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家の中にいたのは26匹。ほとんど口もきけない幼ネコばかりだ。
聞けばこの子ネコたちの暮らしていた施設に、他の施設から一報があったという。
途端、成ネコたちは慌てだし、これから応援に行かなければならないからと、幼ネコたちの中で一番年長だったこの子ネコに、どこかへ逃げるよう言いつけた。建物の中に隠れているという選択肢もあったが、子ネコの頭にまず浮かんだのはハチミツとコハクの顔だったため、まとめて連れて来たという話だ。
――全員、『残り火』なのか。
ハチミツは思う。漠然とした予感はあった。ただ、この子ネコはあまりに普通だった。いやそれ以上に素直で、予感を認めてしまうには距離を詰め過ぎていた。一緒の時間を過ごしすぎていた。
不安そうにサビネコ兄弟を見上げる幼ネコたち。子ネコの方は2匹への信頼からか、すっかりケロっとした顔をしている。ハチミツは、その顔を見ながら祖父ネコの言葉を思い出していた。
『ネコってやつはなぁ、生まれてすぐに”常識”っていう心の種を植えられるんだ』
ああなるほど、と。
そういうことか、と。
フレイルの見ていたものが一瞬自分にも見えた気がした。
サビネコ兄弟は、子ネコたちをなだめるのもそこそこに「飲み物持って来てやるから居間にでもいろよ」と言い残し、台所までの廊下を足早に歩く。
「おいコハク、本部に連絡!」
「ダメだ、繋がらない!」
すでに連絡用端末を開いていたコハクが青い顔で左右に首をふる。「は?」という驚きと怒りとが混じった声を出す兄に、
「本部で通信障害でも起きてるか、あるいは」
と言いながら個人用の連絡端末を開いて他の隊員ネコたちへの通信を試みた。が、ダメだ。繋がらない。ハチミツも試したが全て通信不能になっている。
「おいおいみんなして端末壊れてるってそんなんあるかよ! 大規模なジャミングでもかかってるんじゃ」
「原因はどっちでもいいって! このまま捕獲されたらあの子らひどい目に」
「いや、むしろ抵抗しなければ無傷で連行されるかもしれねぇ。怖がらせちまうのは本意じゃねぇが、下手に抵抗して手足を折られるよりはマシだ。とにかく俺らがまず間に入ってプログラムを」
言葉の代わりに緊張が走る。2匹は弾かれたように駆け出し、廊下を抜けて縁側、そして庭先へと出た。そこから垣根の途切れる玄関の方を見て、
その異様に言葉を失った。
――その姿は資料通りではあった。
”鎧”には、”機械の手”と”機械の足”とが追加されている。機械の手は左右の肩甲骨のあたりから生えていて、機械の足は腰を両側から支えるように生えている。
搭乗者の生きている『ネコソルジャー』は二足歩行で戦い、この『機械の手足』を攻撃補助として使う。
一方、搭乗者の死んでいる『ネコソルジャー・デス』は、この機械の手足で『獣の四足』を再現し、それを単なる移動手段として使う。そう資料には書かれていた。攻撃は『ネコの手』と呼ばれる触手状の物体が別に出てくるのだと。
確かに、”それ”には機械の四足があって、ネコの手らしきものもある。
だが”それ”は――。
資料を文字ベースにすることで意図的に隠そうとしたとしか思えなかった。ネコを、死を、生命を、穢し辱め、貶める、ネコとして受け入れがたい存在。それが今、2匹の眼前にいた。
「獣っつうよりも、クモかゲジゲジか……」
「どっちにしても、その生き物に失礼だね。こんなの”命”として間違ってる。バカにしてるとしか思えない」
『獣の四足』というよりはクモの足。カバっと股を開いて身体を支える姿は卑猥なものを見せつけられているようだ。『ネコの手』はさらにひどい。確かに”触手状の物体”ではあるけれど、そこには明らかに”ナマモノ”が使われている。血液、血管、肉、骨、内蔵。それらすべてを粉々に砕いて一緒くたにかき混ぜたものだと、サビネコ兄弟には一目でわかった。いや、”ひと嗅ぎ”で分かったと言うべきか。
「ありゃダメだ。ガキネコどもに触れさせちゃならねぇ。見せるのもいけねぇ。あんなもん見たら抵抗するなっつう方がイカレてる」
「そうなるとほとんどの『残り火』たちは重症確定だね。まぁ、”花の色”を変えてやるにはちょうどいいかも。この作戦が終わったら学校でも開こうか」
「たっぷりの”肥料”ってやつだな。いいぜ、俺の命ぜんぶかけてあいつらと向き合ってやる。つーわけでコハク」
おう、という返事を待たずに勢いよく地面を蹴った2匹は、吹いてもいない風に押し負けそうになるほどの速度でネコソルジャー・デスに飛びかかった。
そして背中にしがみつき、
「なんだ、こいつ……」
不気味なほどに一切の抵抗を受けることなく、『ネコの手』の生え際にある認証装置に触れることに成功した。そこにある小さな蓋を開けば中には『制御核』があるはずだ。それが緊急停止装置としても機能するのは資料で確認している。
「認証されるまでもなく、俺たちが命令する側ってことは分かってたってことだろうね。”分かってた”なんて言葉、使いたくないけどさ」
「ちがいねぇ」
とっとと止めちまうぞ、と認証装置に触れた。だがそこでネコソルジャー・デスが高速で動き出す。「なんだ!?」と見るまでもない、向かっているのは庭の窓側、子ネコたちのいる方だ。
「おいふざけんななに土足で入ろうとしてやがんだそこに寝っ転がっとけ!」
ハチミツが身体を大きく傾けてコハクもそちらに体重を寄せる。するとネコソルジャー・デスはガニ股に開いた四足の片側を大きく上げて転倒。身体を反転させてひっくり返った。
が、止まらない。上向きに開いた足を逆向きに折り曲げて着地し、再びバタバタとゲジゲジのような歩き方で庭を進んでいく。
2匹は逆さになった胴体部にしがみつき続けた。そのまま制御核の蓋の開くのを辛抱強く待つ。資料には5秒で開くとあった。試したときも大して時間はかからないと思っていた。だが一刻の猶予もない状況では途方もなく長い5秒だ。
「止まれっつってんだろうがっ!」
機械の足を蹴り飛ばし、バランスを崩させるが『ネコの手』が代わりに支えたため止まらない。
「飛ばすぞ!」
「わかった!」
2匹は揃って地面に降りてしゃがみこみ、ネコソルジャー・デスの前足が地面を離れる瞬間を狙って、一気に立ち上がり、全身を強力なバネとして弾き飛ばす。
馬のように前足を高く上げる”鎧”。たたらを踏んだところにさらに潜り込み、ネコ相撲を真似た動きで下から下から押し上げ吹き飛ばしていった。「開いた!」と言った時にはもう蓋の隙間に手を差し込んでいて、ハチミツの指先にスイッチの凹凸が感じられたのと同時、それを押した。
――プシュシュシュシュッ
圧力のかかった音が小刻みに連続する。すると間もなく、ネコソルジャー・デスはゆっくりと”伏せ”をするようにその場に沈み込んだ。
肩で息をするサビネコ兄弟。その胸にはどうしようもない焦りがあった。
「早く止めさせねぇとマズイな。このレベルのヤツがわんさか来やがったら……おいコハク、お前ちょっとひとっ走り隊舎に行って――」
ハチミツは弟ネコの顔を見て、血の気が引いた。
視線は家の方。庭の、窓がある方だ。
「……おい……おいおい……おいおいおいふっざけんなよぉ? 冗談だって言えよぉ!?」
カッとなって立ち上がり、感じたことのない抵抗を受けながら、それでも強引に身体を振り向かす。見た瞬間腰から下の感覚がなくなって崩れ落ちた。そのまま這った。手だけで這って窓の方へと急いだ。ポツポツと小さな穴の開いた、くもりガラスの窓のそばへと。
一瞬だが確かにハチミツの目には見えていた。窓側の廊下、あの子ネコと何匹かの幼ネコが、折り重なるように倒れている姿が。今も、くもりガラスには子ネコの着ていた服の色がうっすら浮かび上がっている。いや、大丈夫だ。麻酔か何かで眠らされているだけだ。そう言い聞かせ立ち上がろうとして、しかしそこへ、
バタッ、バタッ、バタッ、バタッ、バタッ、バタッ、バタッ、バタッ
垣根の向こうから、
バタッ、バタッ、バタッ、バタッ、バタッ、バタッ、バタッ、バタッ
いっそ垣根を押し倒して、
バタッ、バタッ、バタッ、バタッ、バタッ、バタッ、バタッ、バタッ
アレらが群れをなして、
バタッ、バタッ、バタッ、バタッ、バタッ、バタッ、バタッ、バタッ
窓を突き破り、ガラスをまき散らしてなだれ込んでいった。誰よりもそうすることを願わなかったフレイルの家に。彼の教えと忘れがたい思い出の詰まった、サビネコ兄弟の生家に。
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