(136)11-5:刻まれた物語

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 祭壇へと続く階段の下は、あわあわの大渦からの開放を待つ神ネコさまたちで溢れていた。

 そんなところに、星の芯をぐるっと回り込んできた茶色いマイケルたちが姿を見せたものだから、騒然とするのも無理ははない。たちまちのうちに取り囲まれてしまった。

『なぜ分銅を置かなかった』『これから置くんだよな?』『早く置けよ』と威圧でもされたのなら、強がりで前を向いて歩けたのかもしれない。けれど実際に向けられたのは、懇願するような弱々しい上目遣いばかりだったんだ。ひどく居心地が悪かった。言い方は悪いけれど、蒸した生ゴミの中を歩いている気分。サビネコ兄弟のガードがなければ、うずくまって気絶していたと思う。

「……茶色? おい灼熱、果実。茶色だ!」

 見れば神混みの向こうに仲間ネコたちの姿があった。その表情はただただ心配しているようで、落胆や非難の色はない。

 灼熱の鋭い視線がハチミツさんに向いた。成ネコたちは苦笑して、「まあまあ」と両手をひらひらさせてから、茶色の肩をポンと叩く。それに応える茶色を見たからか、灼熱は鼻をひとつ鳴らしただけで、階段の隅に寝転がる兄弟ネコからは目を外した。

 さて、と4匹は輪を作った。

 茶色いマイケルはしっぽを引き締める。

 覚悟はできていた。サビネコ兄弟と自分はここに残るけれど、他のマイケルたちには表の世界に帰ってもらう。それが子ネコの決断だった。悩んだ挙げ句のことだから、みんなには納得してもらいたい。

 とはいえ、1匹で残ると言っても、考え直せと言われてしまうだろう。納得を引き出すのは難しいと思う。今まで一度も説得に成功したためしはないし。だからせめて、苦手だけれど言葉を尽くそうと思ったんだ。ここまで来てケンカ別れはしたくない。みんなならきっと分かってくれるはず。

「あのね」

 張りつめた第一声は、「すまなんだな」という灼熱の声に阻まれた。背丈の小さな子ネコは、腕を組んで顔をしかめている。

「茶色、お前の願いは分かっておった。ただキャティとのやり取りを聞いて、お前なら帰るほうを選ぶだろうと勝手に決めつけとったのだ。もっと慎重に話し合うべきだったと思う」

 すまん、と頭が下がる。さらに、

「茶色がさぁ、街を出てきたのってぇお母さんネコのためだもんねぇ。冒険の話をしてあげて、元気にするっていう」

「だとすると、ここでのことを覚えていられないのは大事(おおごと)だものな。問題の本質が違ってくる。俺たちは配慮すべきだった」

 果実と虚空も続けざまに謝った。

 “物語を聞かせてお母さんネコを元気にする”。

 こうして他ネコの口から聞くと、子ネコじみているなぁと気恥ずかしくなる。もちろん3匹にバカにした様子はないし、大事なことと思ってくれているのは茶色いマイケルにとってすごく嬉しいことだった。

「そうだよ。ボクは絶対に覚えていなきゃいけないんだ」

 思ったよりも強い声が出た。

 気持ちが揺らいでしまいそうだったんだ。気を緩めたところに「みんなで帰ろう」なんて言われたらコロリと説得されてしまいそうで、たわみかけた口元にぐっと力を込めた。すると、

「お前がおらんあいだに話しておったのだがな」

 灼熱の声色も変わった。

「“ここで終わらせて帰りたい”と言った、あれはワシらの本音だ」

 子ネコはコクリと頷いた。それはそうだろう、考えなしの言葉のはずがない。

「この身体はネコ精神体だ」

「え?」

 話が急に飛び、頭の中身をスコーンと抜かれた気分になった。ネコ精神体? たしかに身体はネコ精神体だ。そういう話をしていたと思う。灼熱は茶色の頷きを待ってから話を続けた。

「以前、ネコ精神体とは心のようなものだと言ったことを覚えておるか?」

 もたつきながらも、

「シエル・ピエタで、灼熱が」

 と返す。『神域接続の間』に入る時だったはず。

「そうだ。だとしたらワシは、すべてを忘れてしまえるとは思えんのだ」

 灼熱は握りこぶしを作って自分の胸に強く押しつけた。長い毛に埋もれて、ずぶりと奥にめり込んだように見えた。

「この記憶は、刻みつけられておるはずだ。心の奥の、魂とでもいうしかない部分に」

 数秒、まっすぐに視線を交わす。目の奥になにか重たいものを送り込まれるようで、身体を支える足に力が入ったよ。少し経って、灼熱は相貌を崩し、頭をかいて自嘲した。

「ふとした思いつきだったのだが、どうしても言っておきたくなってな。まあ、気休めにしかならんだろうが」

 まったく気休めだ。

 要するに、物語も冒険の記憶も忘れない、忘れるものかと、そういうことだろう。それはちょっとした決意表明で、本当に覚えていられるのかは分からないし、そんな事実がないのなら茶色の決意は曲げられない。

 だけど。笑い飛ばすことは出来ないよね。むしろ思いがけず勇気が湧いてきた。

 1匹で残った場合、他のマイケルたちの頭の中からは茶色の存在が消えてなくなる。すべての目的を果たしたあとで3匹を訪ねて回ったとしても、「お前は誰だ」「何の用だ」と言われてしまうだろう。それはきっとつらいことだよ。考えるだけで胸がズキズキする。

 それでも灼熱たちの言うとおり、心の奥の魂の部分に、この物語が刻まれていると思えれば。

 次に会う時、少しだけど希望を抱けるんじゃないかな。

 茶色はヒゲをぴんと伸ばした。

 勇気はもらった。だったら今度こそ自分の考えを伝えなければ。そうしてお腹に力を入れて口を開いたんだ。

「あり――」

 だけど言わせては貰えない。

「言うことは言った。あとはお前が決めろ」

 ヒュッ、と空気が顔を撫で、思わず目をつむる。まぶたを開くと灼熱の背中があった。

「オイラ、茶色が悩んで決めたことならどんな答えだって受け止めるよ」

 果実の丸い体もぐるんと回る。

「俺もだ茶色。寂しくはあるが好きに選んでくれ。全力で指示しよう。そして――」

 スラッとしたスーツが颯爽と背中を見せる。

 立ち並んだ3匹は、その向こうにある押し潰すような期待と対峙した。獣や猫の姿をした、数え切れないほどの神々は3匹の行動に反応できず、呆然と見ているだけだった。

 そんな彼らに向かって子ネコたちが構えをとる。そして言い放つ。

「「「神は黙って見ていろ!!」」」

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