穏やかな色で塗りかえられていく空。
薄いカーテンをサーッと閉めるように、そこにあったものすべてが押し流されてしまった。
黒雲、雷、大渦、炎、礫、隕石……。それらが寄せられ、詰められ、転がり、ひしゃげ、潰れて、霧散しながら、大空の端へ端へと送り流されていく。
後に残ったのは頂上にいる3匹の神ネコさまと、クラウン・マッターホルンだけ。とはいえクラウン・マッターホルンの被害は甚大で、刃のように美しくあった雪陵は、見るも無残に毀れてしまっている。雪もなく、むき出しになった岩壁は厚くこびりついた錆みたいだ。
『……力がいるな』
聞き覚えのある冷たい声に振り向けばもう1匹、頂上からは少し離れたところに神ネコさまがいた。銀色の神ネコさまだ。どうやら結構なところまで流されたらしく、頂上に戻る途中らしい。ただ、その視線は茶色いマイケルたちの方へと向いていて、そう気づいた次の瞬間、
『誉めてやる。返せ』
銀色の神ネコさまは虚空のマイケルの目の前にいた。
声にぞくりとして跳ね起きた茶色いマイケルだったけど、そっちを見た時にはすでに終わっていたよ。虚空のマイケルが驚愕の表情を向けたその先で、銀色の神ネコさまが、重いネコパンチを叩きつけられた粘土みたいにグシャッと潰れていたんだ。
『お前はあっちだろー。ざーこ』
『か、かぁぁぜぇえ、きききさまぁあ!』
『なに言ってんのかわかんねーなー』
潰れた銀色の神ネコさまは唯一形の残っていたしっぽを立てると、何事かを叫びながら落ちていった。何を言ったのかは茶色いマイケルにも分からなかったけれど、変化はすぐに起きたよ。急に暗くなったと思い空を見上げてみれば、
「え、あ、あれ、避けようがなくなぁぁい!?」
空を覆いつくすほどの隕石群が、茶色いマイケルたちに向かって灼熱しながら落ちて来ていたんだ。
だけどそれも、
『返すぞー。受けとれー』
風ネコさまの一声で、銀色の神ネコさまの落ちていった方へと向きを変え、山のあちこちへと降り注いだ。衝撃で土砂が水柱のように立ち、火の手が上がり、黒煙が広がっていく。木々の倒れる音や動物たちの鳴き声が混ざり合って悲鳴のように聞こえた。
拡大していく被害に茶色いマイケルは、頭を働かせようと頑張ってはみるんだけどうまく回らない。全身の血が凍ったのかと思うくらい悪寒がして、毛がぶわっと膨らんだ。そこへ、
『あとちょっとなんだけどなー』
とつぶやき声が耳に入ってきた。
『でもなー。うーん、他になにかねーのかなー』
風ネコさまもまた、何ごとか向きの定まらない考えに悩んでいるらしい。矢印をグルグルと回すようにあーでもないこーでもないと言っていた。
『やーっぱこれしかないのかー』
だけど最終的に、
『おい、ネコ』
矢印は茶色いマイケルへと向いてしまったらしい。
『もう雪も無くなったしよー』
ギクリとする。思い出したのは谷底に落ちた時のこと。そして雷雲ネコさまに吹き飛ばされた時のこと。この神ネコさまはやけに雪にこだわっていた。そしてもう一つ、
『約束も終わりなんだよなー』
そう、約束。何のことかはわからないけれど、その二つがあるから助けてくれているようだった。だとすれば……。ちらりと山を見る。
茶色いマイケルは毛の抜けていくような感覚に陥りながらも、必死で言葉をひねり出そうとした。
「え、か、風ネコさ」
『でもよー、やっぱ怒られるかもしれねーからさー、いーこと教えといてやる』
ふと声の感じが柔らかくなって油断した。「いい事ってなんだろう。でもよかった、悪い事じゃなくて」なんて気を抜いてしまったんだ。その瞬間だった。
跨いでいた『風の獣』の感触が無くなった。
風ネコさまは、宙に投げ出されてポカンとしている子ネコに一言、
『お前がやれば他のネコはやらなくてすむぞー?』
と、聞いた事のないくらい真面目な声で言ったんだ。それからすぐ、
「なっ、これはっ!」
「うわあああっ!」
「茶色っ、何がっ!」
3匹のひどく慌てた声がして、心臓が跳ね上がる。風の獣を消されたのは茶色いマイケルだけじゃなかったらしい。
「か、風ネコさまっ、みんなはっ……!」
爆風で飛ばされた時よりも必死な声だったはずだ。だけど返事はなかった。もちろん変化もない。
「そん、な……」
身体を強張らせたまま落ちていく茶色いマイケル。
その様子を見ていたのか聞いていたのか、
「ま……さか……これを……」
そして灼熱のマイケルが怒声をあげた。
「……神め、神めっ、神めぇっ!!」
かち合った瞳には悔しさがありありと滲んでいた。雷雲ネコさまを煽りすぎてしまったことへの後悔か、あるいは風ネコさまを頼ってしまったことへの後悔か、それとも――これから迫られる選択への後悔なのか。どれだろう。察しの良い灼熱のマイケルのことだから、全部かもしれない。
選択。芯。そして、大戦。
それに気づいた子ネコたちは一瞬で憔悴してしまったよ。
そりゃあそうだろう、ネコ鉄砲の引き金を握らされたようなものだからね。しかも、今終わるかあとで終わるのかの2択っていう。
ただ、選ぶまでもないって思えたのはラッキーだったかも。みるみる困っていく子ネコたちを見て、茶色いマイケルは一足早く覚悟を決めたよ。
みんな優しいからきっと、ためらっているうちに芯を使ってしまうだろう。そしたらきっとすごく……。だったらやる事は一つだ。風ネコさまに言われるまでもなく――やるしかない。
茶色いマイケルは前を向く。
「みんな、ボクに続いて」
落下の風の中、茶色いマイケルは声に出してはっきりと言った。聞こえているはずもないけれど、何を言ったのかは伝わったらしく、3匹の視線が一斉に集まる。目と口が大きく開かれ「待て!」と聞こえてくるようだった。
だけどそれを振り切った。
そして、茶色いマイケルは誰より早く芯に力を込めた。
浮遊感が消える。耳に飛び込んできていた風の音も同時になくなる。
ふわりと、子ネコが宙に浮かんだ。
ああ……。
実感なんてすぐには湧いてこないらしい。だから茶色いマイケルは、ぎゅっと手を握って固い拳をつくったよ。
後悔するのは、きっとこれからなんだ。
コメント投稿