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夕暮れ時。色づく大噴水。遠く伸びる鐘の音。迷子の子ネコセンターから離れていく親子ネコの影。
氷の大噴水広場には、名残惜しい景色がたくさんあった。
今年の雪の少なさに、誰もががっかりしていると思っていたけれど、そんなことないんだね。きっとここにいるだけで楽しいって思ってくれてる、そんなネコたちの姿なんだ。今、茶色いマイケルが見ているのはさ。
「祭りは成功だったようだな。みな良い顔をしている」
ガラガラと音を立てながら近づいてきた灼熱のマイケルが満足そうに話す。教会に預けたキャスター付きのスーツケースを取りに行ってたんだ。
「そうだね。こんな気分で祭りの終わりを見ていられるなんて、思ってなかったな。まぁ、スノウ・ハットの子ネコたちはまだ家でうな垂れているかもしれないけどさ」
「そこはお前の出番だろうが」
隣に立ち、茶色いマイケルの肩にポンと手を置く。「え?」と目で質問すると、眉間にしわを寄せた。
「こういう時にこそ物語の出番だろう。大森林で起こったことを話してやればいい。ワシと闘ったことを話してやってもいい。秘密基地を暴こうとした悪猫から救ったんだぞと自慢したってかまわん。どういう話であれ子ネコたちは喜ぶさ。興奮して今日のことなどすっかり忘れてしまう。いいや、思い出が上書きされるやもしれんぞ?」
そううまくいくかなぁ、と言いつつも、そうなったらいいなと茶色いマイケルは思った。
「どのみち忘れていく出来事だ。それよりももっと素晴らしい出来事がこの先いくらでもある。だから気軽に話してやればいい」
少しくらい大げさでもな、と言って笑うこの子ネコは、どこまで行ってもこうして笑うんだろうね。その冒険の物語はどんなだろう。思い描かずにはいられないよ。
「キミはこの先、どこに向かうんだい?」
近くにある国の名前くらいなら知っていても、世界の広さまでは知らない。どこどこに行くって話してくれたとしても、それがどこなのか分からないかもしれないけどさ。後で調べるくらいならできるでしょ?
「それとも目的地なんか決まってなくって、その国その国で、次に行く国を決めるのかな?」
そういう旅も面白いかもしれない。でも家に帰るのがすっごく遅くなっちゃいそうだな。だけど灼熱のマイケルは「いいや」と言って目を輝かせた。
「ワシの目的地はたった一つ。この街も、その前の街も、家を出てから通ってきた国や街はすべて、そこへと向かう途上なのだ。街々で冒険を見かければ寄り道もするが、それもまた目的地へたどり着くための準備みたいなものだからな。そういう目で選んできたつもりだ」
声から熱が伝わってくる。「それはどこ? 早く教えてよ」って口から飛び出しちゃいそうだった。
「あわあわの世界」
「へ?」
「あわあわの世界を、お前は知っているか?」
なんだか気の抜けそうな名前だったから、つい「もう冗談ばっかり!」って言って、肩でもぶつけようかと思った茶色いマイケル。だけどできなかったよ。その瞳があんまりにも真剣で、それでいてキラッキラに輝いていたんだ……!
茶色いマイケルは小さく、フルフルと首を左右に振った。
「ワシの国に伝わる冒険譚でな。それはこの世界の裏側にあるという」
世界の裏側。今立っている場所からずっとずっと後ろの方。まぁるい大地をもっともっと行ったところ。想像しているうちにバック転しちゃいそうになったよ。
「裏側と言っても、この星の裏側とは限らないがな。あわあわの世界はそこにある」
星の裏側じゃないってどういう事だろう。でもそれよりも気になることがある。
「そこにはさ、何があるんだろう? 冒険の本にはなんて書いてあったの?」
ゴクリとつばを飲むさまを見て、灼熱のマイケルはニッとヒゲを上げた。
「本物の冒険が待っていると。そう書いてあった」
「本物の?」
「真実の物語だ」
真実の物語――なんだかよくわからないけれど、この言葉を聞いて茶色いマイケルは泣いちゃいそうになった。本当に、どういうわけだか分からないんだけどさ。
「と言ってもだな、真実の物語というのが何なのかはワシにも分からん。本には何度も何度もその言葉ばかりが出てくるだけで、どういうものなのかという説明は一切なかったからな。最後まで読んどらんし」
「読みなよ!」
「気になって気になって仕方なかったのだ」
灼熱のマイケルはね、『書く気がないならワシが見てきてやるっ!』って、家を飛び出してきちゃったみたい。ふつうは続きを読むよね、って思うでしょ?
だけど聞いたところによると、その冒険の本っていうのがすっごく長いんだって。分厚い本に100冊以上! 飛ばして読もうかとも思ったって言ってたけど……この子ネコはしないだろうね、そういうことはさ。
茶色いマイケルはもっともっと話をしたくなった。読んだところまででいいから、冒険の本の内容を聞いてみたかったし、世界の裏側の話も知りたい。くだらない話でもいいから時間の許す限りもっともっと一緒に……。
だから。
「また来てよ」
って言ったんだ。
灼熱のマイケルは深くアゴを引く。
「ワシもまた来る。だからお前もアップル・キャニオンに来い。そうだな、ご母堂も一緒に連れてくればいい。盛大に歓迎するからな」
「ありがとう。絶対そうする」
言って2匹はしっぽを合わせた。しっぽとしっぽを打ちつけるように交差させ、それから手を振って別れたんだ。
……それは無理だよ、なんてつまんないことは言わなかったよ。ちゃんと笑っていられたはずだ。灼熱のマイケルの表情にも何も浮かばなかったしね。
沈みゆく夕日に向かって灼熱が歩いて行く。長く伸びた影の、そのしっぽの先でもいいからつかまえて引っ張っちゃえば、何か変えられるのかなって。
そんなことを思いながら、茶色いマイケルはいつまでも見送っていたよ。
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