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あっはっはっはっは!!
茶色いマイケルの家に、お母さんネコたちの笑い声が響き渡った。
普段はもっと大人っぽく「うふふ」って笑うのに、まるで子ネコみたいだ。そんなに大口開けて。虫が飛び込んできちゃっても知らないんだから!
「もう、そんなに笑わないでよー!」
お母さんネコたちは笑い過ぎて、いっそ苦しそうな顔に見える。心配になってくるじゃないか。
「ごめんなさい。でもずぶ濡れで毛をペシャンコにして、ボロボロになった茶色いマイケルを思い出すと……ふふふふふ」
「そうよねぇ、チルたちよりも汚れて帰ってきたのなんて、いつ以来かしら」
本当はね、茶色いマイケル自身分かってる。玄関に据え付けてある大きな姿見で見たんだもの。
毛もヒゲも垂れちゃっててさ、ちっちゃなおじいさんネコが立っているみたいだったんだ。そんなの……。
「あ、茶色いマイケルちゃんも笑ってる!」
「わ、笑ってないよう!」
ムキになった声は笑い声そのものだった。
3匹はひとしきり笑いあい、お腹を休ませたくて紅茶の湯気を吸い込んだ。その時にね、お母さんネコがポツリとこういったんだ。
「今年はどんな物語を聞かせてくれるかしら」
物語。
茶色いマイケルはいくつもの絵本を思い浮かべる。本棚に並んだ様々な背表紙が空中に投げ出され、触れてもいないのにパラパラとめくられた。
そこには何度読んでも心躍る冒険の話が綴られている。遠い世界の夢見るような物語がいっぱい。
だけど。
『今年はどんな物語を聞かせてくれるかしら』
一つの本が開いた。
今までに見たことのないその本には、茶色いマイケルたちの見た、あの美しい銀世界が描かれている。
チルたちがいて、太っちょ子ネコがいて、女の子子ネコがいて……あの日シロップ祭りで出会ったすべてのネコたちが、その本に載っているんだ。
物語。
そうか、ボクは物語をお母さんネコに聞かせたんだ。
茶色いマイケルの瞳に、外からの光以上の輝きがともる。全身の毛が風に撫でられたように波を打った。
ねぇ、この子ネコはどんなことを感じたと思う?
物語の主人公になれると思ったのかな? かっこよく敵をバッタバッタとやっつけたかったのかな?
そうだなぁ。
茶色いマイケルはね、こんな風に思ったんじゃないかな。
今年もきっとすごい物語が待っている。雪さえ降れば物語が降ってくるんだ、ってね。
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笑い声が静まり、家の中が落ち着きを取り戻した。
一区切りついたかなと思った茶色いマイケルは、ティーカップやソーサーを流し台に運ぶ。薄い食器は割れやすいから慎重に運んだよ。
チルたちのお母さんネコは、ふきんを絞ってきてテーブルを拭いてくれていた。
お母さんネコはじっと座っているはずだった。
ガタッ。
床の軋む音がした。少し強めに足を踏みこむ音。別に変な音じゃない。日常生活にはありふれた音で、出そうと思えばいつだって出せる音さ。ちょっとよろけるだけで簡単に。
茶色いマイケルは流し台の方を向いたまま、耳の向きに注意した。そっち側に向いてしまいそうになるのを我慢したんだ。
家の中が一瞬、静けさに沈む。打ち消すように、水道の蛇口をひねってジャバーっと水を出した。
背中から伝わってくるのは安堵の雰囲気だ。2匹はホッとして、胸をなでおろしたらしい。
良くないみたいね。
流れる水の向こう側に、チルたちのお母さんネコのかすかな、本当にかすかな声が聞こえた。下手をすれば隣にいても聞こえないくらいの小声だろう。耳がそっちを向いていないなら、なおさら聞こえるはずもない。
だけど、茶色いマイケルは耳の神経を 研ぎに研いで研ぎ澄まし、気遣うようなその声を拾った。
そして、二匹に聞こえるくらいの音量で、鼻歌を口ずさんだ。二匹は会話を再開する。
「雪が降る前に行けてよかったわね」
「ええ。だけど降ってからでもよかったわ。猛吹雪だってかまわず駆け回る、そんなところがいいの」
「ふふ。雪が降ったらひょっくり出てきそう」
「そうね、だから毎年雪が降るのを楽しみにしてる」
ティースプーンを洗い流し、食器かごに立て掛ける。手に泡がついていないか ようく確認してからタオルで拭った。
「ねぇ、チルたちのお母さんネコ。チルたちは家にいる? ボク遊んでくるよ」
十分に時間をかけて振り返ると2匹の親ネコは、
「ええ、家にいるわ。そろそろ退屈して遊びたがっている頃でしょうね。お願いできる?」
「チルちゃんたちによろしくね」
と、さっきまでと変わらない、ゆったりとした笑みで言葉を返した。
「うん、ボク遊んでくる!」
見上げると同時に時計が鳴った。姿見に写った自分を見て、茶色いマイケルは両手でほっぺをつねった。
チルたちと遊んでくれば何か起こるかもしれない。あの子たちと一緒だと色々なことが起こるからね。
「楽しみにしてて、お母さんネコ!」
お母さんネコは「?」と首を傾げてから、
「あんまり遅くならないようにね」
と手を振った。
***
そして今。
見晴らしいい屋根の上。
雪の降らないシロップ祭りの朝。
あの日のお母さんネコを思い出した茶色いマイケルは、広場を見て、空を見る。
一つの雲もない冬の薄空を、悠々と 気持ちよさそうに泳ぐ鳥。
物悲しい子ネコの鳴き声が、冷たい風にのまれて消えた。
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