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「隊長。資料の用意が出来ましたので説明致します」
『治安維持ネコ部隊』の執務室。
補佐役として任命された初老の黒ネコが、携帯端末を取り出し、プロジェクタと有線接続する。壁一面を使った大仰なスクリーンに映し出されたのは、
「『食猫事件』の発生時刻・場所、目撃情報や被害者ネコに共通する特徴など、『ピサトの残り火』たちに関するあらゆるデータを、可視化したものです」
『メトロ・ガルダボルド』の全域地図を下地にして、そこに細かく点が打たれ、発生件数や頻度で色分けした資料である。
「なるほど。”わかりやすく”まとめてあるな」
スクリーンの向かいで腕を組んで座っているのはハチミツ。含みのある言い方に補佐官ネコはわずかに間をとった。
「……これらを『ネコAI』に入力し」
「ちょっと待って」
話を遮ったのはコハクだ。ハチミツの斜めうしろに立っている。
「『ネコAI』って『ネコネコ大戦』初期に使われてた技術でしょ? しかもうちじゃなくて『リーベ・レガリア』が開発したやつ。いくら復興したからって、あの国にあった技術をうちで再現できるとは思えないんだけど」
補佐官ネコは質問にうなづき、
「ええ。おとぎ話にでてくるような全能ネコAIと比べれば、出来ることは非常に限られております。犯罪予測防犯システムはおろか、リアルタイムでの車両統制システムすら実現できるものではありません」
と、はっきりと答えた。さらに、
「ですが、”残り火”の判別に限って言えば」
手元の端末を優しく撫でるとスクリーンに描かれた情報が切り替わり、無数のネコカーソルが示される。500はあるか。それは現在進行形で情報を更新し続けているらしく、少しずつ位置を変えているものがほとんどだった。
「ご覧の通り、全て把握可能です」
「ごらんの通りつってもなぁ、そもそもどうやって判別してんだよ。位置情報が分かるっつーことは顔認証か? ”残り火”の顔が割れてるなんて話、聞いたことねぇが」
毎日が有事である今、犯猫の顔が分かっているのならこんな話をしている暇はないだろう。出動に次ぐ出動で疲弊した隊員たちの、尻を叩いている頃だ。しかしそんな命令は下されていない。だとしたらどういう理屈で”残り火”を判別し、居場所を特定しているのか。補佐官ネコは、
「我々がネコAIに予測させたのは、『”残り火”のターゲットになりうるネコたち』です」
と、水色の瞳の奥を濁らせた。
「彼らの食事に『ネコ遺伝子マーカー』を混ぜ、摂取させておりました」
「それってつまり……」
「狙われそうなヤツに印つけておいて、“残り火”たちに食わせたってことか……」
ネコ遺伝子マーカーは元々、医療用に作られた遺伝子染料だ。経口摂取や注射によって体内に取り込み、主要な体内組織に付着し色をつける。また補佐官ネコが『追跡可能な』と言ったように、特定の電波に反応するものも開発されており、ネコ衛星によって現在位置をリアルタイムで補足することが可能だ。
「もちろん、”印のついたネコ”をただ見殺しにするような真似はしておりません。しかし我々の匹数にも限りはありますのですべての保護はできかねます」
それは建前だ、とは口にしない。
「俺たちはその話を聞いていねぇぞ」
その分、語気を強く言ったつもりだったが、補佐官ネコにはそれ以上の覚悟があった。
「確かに、隊長の権限を使い、隊員ネコを総動員すれば”印のネコ”たちを全て守り切ることは出来たかもしれません。ですが立て続けに先回りされれば”残り火”たちは警戒し、ターゲットネコを変更するでしょう。それでは今までと何の変りもありません。対処療法でしかないのです」
と、淡々と続けた。さらに、スクリーンを手で示す。
「このネコマーカーを見ても分かる通り、奴らの数は多い。これだけの数が街に蔓延っているとなると、日に何十件も『食猫事件』が起こるのもうなづけるというもの。おそらくこれからも増え続けることでしょう。それこそ”ばい菌”のように増え続けます。断言してもいい」
補佐官ネコは再び携帯端末を撫でるように操作する。するとメトロ・ガルダボルドの地図に、太くて青い線が街を囲むように引かれていった。
「このネコ遺伝子マーカーを追跡するにはネコ衛星が必要です。しかし現在は、戦後の国際法規定により、他国への監視は厳しく規制されている状況」
「つまり、”残り火”たちがこの青枠から出ると追跡できなくなる、って言いたいんだね」
国外逃亡。それは被害を拡大させることと同じ意味だ。さらには新たな戦争の火種にもなりうる。
「おっしゃる通り。ですので」
その言葉を待っていたのだろう、執務室の扉が開かれ、同じ隊のネコたちがぞろぞろと入ってくる。足音は補佐官ネコの敬礼に合わせて力強く止まった。
「我々はここに、”残り火”の殲滅、『一斉浄化作戦』を提案致します」
姿勢を正して並んだ隊員ネコたち。それぞれの資料に目を通した上役ならば、彼らの背負うものは知っている。
その瞳には、ただの正義感からくるものとは別の、暗い炎が揺れていた。
***
「『一斉浄化作戦』ねぇ……」
帰宅し、日課である稽古を終えて庭に寝ころんだハチミツがつぶやく。コハクはその隣で半身を起していた。
「なんというか、あからさまな名前だよね」
その名前は明らかに、大戦中に『ピサト』たちの間で使われていた『一斉消毒』という大規模戦闘の名前を意識している。つまりそういうことなのだろう。これは制裁。あるいは報復。
けっして恨むなというフレイルの最後の言葉を守ろうと、自分たちを戒めてきた2匹。憎しみの炎に焼かせまいと他のネコたちにも気を回してきたけれど、抑えられていたと思っていたのは驕りだったらしい。口には出さないがサビネコ兄弟の中でそれが疼いた。
サビネコ兄弟はまだ入隊2年目ながら、隊長と副隊長に、任じられていた。彼らがこれほど早く抜擢されたのには理由がある。まず教育課程を修了したその日に”残り火”を10匹捕まえるという伝説を作ったことが上層部の目に止まった。注目を浴びる中、野性的な勘と電光石火の行動力で次々と成果を上げていったのである。
すると治安維持ネコ部隊全体の士気は見事に上がった。ならばそれを利用しない手はあるまいと、中規模ながら最も被害の多い地域を任され、大きな権限も与えられたのだ。
2匹の英雄ネコ的な活躍に、大勢がついてきた。けれど追従するネコたちには、復讐への追い風としか思われていなかったらしい。いつまでも彼らの憎しみを抑えつけていられるわけではないと、うすうす気づいてはいたが、
「まさか裏で動いていたとはな」
いざそれを目の当たりにすると、見ている方向がまるで違ったことに愕然としてしまう。ハチミツはため息を吐くかわりに、思い切り息を吸いこんで、限界まで苦しくなったところで一気に吐き出した。
「ぷはーっ! おい小僧! そろそろ日が暮れるぞ」
首をつかって跳ね起きたハチミツ。その視線の先にいたのは、以前、垣根の下で何時間も2匹の稽古を見ていたサビネコの子ネコだ。とはいえ稽古よりは踊りの方が気に入ったらしく、今でもこうしてちょくちょく、というかほぼ毎日のようにやって来ては2匹を真似て踊っていた。
「も、も、もおわり……?」
荒い息と吃音ぎみのしゃべり方とが合わさって、聞きなれないネコなら苛立ってしまうかもしれない。しかし兄弟は、
「子ネコだからあんまり感じないかもしれないけどさ、夜はホント物騒だから暗くなる前に帰った方がいいよ。そんでいっぱい寝て、また明日来ればいいじゃない」
「晩飯持たせてやるから家に帰って食え! 兄弟いっぱいいるんだったら腹すかせて待ってるんじゃねぇのか?」
と当たり前のように言葉を返す。1年以上の付き合いで子ネコのしゃべり方に慣れた、というわけではない。初めからそうだった。だから2匹といることがとても居心地が良いのだと、子ネコは素直にそう話していた。あまりに素直だったものだから、サビネコ兄弟は自分たちの幼い頃を思い出して激しく反省したことがある。
「い、い、いつも、あ、ありがと。み、み、みんな、う、うれしって」
子ネコは元気に手を振って、垣根をくぐった先にある、夕焼けの向こうに帰っていった。その穴を見ながら兄弟は、
「すっかり穴になっちゃったね」
「ったく、あいついつまでこの穴使うんだよ。いいかげん玄関から来いっての」
と夕映えに優しい笑みを浮かべる。そして、
「あいつらが安心して歩ける街にしてぇな……」
小さくつぶやくハチミツを見て、コハクはしっかりとうなづいた。
***
「今日も防げなかった被害がいくつもある。守れなかった命がいつくもあった。それは俺の決断が遅れたからだ。俺が殺したも同然だ。だからこそ前を向く。これ以上誰かに涙を流させないよう、これ以上誰かに恨ませないよう、暗い夜道でさえ明るく歩けるように、ここで終わらせる」
作戦概要にはすべて目を通した。
”例の鎧”の資料も熟読し、使用許可を出した。
あれなら隊に被害を出させず、完全な形で、速やかに作戦を遂行できるだろう。誤作動の心配もなさそうだ。おぞましいものではある。だが、目をつむることなく、その罪を背負っていこう。
ハチミツとコハクは、隊員ネコたちの目に宿った昏い炎を吹き消すように檄を飛ばし、『一斉浄化作戦』の提案書に肉球印を押した。
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