(144)12-2:別れのしっぽクロス

***

 ボクは世界に滅びを仕掛けた。

 責められる覚悟はしていたけれど、こうして面と向かって言われるとつらいものがある。そう、この子ネコたちにとってボクは、彼らを追い立てるようにここまで導いた、とても悪いネコなんだ。

 口を開いたのはボクが早かった。だけど灼熱は被せるように言う。

「偶然をいくつも重ねなければ、ワシらを集めるには至らなかったはず」

 すべてを語れ。そういう事だと思い、ボクは経緯を語ろうとした。けれど灼熱はまたもや言葉を被せると、まるで探偵ネコのように指を立てて歩きはじめたんだ。

「4匹を集めるための条件。それはいくつもあるだろうが、中でも重大な事件が3つある。すなわち『大地の神の不在』『神世界鏡の破壊』そして『世界の崩壊』。これら3つの事件が起きなければ、ワシらはあわあわの世界へは来なかった。

 とりわけ、『大地の神の不在』による“世界の荒廃”。この事件はいくつもの出来事と関わっとるようだ。おい、もし世界の荒廃が進んでおらんかったら、メロウ・ハートまで旅することはなかったのではないか?」

 灼熱は果実を見て言った。

「そうだねぇ。木の実の国からだとぉ、メロウ・ハートなんてほとんど世界の裏だしぃ、いくらオイラに放浪癖があってもぉ、そこまでは行かないかなぁ」

「それに、ワシら3匹を引き合わせたピッケも、移住、母ネコの死、茶色との出会い、廃都市での孤独な暮らし、といった形で、『大地の神の不在』の影響を強く受けておる。

 他の2つの事件も同様。

 『神世界鏡の破壊』がなければ、大空の神と大地の神とが争うこともなく、ワシらが空へ呼ばれることはない。さらに、『世界の崩壊』がなければ、世界の大時計が動き出すこともなかった」

「それら3つの事件を引き起こしたのが、いつかの茶色だと言いたいのだな?」

 虚空の言葉に頷いた灼熱の目には、確信が宿っている。

「実際に動いたのは、小雨の神の言っていた神々だろう」

 地核の神。オーロラの神。時の女神。そして。

「まず地核の神が、大地の神をそそのかして空へと向かわせた。一方でオーロラの神は、風の神に鏡を割るように働きかけたはず」

「オーロラネコさまが風ネコさまに?」

 2神の関係がつかめていない茶色が問いかける。答えたのは虚空だ。

「大雑把に言ってしまうと、オーロラというのは太陽から吹く風なんだ。神々の眷属関係を考えると、風の神とは親兄弟にあたるのではないだろうか」

「なるほどねぇ。あとはぁ、空が荒れて困った大空ネコさまにぃ、時の女神さまが助言をするってわけねぇ」

 4匹を空に連れてくるように、と。

「そして雪だ」

 ふたたび、灼熱へとみんなの耳が向く。

「今年、スノウ・ハットの積雪量は例年を著しく下回った。すべてを俯瞰してみれば分かる。世界が何を目的に回っていたかを考えればな」

 まさか、という声は茶色以外からもあがった。

「そう。雪が降らなかったのは、お前を動かすためだ、茶色」

 理解が追いつかない様子の茶色だけれど、灼熱に待つ素振りはなく、むしろ声を急がせる。

「雪の降らない街で途方に暮れていた茶色は、代わりとなる“みやげ話”を探していた。そこに現れたのがワシというわけだ。冒険というエサを引っさげてな。

 そのあとは知っての通りよ。

 ワシら2匹はメロウ・ハートに行き、置き引きをしたピッケを追いかけることで偶然、囚われていた果実と知合い、さらには神託をうけた虚空の計らいによって3匹で空へと向かった。

 空では神世界鏡をめぐって争いが起きており、ついには風の神が大地の神を貫いて世界を滅亡寸前に追いやる。それによって茶色は絶望し、あわあわの世界への扉か開かれた。すべてはワシらをあわあわの世界に呼び寄せ、“大渦”を解決させるための仕掛け。

 この仕掛けのために、どれほどの犠牲が出ているのだろうな。崩れたクラウン・マッターホルンだけではない、大地の崩壊により失われた命もあったはずだ。

 何万のマイケル、と言っていたが、それだけの数の世界が試されてきたということでもある。“ひも”の世界はいくつともなく滅びたことだろう。それらはすべて、お前の指示でもたらされた」

 彼は口を閉じた。星々を豊かに湛える瞳は、ボクから外れることがない。

 世界を救うため仕方がなかった、なんて言い訳をするもりははじめから無いんだ。ボクは極めて落ち着いた調子で答えていった。

『少し訂正させてもらおうかな。大地の神を動かしたのは地核ネコさまじゃない。噂を広げたんだ。大地の神が不安になって神世界鏡を使いたくなるような話をね。“たまたま”話を立ち聞いた風ネコさまが面白がって神々に言いふらすと、たちまちのうちに大地の神の耳に入ったよ。噂というやつは恐ろしいものだね。罪となるのも頷ける。

 それと、メロウ・ハートにピッケを留めておくように“御告げ”をしたのは時の女神さま。シエル・ピエタ出身のカラバさんにはてきめんだったみたいで、誰に悟られることなく、あのつらい役目を果たしてくれたよ』

 本当はもっとあるんだけどね。雪を止めるよりも、大地をそそのかすよりもずっと以前にさかのぼって仕組んだことが。

『あとは概ね正解だ。ボクは拡大する大渦の対処といって、あちこちに手を回した』

 怖い思いをさせ、痛い思いをさせ、つらい目に合わせてしまったネコや神は、数で表すには偲びないほど。頭の中にはみんなに対する懺悔の念が、いまさらながらにどうと押し寄せてきていた。どう償えばいいのか見当もつかない。殴られても文句は言えないよ。

 ただ、返ってきたのはやけに軽い声だった。

「さも当然のように言って外したな」

 虚空が言うと、

「いきなりダメ出しだもんなぁ。厳しいよねぇいつかの茶色も」

 果実が笑う。

 やかましい、と言いつつ灼熱も小刻みに震えている。さすがに茶色はしおらしかったものの、ヒゲはぴこんぴこんと跳ねていた。

 呆気にとられているのはボク1匹だけらしい。

『なんでわらってるの?』

 すると目の端を拭いながら4匹がこちらを向いた。

「なんだ、責めるとでも思ったか?」

 バカを言うなという目。

「個の倫理について論じるならまだしも、時代の倫理どころか神の倫理の話なのだぞ? それを『おかしい、こうしろ』というほどマヌケではないわ。ワシらにとっては途方も無い与太話でしかない。見とらんし、知っていたとしてもどうにもできんことだ」

「それにさぁ、このナヨナヨ茶色がぁそこまでしたってことはさ、そこまでしないといけなかったってことだもん」

 灼熱と果実に頭を撫でられ、茶色は複雑そうな顔でされるがままになっていた。そこに虚空の手も加わる。

「誰に分からなくとも、俺たちだけには分かることがある。たとえ不出来でも、涙を流しながら産んだ成果を貶めるのは、猫でなし以外の何物でもないよ。想像力の欠如にもほどがある」

「いつかの茶色。お前にはすべての茶色が集まっておると言っておったな。だとしたら、どれほどのものを抱え込んできたか。それこそ罰を受けた神々と同じような……」

 うつむく灼熱と、瞳を潤ませる果実たちに、不覚にも息が詰まった。けれどすぐに、湿った空気を嫌った灼熱が口を持ち上げる。

「だがせっかくだ、ワシらのした苦労の分くらいは払ってもらおうか」

『殴る?』

「バカをいえ、お前を殴りつけたところで拳を痛めるだけだ。それよりも」

 灼熱はとつとつと部屋の中を歩いていくと、さっきまで見入っていた分厚い本を棚から一冊抜いた。それを開いて目を落とす。そして、

「神の真似事をしてきたのだから……分かっとるだろう?」

 パタリ、と本を閉じ、それを掲げて見せた。果実と虚空も顔をほころばせて頷いた。

 ボクは、察しの良すぎる彼らを、本当に子ネコだろうかといつものように評そうとして途中でやめた。子ネコか成ネコかでくくるのはもう失礼だろう。

 彼らはもう、立派なネコなんだ。

 ボクはとびきりの敬意で彼らに応えたよ。

『約束するよ』

「ならばいい」

 ぶっきらぼうな言い方だけれど、だからこそ心地良い。ボクからすれば大昔に一度だけ味わったことのあるその感覚。彼らとの時間をもっと持てたのなら、きっとすぐに打ち解けた話ができるだろう。懐かしさに浸る時間がもう少しあればなとも思う。

「では、帰り方を教えてほしい」

 覚悟を浮かべた顔はひとつじゃなかった。

 ボクは短くない沈黙のあとで、

『願えばいい。戻りたい場所を思い浮かべてね』

 そう言い残し、席を外そうとした。

『あとはキミたちだけで――』

「いいや、おってくれ」

 瞳は力を持っている。

「見送ってくれ」

 4匹のマイケルたちは小さな輪を作り、はにかんだり、ぎこちなく牙を見せたり、肘でつっつき合ったりしながら、心の波をちゃぷちゃぷと掛け合うように、わずかな時間を惜しんでいた。

 かたわらにすり寄ってきたマークィーを撫でていた茶色が、「じゃあ」と声にする。か細い言葉はそれ以上続かなかった。

 そしてマイケルたちは目をはしらせた。

 目配せを3度、それぞれが視線をぶつけ合う。

 4匹はその場でくるりとうしろを向いた。

 しっぽが持ち上がりクロスする。

 一点で交わった。

 それは芯へと響く一撃で、雷撃よりも激しく身体を痺れさせた。見ていただけのボクがそうなんだから、彼らの中にはいったいどれほどの衝撃が駆け抜けただろう。

 衝撃は、さまざまの想いを『時別れの書斎』の宇宙に振りまいた。

 怒りと悲しみ、理不尽に向けられた恨み、苦悩の果ての喜びと笑顔、心揺さぶる成ネコたちの背中。言葉では表せないことまでひっくるめて、あわあわの世界で得てきたすべてを凝縮した、濃密な痛みが芯へと突き刺さる。

 これだけのものが魂に刻まれないとしたらそれはウソだろう。

 痛い。忘れない。ありがとう。また!

 背を向け合い、目をつむって笑う4匹のマイケルを、ボクはこの目に焼き付ける。

 彼らの顔は最後の最後、ぐしゃぐしゃに歪んだ。そして跡形もなく消えたんだ。

 ボクは溢れてしまいそうな想いを、少しだけ漏れた嗚咽と一緒に、すばやく飲みこんだ。

 なにせ宇宙の真ん中には、頭を真っ白にしている自分の姿がまだ残っていたんだから。

コメント投稿