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リーディアの実の入ったシチュー鍋は、次々と交換されていった。
全てのネコが何杯かのおかわりを終えた頃、赤サビさんとカラバさんと、それからピッケが舞台の真ん中に立ったんだ。しばらく何も言わずに立っているばかりだったから、みんな段々静かになっていったよ。
「今日、お前らを呼んだのは、花を見せるためでも飯を食わせるためでもねぇ。いや、それも理由の一つっちゃ一つだけどよぉ、もっと大事なことがあるんだ」
メロウ・ハートのネコたちだけじゃなく、3匹のマイケルたちも耳をピクピクっと動かした。そんな話は聞いてなかったんだけどなぁ。
「まずこいつを見てくれ。さっきお前らに花の咲くところを見せたガキネコだ。見ての通りちっさくて、今のこの街にいていいような歳じゃねぇ。とぼけた頭で街を徘徊してたお前らでも、ボロ切れをかぶったコイツがうろちょろしてんのは視界の隅にでも入れたことはあんだろ。そいつだ。んで、こいつはあの『甘い夢』と『黒錆び』の子供ネコだ」
ネコたちに驚く暇も与えずに、赤サビさんはピッケの纏っていたボロ切れをはぎ取った。
「えっ」
「ぬっ」
ピッケはカラバさんに背中を押されて一歩前に出る。
「メロウ・ハートの皆さん、はじめまして。わたしの名前はピッケと言います。今、赤サビのおじさんから紹介してもらったように、わたしは、皆さんが『甘い夢』『黒錆び』と呼ぶネコたちの、娘ネコです」
言い終わると同時、通り雨みたいに舞台下がざわついた。決してみんな好き勝手にしゃべっていたわけじゃないんだけど、驚く声が重なり合って空気が震えたんだ。ちょっとうるさい2匹もいたんだけどね。
「女の子ネコだったの!?」
「三毛猫だったのか!?」
茶色いマイケルと灼熱のマイケルは顔を見合わせ、
「「ん?」」
と目をぱちくりさせた。
「三毛猫なのは別に変じゃないでしょ! それよりも女の子ネコっていう方がびっくりだよ!」
「何を言う! お前がサビネコサビネコってずっと言っておったからサビネコと思っておったんじゃないか! 雄ネコか雌ネコかぐらいでガタガタ騒ぐな! それよりも自分の発言には責任を持て!」
「ちがっ、だって顔しか見えなかったんだもん仕方ないでしょ! 迷路街はサビネコたちの街って聞いてたからてっきりピッケもそうだと思ってんだよ!」
ニャガニャガと騒がしい一角に、
「おいガキども、今そんな話してねぇだろ、クソどうでもいいんだよ! 黙ってやがれ!」
と赤サビさんの一喝。2匹はしゅんと黙った。遠くで「あふふ、うける」と果実のマイケルの笑い声が聞こえ、灼熱の拳が固く握られる。
ボロ切れを取ったピッケはまるで別ネコだった。
顔は確かにサビネコなんだけど、薄手の衣装からのぞく毛にはクリーム色の部分が多いんだ。体つきもしなやかで、舞台映えするっていうか、本物の女優ネコさんみたいだったよ。
でもそれだけじゃない。怒られてヒゲを垂らす茶色いマイケルたちの姿に、苦笑いを隠せないでいたピッケが、瞬時に目つきを変えた。
「わたしは父ネコの病を治す薬を求めてこの街へ来ました」
ネコたちの耳が引き込まれるようにピッケの言葉へと向く。
「街の変わりようは聞いていましたが、実際に目にすると胸が苦しくなりました。壊れた建物、彷徨うように歩くネコたち、ケガにケガを重ねるのを何とも思わないようなケンカの声が夜の街に響いて、そしてみんなマタタビで夢を見ようとしていました」
胸の前で肉球を握る仕草に合わせて、観客ネコたちも身を縮めて背中を落とす。
「わたしもその中の一匹です。わたしも、この荒れた街の空気に飲み込まれていました。楽な方法で目的を果たそうとしたり、『すべてを変えられる、元に戻せる、しかもお手軽に』という甘い話に飛びつこうともしていたのですから」
視線を下げると上まぶたが傘になって、彼女の目が隠れてしまう。ちゃんと見たわけでもないのに潤んだ瞳を想像しちゃうんだ。それだけで心が締め付けられそうになるよ。加えて茶色いマイケルたちはこの街に来てすぐのことを思い出していたから、なおさらさ。
「とっても怒られました」
パッと顔を起こすとピッケは笑っていた。眉尻を下げて困ったように。
「『寄ってたかって』って言葉がすごく耳に残っています。その時は、世界中でわたしだけが否定されてる気になって、「耳を傾けるもんか」ってずっと下を向いていました。だけど、どうしてだろう、後から後からじわじわとしみ込んでくるんです。わたしにも分かるような怒り方だったし、筋が通っていて、思いやりもたくさんこもっていたし、納得できた理由はいろいろあって……」
彼女はそこまで言って首を横に振った。
「ううん、どうしてかは分かっているんです」
それは、と言葉を溜めた。
ゆっくりと、音のしそうな瞬きをした。
口元に笑みが咲く。
「それは、美味しいシチューをいっぱい食べたから」
そう彼女は言った。言って、苦しくなるくらいに満面の笑みを見せたんだ。
「わたしが怒られている時、ずっと庇ってくれていたネコさんがいたんです。きっとそのネコさんだって、私の考えてたことに賛成してくれてたとは思いません。だけど、ずっと庇っていてくれた。ずっとわたしの味方でいてくれた。その時は逃げ出しちゃったけど、後で一匹考えてたら、きっとそれが、わたしにとってのシチューだったんだろうなって、そう思ったんです」
続く言葉はネコたちの顔に疑問符が浮かぶよりも早い。
「おいしいシチューをお腹いっぱい食べると涙が出てきます。きっとそれは心が満たされたから。塞いでいた耳から手が離れ、聴くまいとしていた助言がすっと耳に入り、前を向いて歩く気持ちが湧いてくるんです。それをわたしは、わたしよりも少しだけ年上のお兄さんネコたちから教わりました」
彼女の視線が茶色いマイケルたちのいる方を向く。突然のことだったからさ、茶色いマイケルは慌てて目を伏せちゃった。ちょっとだけ鼻の先がつんとしてたんだもん。
「わたしは、お父さんネコを連れてきます。元々ここに住んでいた他のネコたちも一緒に。この街に、また」
「黒錆び……」
「黒錆びがまた……」
「来てくれるのか……? しかしもう……」
わっと舞い上がった砂埃のように、ネコたちの意識が散った。それもまたピッケの肉球の上だったのかもしれない。彼女がにっこりと笑うと、たちどころに目を惹くんだ。前よりもずっと強く、彼女を意識する。
「お父さんネコを連れてきて、みんなと一緒にこの実を植えます。悲しい瓦礫を土に変え、大地を肥やして実を育てましょう。その実はわたしたちネコのお腹をいっぱいに満たして、心を豊かにしてくれます。そうして心が豊かになれば、また、ここで、この場所から、きっと――」
芸術都市メロウ・ハート
その街の始まりは一匹のサビネコの教えた歌と踊りだった。
『夢見る未来のなかったネコたちにとって、どれ程の潤いとなったのか』
カラバさんの語りが聞こえてきそうだよ。
この先のメロウ・ハートがどうなるのか、それはわからない。ピッケのお父さんネコや迷路街の難民ネコたちが来てくれるのかも分からないからね。
だけど茶色いマイケルたちには、ピッケやカラバさん、赤サビさんにバイクネコたち、そして傷ついたメロウ・ハートのネコたちの心が満たされていくのをその場所で感じていた。
きっと溢れるよ。小さじじゃすくい切れないくらい、いっぱいの豊かさでさ。
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