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空の上を歩くような足取りで、音を立てずに近づいて来る大型の肉食獣の器。
割れた猫混みが元に戻ると、好奇の目がその一点に注がれる。
だけど、
『なにかしら』
チラッと頭を左に倒し、振り返る動きを見せただけで猫混みからは音が消え、視線もバラバラに散ってしまった。それから何ごとも無かったように淀みなく、長くて太いしっぽを滑らかに揺らしながら寄ってくる。それは――ユキヒョウだ。
ユキヒョウの器に入った、全くの白。
その神ネコさまが”冷気ネコさま”たちのいる『白い群れ』に向かって歩いて来た。
一番早く反応したのは風ネコさまだった。
『やべっ』
と言って、茶色いマイケルのパーカーフードの中に潜り込んだ。不安にさせないでよと文句を言いたくなったけれど、
『『姉さま!』』
ぴったり揃った明るい声に救われた。”コドコドたち”じゃなくって、白いジャガーの”雪崩ネコさま”の後ろで黙って座っていた3匹の神ネコさまの内の2匹だ。
2匹はスーパーネコボールみたいに弾みながら、”白ユキヒョウの神ネコさま”へと走り寄る。並んでみればなるほど、大きさこそ違うけれど長くて太いしっぽをはじめ、身体のバランスがよく似ていた。子ユキヒョウだろう。こちらには灰色の斑点があった。
さらに歩みを進めた白ユキヒョウの神ネコさまは、
『申し訳ありません姉様。お手間をかけさせてしまって』
『いいのよ、冷気。それよりも氷柱、霙。冷気たちを心配させてはいけませんよ』
と、頭を下げる透明なピューマに身体を擦りつけながら先へ進み、コロコロと転がっていたコドコドたちを、静かな冬の朝みたいな声でたしなめた。すると今度はさっきと違い、
『『ごめんなさーい』』
と2匹ともしおらしく座り直して頭を下げたよ。
茶色いマイケルの中で緊張感が増した。大空ネコさまや雷雲ネコさまが姿を見せた時に感じた、命の危険を感じるような緊張とは違っていたけど、それ以上に”きちんとしなきゃ”って思ったんだ。しっぽどころかヒゲの一本たりとも曲げちゃいけない、ってね。
そんな白ユキヒョウの神ネコさまは、よりにもよって茶色いマイケルに向かって歩いて来ていた。さっきまで風ネコさまと話をしていた”白ピューマの神ネコさま”を目指しているんだと、そう思いたかったけれど、その神ネコさまは冷気ネコさまと同じように頭を下げて道を開けてしまう。
茶色いマイケルの瞳が泳ぎかける。
だけど泳げない。
痙攣したみたいにぷるぷる震えながらも、その動きを目が追ってしまうんだ。
そんな慌ただしい内心に構うことなく、白ユキヒョウの神ネコさまはやって来た。茶色いマイケルと向かい合う。見下ろす形になっているのがひどく心苦しい。
神ネコさまは匂いを嗅ぎ、ゆったりとした動きで身体を擦りつけたよ。茶色いマイケルの方が高さはあるけれど、密度が全然違っていて、寄りかかられるとその圧力でぐらりと転びそうになる。
足元をグルンと一周した白ユキヒョウの神ネコさまは、長くて太いしっぽをグンと持ち上げ、茶色いマイケルの頬をちょっと乱暴に撫でると、
『頑張りなさい』
と、一言だけを残し、それからまた、白い群れへと戻っていった。
茶色いマイケルは「は、はい」と返事をしたような気もするけど、自分の耳にも聞こえなかったからきっと声にはできなかったんだと思う。
『そろそろ始まるわよ。いらっしゃい』
それは止まった時を動かすような一言で、
『『はい! 姉さま!』』
『『はーい! あねーちゃん!』』
『おうよ!』
『『かしこまりました、姉様』』
と姉妹ネコさまたちが一斉に動き出し、最後に、
『あ……まって、おねいちゃん』
と白くけぶった神ネコさまが、慌ててぴょんと跳ねて後を追っていった。
『『またねー茶色ー!』』
と、元気よくしっぽを振るコドコドたちに声を掛けられなければ、もしかしたらそのまま固まっていたかもしれない。
白の群れは『それでは』『じゃなっ!』『ではまた』とそれぞれにしっぽを振りながら、来た時よりも大きく割れた猫混みの奥へと行ってしまった。
割れた猫混みが閉じていく。
誰もがその群れを目で追っていた。
そうして辺りに喧騒が戻ってきたあたりで、
「……おい茶色、さっきの神ネコさまはもしかして」
と灼熱のマイケルはそばに寄ってきて小声で尋ねてきたよ。
「うん。……たぶんそうだと思う」
その神ネコさまが誰なのかは何となく感じていたけれど、声にするのが憚られるような気がして口には出さなかった。だから代わりに、
「何で神ネコさまたちは4つ足ネコ姿なんだろう。それに色々種類があるみたいだし」
と頭の中にあった適当な疑問を口にしていた。するとそれに応えたのは、
『いちおー他の動物にもなれるんだけどなー。今の流行りは猫ってだけでー』
風ネコさまだった。
『オマエラもずっとそれで飽きねーのかー? たまには動きやすいように変えればいーのによー』
「いやいやボクたちの身体はそんなに自由じゃないから」
すっかり冗談を言い合えるくらいは打ち解けられてよかったな、とは思うけれど、なんとなく話を戻しづらくなってしまった。
いろいろ聞きたいことがあったんだけどなぁ……。
茶色いマイケルがどう切り出そうかと迷っていると、虚空のマイケルが察してくれたらしい。
「そういえば風ネコさま、この猫混みのネコたちは一体どういう理由で集められているのでしょうか。みんな何かを待っているように見えますし、それにさっき茶色も」
「そうだねぇ、『頑張りなさい』って言われてたもんねぇ」
「ああ。『はじまるわよ』ともおっしゃっていたようだし」
すると風ネコさまは、
『えー? 何が始まるって、こんなところに集まるなんてレース以外ないだろー』
と呆れたように応えたよ。
「「「「レース!?」」」」
『なに驚いてんだよー、お前たちもネコならさー、欲望のままに他のネコを蹴落としながらゴールを目指すんだろー』
「風ネコさまの中のネコ像ってぇ、歪んでるよねぇ……」
「子ネコは欲望にまみれたりなんかしないよ!」
『うそだー。完走するだけで願いが叶うんだからよー、出るのは出るんだろー?』
「ぬっ、完走するだけで……?」
灼熱のマイケルの目が欲望に澱んだ。
「いやいや灼熱、目を濁らせないでよ! ボクたちにはやる事があるんだからさ。そうだ風ネコさま、ボクたち『星の芯』っていうところを目指してるんだけど、それってどこか知ってるかな?」
『ほーらやっぱり欲望まみれじゃねーかよー』
クスクスと控えめに笑う風ネコさま。あれ、こんな笑いかただったっけ?
「だから欲望にまみれてなんか」
『だって星の芯って言ったら、このレースのゴールじゃねーかー』
まさか、という思いが頭を巡った。
もしかしてボクたち、このネコレースに出るためにここに連れて来られたの? と。
4匹のマイケルたちは素早く目を交わし合う。
「……つまり俺たちは、レースに出てゴールするだけで目的が達成できる、と」
『そーだぞー。ゴールすりゃー完走賞がもらえるんだからー。途中リタイアでも参加賞は貰えるけどー、しょぼしょぼだからおススメはしねーなー』
「また随分と俗な……」
『たぶんネコのレベルに合わせてんだろー? まー最近じゃー、神も”そっち寄り”になっちまってるんだけどなー。ほら見てみろよあいつらー。ぜってーろくでもねーこと企んでるぜー?』
小さな前脚をすっと伸ばして示された方を見る。猫混みの向こう、巨大な氷の噴水の一角にいたのは、
「……あれは」
「……うん」
「……雷雲ネコさまだ」
「集まってるねぇ」
ライオン姿の雷雲ネコさまをはじめとした神ネコさまの群れ。周りを気にしながら頭を寄せ合って何やら話している様子。あからさまに周りから浮いているにも関わらずそこには無頓着らしい。
『あいつらには関わんねーほーがいーぞー。絡まれるとめんどーだからなー。オレみたいにマジメで親切な神と一緒なら……おいネコー、なんだその顔傷つくだろー』
風ネコさまは茶色いマイケルの頭と肩とを、交互にぴょんぴょん飛びながら抗議をした。見ればみんな”そういう”目を向けていたらしい。
「ま、まぁなんにせよだ、前向きにいこう。この集団に混ざっていれば目的地に辿り着けるということだしな。しかもそこにはゴールがあって願いも叶う。二兎を追えば両得になると分かっているのなら、変に気負う事もない。両方狙えばいいのではないか?」
「虚空が言うとまともに聞こえるよねぇ。同じセリフを灼熱が言ったらぁ、たぶんオイラ鼻で笑ってたと思う。フフンッ!」
「おい、何か言うとるやつもおるが無視するぞ。せっかく団結したワシらの輪を乱そうというのであれば途中で切り捨てることも止むを得ん。大丈夫だ、気持ちの準備は出来ている。では早速切り捨てて3匹で進むとするか」
『オマエら仲悪いのかー?』
そんなことないよと言いたいけれど、時々自信が無くなるんだ。
「とりあえず、目的地は分かった。では情報収集をして――」
そこへ。
虚空のマイケルの声を上書きするように、頭の中に神さまの声が響き渡った。
『えー皆さま。ただいま最後の参加者が入場され、一定時間が経ちました。これより星の芯への道を開きます』
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