを見ればスラブとプルームの両方に手をついて苦しそうな顔をしている。操縦を試しているんだろう。
茶色いマイケルと虚空のマイケルは辺りを見渡した。いない。足場を2つ合わせても大した広さじゃない。なのに見つけられないとなると、
下だ!
茶色いマイケルは音に集中する。すると間もなく、
ぬちゃっ、ぺちゃっ
と水気をたっぷり吸った衣服の音が聴こえてきた。
雨の日に、子ネコたちの遊ぶ声とともに聴いたなら微笑ましい音だったろう。けれど、こんな何もない暗がりの中で、しかも岩の底からとなると、気色悪いを通り越して崖っぷちに立たされたような気さえしてくる。
絶対によくないものだ。
ぬちゃっ、ぺちゃっ
濡れた音はなおも登ってくる。のんびりはしていられない。茶色いマイケルは虚空のマイケルに向かって、身振りで、
(下。ネコかな?)
と伝えたよ。きちんと伝わったらしく子ネコには険しい表情が浮かんだ。2匹は灼熱のマイケルをスラブ側にそっと置き、それからゴクリとのどを鳴らす。
茶色いマイケルの先導で、できるだけ足音をたてないよう慎重に慎重に音のするプルームの先端へと近づいていく。それから、端まで来た2匹はゆっくりと身を屈めた。
そこから、背伸びをするようにそうっと、頭を出して下をのぞきこむ。すると、
にこぉ
顔を引きつらせる2匹。
その先で、満面の笑みを浮かべる鬼ネコが、子ネコたちを見ていた。
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