(110)9-3:話を聞いて。

***

 大空ネコさまの右隣に、重々しい足取りでライオンが歩み寄る。

 ゆさっ、ゆさっ、と紫電のたてがみを揺らし、無感情に眼下を見回した。

『話にあったネコたちですか』

 礫ネコさまと、それをとり囲む子ネコたちと神々と。

 雷雲ネコさまの視線はスーッと流れていって、子ネコたちのうしろの岩場を転々としたあと、ため息とともに足元へ落ち着いた。

『おい、お前たち。経緯は知らんが地核の神から奪ったものがあるのなら出すがいい。我らから返しておいてやろう。そうすればお咎めもあるまい』

 大空ネコさまの頭越し。にもかかわらず文句を言う神さまはいない。みんな聞き耳を立てて子ネコたちの返事を待っていて、茶色いマイケルは今だと思った。

「大空ネコさま。地核ネコさまを呼び出すのをやめて欲しいんだ。なんでかって言うと受け渡しの時――」

『それは、あのネコから聞いたのか?』

 地滑りみたいな声が押し寄せて、勝手に口が閉じてしまう。

『残念だな。これが我々にとってどれほど重要なことかと彼にも教えたはずだったのだが、ペラペラと話されてしまうとは。やはり裏切ったか』

「違っ、そんなこと――」

『これではどこへ話が漏れているか分かりませんな。我らを妬み、妨害を企む者もいないとは言い切れませんし、見回りを強化しておかないと』

「おい話はまだ――」

『地核の神もやがていらっしゃいます。交渉の場に遅れて行くのは得策ではありませんから、警備の段取りは私がいたしますので、大空の神は現場へお戻りください』

「大空ネコさまぁ! マルティ――」

『やかましい』

 地の底から湧き上がった音に身体は痺れ、目の奥にバチッと火花が散り、前のめりになっていた頭が跳ね上げられた。

『そうだね。でも、このネコたちはどうするの? 礫ちゃんがやられてるんだ、見過ごせないなぁ』

 大空ネコさまに向き直った雷雲ネコさまは、捕獲という流れで話を進めていった。捕まえてから尋問なり制裁なりを与えればいいでしょうと。淡々と。

 まるで相手にされていない。

 少しくらいは耳を傾けてくれると思っていた。スラブの上で会ったときも親しげだったし、話に持ち込むことさえできれば説得できるかも……なんて。甘かった。口すら開かせてもらえない。意気込んできたのに情けない。風ネコさまやコドコドたちと会話できていたことが不思議でたまらなくなるくらい、神さまとの隔たりを感じたよ。

『話を聞いてくれないか』

 ふと、落胆する茶色いマイケルの耳のそばから声がした。岩の上にいる神ネコさまたちが口を閉じ、揃ってこちらに視線を向ける。

『ええと……君、誰かな』

 オセロットは訝しがる大空ネコさまの問いかけには答えずに、

『あなた方はこれから何が起こるか分かっていない』

 と訴えた。返事は『あはは』ではじまる。

『あたり前じゃないか。分からないからこそ考えて、選ぶんだ』

『その選択が誰かを裏切り者にするとしてもか』

 茶色いマイケルは、一瞬で気味が悪いくらい軽くなったオセロットを慌てて止めようとしたけれど、すぐに大空ネコさまの声圧に口を閉ざされる。

『裏切り者って、僕らのうちの誰かがかい?』

『雷雲の神だ』

 静けさが目の前を走り去ると、たちまちのうちに笑い声が岩上から降り注ぐ。

『君、おもしろいね。内容はともかくそんな発想に至った理由を聞きたいな。まだ何にもしてないのに、どうしてそんな事が分かるのさ』

『俺からは詳しく話せないがこのネコたちが』

『あはは。ねぇ、ふざけてるのかな。雷雲ちゃんを裏切り者呼ばわりした上に、礫ちゃんをいじめてたネコの話を聞けって? 聞いたとしてその後はどうするの。信用しろとでも言う気かな』

『それでも』

『こんな何者かも分からない神の言うことなど信じられませんよ』

 ボブキャットの嵐ネコさまが面倒くさそうに口を挟んだ。他の神ネコさまも似たようなもので、雷雲ネコさまもフフフと静かに笑い、特別な反応はしなかった。大空ネコさまは『はいはい話は終わりね』と大げさにため息をついてみせる。いや、つこうとして止まった。

 それはフードをひっぱり、しゅるりと頬を撫で、軽やかに子ネコの左肩へと飛び乗った。

『風ちゃん』

 大空ネコさまはその時初めて岩の下に顔を向けたよ。ただ、視線の先で風ネコさまは一言もしゃべらない。目を合わせようともしなかった。

『風ちゃん。このネコたちは僕らの仲間を傷つけたんだ。弱いものに手を出したくはないけれど、だからと言って、弱いほうが一方的に攻撃していいわけじゃないでしょ?』

 数秒、黙って返事を待っていたけれど、風ネコさまは毛づくろいをするばかりで視線を合わせる気はないらしい。ふあ、とあくびまで。

 それを目にした大空ネコさまは、ぷっつりと糸が切れたように風ネコさまから目をそらす。

『あとは雷雲ちゃんの言うとおりに――』

『大空の神よ』

 声は、茶色いマイケルたちの後ろから聞こえてきた。

 地面に突き立ついくつかの巨石の一角だ。支えあう岩と岩の下に横たわる、2つに割れた岩石の影から、ひとまとまりの神ネコさまたちが歩いてくる。

『大将!』

 ぴょんと飛び出したジャガーネコに、先頭を歩いていたウンピョウがうなずいた。雲の神さまだ。その後ろにはライガーフォルムの大河の神さま、木目ジャガーの樹木の神さま、2匹のチーター月明りの神さまと泡の神さまが続く。

『やあ雲ちゃん。何してたの、早くこっちに来なよ』

 ホッとしたような声だった。他の神さまたちもガヤガヤと気を緩めて『こっちこっち』としっぽを使って招いている。ただ、

『大空の神よ、このネコたちの話を聞いてやってはくれまいか』

 その一言で明らかに空気の密度が変わったよ。神ネコさまたちのしっぽの揺れが怯えたように遅くなり、視線がそっと大空ネコさまの方へと向いていく。

 大空ネコさまはジリと音を立て、

『雲ちゃん。もう一度いうね――』

 ――早く、こっちに来なよ。

 茶色いマイケルのひげが震えた。

 神ネコさまたちの重心が前に移る。岩のトンガリに登っていたオオヤマネコは岩上に降りてきて、ボブキャットは大空ネコさまの顔色をうかがったあと、「いいから来い」と言うように頭を振って雲ネコさまに合図を送る。灰色の雲を器に宿した雨雲ネコさまは緊張に身を縮めた。

 雲ネコさまは無言で茶色いマイケルに並んだ。

『戦争でも始めるつもりなの?』

 空気の塊が圧しかかる。足が地面に2センチ埋まった。

『それもいーんじゃねーの?』

 今度は、風ネコさまが宙を歩いて前に出た。すると子ネコの身体も軽くなる。

 にらみ合う神さまと神さま。

 頭の中を高い音がキーンと通り過ぎていく。内臓の千切れてしまいそうな均衡だ。息継ぎさえできない。そんな中、

『はぁ……』

 太くて長いため息が辺りに満ちていく。

『争う必要などありませんよ』

 ぐるりを見回すたてがみが、ふさっと揺れる。

『神が争う必要はないのです。風の神が庇うのでしたらそのネコたちの行動にも何か正統な理由があるのでしょう。ましてや我らが同胞たる雲の神もいるのです。だとしたら礫が弱っている理由と合わせて、話を聞いても良いかもしれませんね』

 意外な援護に驚きそちらを見ると、

『だが』

 ライオンの中の黒雲がぎゅうっと捻じれ込み、顔に歪んだ笑みができていく。

『これから行うことは我々の悲願。長らく準備してきたことなので、あなた方の話は終わってからにして下さい』

 その不気味さに、口から水気が消え失せた。

 結局のところ話を聞く気はないらしい。何か言わなきゃ、と思うけれど言葉が浮かばない。雷雲ネコさまは『では』と言って後ろを向いた。ダメとわかっていても思わずホッとしてしまう。その緩んだ空気を彼の声が震わせた。虚空だ。

「雷雲の神よ」

 茶色いマイケルの前に1匹の子ネコが歩み出て、片膝を立てて恭しくしゃがんでみせる。

「偉大なる神直々のご配慮、私どもとしては感謝の言葉もありません」

 緊迫の場に、驚きと弛緩とが奇妙に混ざり合う。そして。

「俺たちは神世界鏡を持っている」

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