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神世界鏡は害されることを拒絶するらしい。
第2ポイントで降り注いだ噴石が、全て粉々になっていたということから予想はしていたんだ。
それが確信に変わったのは、第3ポイントで欠片の上に倒れていた虚空のマイケルが、不自然なくらい澄んだ空気に包まれていたことからだった。そう、噴煙やガスも近づけさせないみたい。
「これはいいな。ワシが虚空を担ぐからお前たちは欠片を持ってくれ。これで屋根を作れば視界の確保と噴石からの防御とが一気に出来る」
実際、欠片が無ければ危なかったと思う。そのあとすぐに煙が勢いを増して、結構な大きさの噴石も降って来たんだからね。茶色いマイケルたちはおっかなびっくり鏡を担いで登頂ルートまで戻って来たよ。
「どうする? 今日も小屋まで引き返す?」
なだらかな地面に虚空のマイケルを寝かせ、ソフトボトルの水を飲んで一息ついたところで茶色いマイケルが2匹に向かって尋ねた。
「うーん、まだ一時間も経ってないしぃ、進んじゃっていいんじゃないぃ? 虚空も転んだだけみたいだしさぁ」
「そうだな、いつ神に見つかるとも限らん。長居せんに越したことはないだろう」
ゴルナーグラード教官ネコからも口を酸っぱくして言われたことだ。神さまに気づかれないというのはあくまで可能性の話なんだから、さっさと用事を済ませて帰って来いってね。
「とはいえここから先は、虚空に起きてもらわんと進めん場所もでてくるだろう。その時は一度引き返して」
「その必要はない……」
遮るように後ろから声がした。
「すまない……また迷惑をかけた。だが俺はもう大丈夫だから先を急ごう」
擦れた声の虚空のマイケルは、上半身を起こし3匹に向かって頭を下げる。
「いやいやぁ、さすがにちょっとは休んでよぉ」
「そうだよ、ボクたちだって一息ついたんだし、ねぇ、めまいとかしてない?」
一気に立ち上がろうとしたのを2匹がかりで押さえつけたよ。
「ふむ。そうだな、お前がそのまま行けるというのであれば、時間的にも余裕が出来るし、ここで休憩してもよかろう」
「しかし」
「なに、どうせこの先へ行けば、打ち合わせをして装備を整え直すのだろう? この時間を使って終わらせてしまえばいいではないか」
虚空のマイケルは目をつむり、「そういうことならば」と言ってザックを下ろして山岳地図を取り出したよ。茶色いマイケルたちも強張った身体をストレッチでほぐした。
「この先はほぼ岩壁だ。歩いて登れる道はあるものの、ザイルを使う機会もあるから確認は念入りにしておいてくれ」
山岳地図に目を向けると、山をぐるりと回り込むように、岩壁に沿った狭い道が長々と連なっているみたい。落っこちちゃう危険があるから、ハーネスっていう全身に巻く安全ベルトも装着しておく。ちょっと息苦しいけど、どっちみち岩壁を登る時にはつけなきゃだからね。
準備には十分な時間をかけた。虚空のマイケルがこれでもかと目を開いて、不備がないか確認して回ってくれたよ。特にザイルは擦れてしまった箇所がないかを念入りに見ていた。
一通り準備が整ったところで、
「この欠片だが、どうにか持ち運べんものかな」
と灼熱のマイケルが神世界鏡の欠片を眺めながら言う。味を占めたみたいだ。
「残念ながら道幅が足りないな。いいアイデアなんだが」
立体地図で示されれば明らかだった。茶色いマイケルも持ち運んだから分かるけど、厚みもあって、見た目通りには重たいからね。2匹がかりであっても両手を使う必要が出てくるんだ。そんなの崖の上で持ちたくないな。
「では、持ち運びしやすいように割ってみたらどうだ?」
「えぇ!? でもさぁ、割ろうとしたらこっちが粉々に砕けちゃうんじゃないぃ?」
「そうは言うが現に割れておるのだぞ? 何かしら割る方法があって然るべきではないか」
でもぉ、いやいや、と2匹の議論は白熱していった。ねぇ、神さまの持ち元だっていうこと忘れてない? って言うタイミングを計っていると、ふいに虚空のマイケルが、
「君たちはどうしてそう笑っていられるんだ?」
と真面目に生真面目を着せたような声で言う。
「今話した通り、ここから先は些細な関係の綻びが命にかかわるんだ。脚を引っ張られればケガでは済まないような状況が待っている。だが、俺はここまで何度も、君たちの厚意を無下にするだけでなく、散々足を引っ張ってきた。どうして俺に何も言わないんだ。ふざけるなと、そう責め立てるのが普通じゃないのか?」
大きく開いた目には力強さが欠けていた。陽が高くなってきたからだろう、瞳に差した影が濃く見える。
最初に口を開いたのは灼熱のマイケルだ。
「そうだな、お前がワシらを信用できんせいで、いらん時間と労力とを取らされているのは事実だ。この先のことを考えれば、不安要素であるのは間違いない」
虚空のマイケルのヒゲがゆっくりと下がっていく。
「お前を責め立て、文字通り叩き直したとしてどうにかなるのであればしてもいいが、変わると思うか?」
「それは……」
「よほどのきっかけでもない限り、気持ちなどそうそう変わるものではない。上っ面を取り繕っても奥から奥から湧いて出てくるものだろう」
灼熱のマイケルの口の端が、微かに持ち上がったよ。視線は動かなかったけどね。
「オイラたちもぉ事情を知らないままだったら怒ってたかもしれないけどさぁ……」
「うむ。お前はワシらに話したではないか。信頼の絆システムの崩壊と、それに伴うネコたちの変化について」
信頼を築いていたシステムが無くなっちゃって、それに頼り切っていた空ネコたちは、他の誰かを信じるのが怖くなってる。そこに虚空のマイケルも含まれているっていうのは、詳しく聞くまでもないことだからね。
「ワシらがそうなったわけではないから深い共感は出来ん。だが、頭で理解するくらいならできるからな。理解できるならミスは許容できる。ミスが出ると分かれば対策も立てられるし、手を貸すことだってできるのだ」
「それでも、一歩間違えば」
「ならば二歩先回りして一歩目の間違いを帳消しにしてやるまでよ」
息を詰まらせる虚空のマイケル。そこへ果実のマイケルが、
「そうだよぉ虚空。信頼関係は大事だけどぉ、山登りはそれだけじゃないでしょぉ? 3週間、オイラたちは訓練して来たんだからさぁ。例え関係最悪だったとしてもぉ、無意識のうちに助け合うくらいは出来るんじゃなぁい?」
と結び目の解けたザイルを差し出した。子ネコは手遊びとばかりに無言で結び目を作り直し、果実のマイケルに返す。ありがとぉと言った子ネコは満足そうに笑ったよ。
その顔を見て虚空のマイケルが、少し膨らんだ気がした。雲のない空からの光が、さっと瞳の影をぬぐう。
「少し早いが携行食を摂取しておこう」
力の入った声で言うと、渡されたカリカリチップバーに齧りつき、うまいと言って口を拭ってた。
その決心に茶色いマイケルたちも応えないとね。
だからさ、2匹のマイケルが虚空のマイケルのラッキードジに期待をしていることは黙っておいた。
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