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逃げ込んだ獲物を捕るために、暗い隙間に手を突き入れて滅茶苦茶にまさぐる。ネコがよくする動きだ。
垣根の向こうからなだれ込んできた“鎧”『ネコソルジャー・デス』の大群は、窓を突いて家の中をかき混ぜた。
争いの廃棄物が殺到する。
大戦で出た世界中のゴミが、自分たちの家に流し込まれているようだと、2匹の兄弟は頭のどこかで感じていた。
中から悲鳴は零れてこない。
割れたガラスの音を聞いた幼ネコたちは「なんだろう」と不思議がるよりも早く”圧縮消毒弾”で頭を貫かれていたのだ。
代わりにサビネコ兄弟が叫んだ。
ハチミツは、持っていくんじゃねぇ、と“鎧”の流れの中に飛び込んで、コハクも、居場所はそっちじゃない、と悲痛に喉を裂いた。
怒り、悲しみ、思い出、驚き、後悔、喜び、やるせなさ、呆れ、嫌悪、無力、恐れ……内臓をひっくり返してその中にあったありとあらゆる感情をごちゃ混ぜにしてぐらぐらと煮込んでぶちまけたような2匹の咆哮。
しかし『争いの廃棄物』たちは止まらなかった。“使い尽くす”ことこそが使命だと、子ネコたちの亡骸をその“鎧”の中へと収容し、粉々になるまですり潰して燃料へと変えた。
ごくり。
ネコだったものが躯体の隅々にまで行き渡る。
”ああ。これでまだ動いていられる”
声が聞こえてくるようだった。
威勢よく流れに飛び込んだ兄弟は、しかし圧倒的な物量の前に為すすべもなく膝を折った。それは大型ダンプに山と積まれた鉄くずを、勢いよく荷台から滑らせ、その下でまともに受けたようなものなのだ。普通のネコならその重量と硬さとで潰されて終わりだっただろう。けれどサビネコ兄弟には、すり傷ほどのケガもない。
鎧に乗ったあの子ネコの魂が救ってくれた。
などと都合のいい解釈ができるほど、現実から目を背けられていれば少しは2匹も救われていたのかもしれない。保護対象としてプログラムされていただけだ。
その後、ネコソルジャー・デスは、清々しいほどあっさりとその場を引き上げ、夏の朝日の輝きに消えていく。
早朝5時。
夜は明けた。
ネコたちの活動に間に合わせた完璧な仕事だった。
かたや、取り残されうちひしがれる2匹のネコに、窓を壊されぽっかりと口を開けたその家がこう告げる。
お前たちのせいだろう
と。
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最終的に1000匹以上の『ピサトの残り火』が、わずか数文字の命令変更で殺された。
中には、ピサトとして育てられたわけではなく、ただ施設で出されたものを食べていただけの子ネコもかなりの数いたという。サビネコ兄弟は上がってきた調査報告書に目を通し、それをぎちりと握り、手を震わせた。これでは『残り火』というタグをつけて殺して回っただけではないか。
にもかかわらず、である。無断でネコソルジャー・デスの命令を書き換えていた補佐官ネコの処分は数日の謹慎とわずかな減給という、この上なく軽いものだった。
当然といえば当然か。補佐官ネコの後ろには治安維持ネコ部隊の上層部だけでなく、政府高官ネコおよび民意までがついていたのだから。暗闇に対する不安や恐怖は、いつのまにかネコたちの心に鬼ネコをうみつけるものらしい。
怨みである。
怨みというものはいつまでも熱を持ち続け、肉の内側から焦がしていく。あの子ネコたちを『残り火』などと呼びながら、本当に燃えていたのは身の内だったというのだから笑えない話だ。
サビネコ兄弟は授与された勲章を投げ捨て隊服を脱いだ。
喜びに湧く街の声を聞きながら、2匹は垣根の崩れた庭の前でひた踊る。元よりもきれいに修繕された窓に向かって、あの頃と同じく、自分の形を探すように筋繊維の一本一本にまで意識を注ぎ、さらに磨きをかけた踊りを踊っていた。
しかし、いくら踊っても、踊っても踊っても裸になって踊っても……あの頃のように心が鎮まることはない。
してやれる事はまだあったはずだ、と。少なくともあの子ネコは見る向きを変えていた、と。常識という種はまだ芽を出したばかりだったのだから、と。
踊れば踊るほど影が濃く、ついて回る。
『大抵の奴らは『ソイツも似たような花を咲かせてるんだろ』って勝手に決めつけちまってる。そんで、自分の知ってる常識とかけ離れた事をすると、血相変えてハサミを出しちまうんだ。チョキンと切っちまえば同じ花が生えてくるだろう、なんて思ってな』
2本の指を打ち合わせるフレイルの姿が浮かんでくる。
『だがな、目を凝らせば見えてくるもんなのさ。そいつがどんな光を浴びて、どんな水を飲み、どんな肥料を与えられてきたのかを細かく見ていけば、その見えない花が見えてくる』
だからよ、と祖父ネコは2匹の名前を呼び、真正面から語り掛けたのだ。
『『こいつの花は俺と違う』って思った時、カッとなってハサミを持ち出しちゃいけねぇぞ? 切り捨てるのは簡単だけどよ、大事なのは与えてやることだ。”違う”のなら”育て直す”くらいの気骨を持て。お前たちの持ってる”肥料”をたっぷりと分けてやって、同じとこに並んで根を張れるようなやつにしてやりな』
見えていたはずのものに向き合わず、手っ取り早く終わらせようとした。
まさに報いだ。
その結果、あったかも知れない未来を手にできなかったばかりか、掴んでいたはずの今でさえ、あっけないほど簡単にこぼしてしまっていたのだから。
浄化と言う言葉を使ったネコたちは、洗い落とせない汚れをべっとりとつけたまま、ぶっ倒れるまで裸で踊っていた。
光を失ったその目は祈る。
窓際に倒れたあの子ネコたちが、なんでもなかったように起き上がり、また、一緒に踊ってはくれないだろうかと。
***
――広場には大勢のネコたちがいた。
頭はいやにスッキリとしている。
何かに期待する彼らを見て、サビネコ兄弟もまた淡い期待を抱かずにはいられなかった。
もしもこの先があるのなら、と。
――空が暗くなり地が落ちる。
「「――はあああああ!?」」
2匹の叫びは巨大な穴の中に落ちていく。
彼らはこれから、どのように旅路を歩んでいくのだろう。胸に抱えた願いを叶えられるのだろうか。
兄弟ネコがそれぞれのやり方で、憎しみに歪んだ世界を育て直して歩くのは、まだ、ずっとずっと先の話になる。
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