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茶色いマイケルは背伸びをした。
それからアゴを上げ、お祭り当日なみにごった返しているこの広場を、ネコたちの頭越しに眺めたよ。
目に飛び込んできたのは巨大な噴水だ。
空に挑みかかるように噴き出した水柱が、中央に一本とその周りに10本以上。それが時間を止めたようにキンと凍りついている。てっぺんは”傘”になっていて、冷たい水がここまで飛んでくるんじゃないかってくらい激しく飛沫いて固まっていた。噴きあがる水を瞬間的に凍らせでもしないと、あんな風には出来ないんじゃないかな。
その噴水はスノウ・ハットの『氷の大噴水広場』のものよりも大きくて、迫力があって、その上神秘的で、とても見間違えたりはできなかったけれど、この場所に漂う冬の気配には、そわそわせずにいられなかった。
ここはスノウ・ハットじゃない。だけど……!
茶色いマイケルは頭をグルングルンと振り回して辺りを見渡した。
「なんだなんだ! 空が赤いや!」
夕暮れかと思ったけど普通の空じゃない。地面だった。赤く焼けた地面が頭の上を覆っていたんだ。雲もないしもちろん太陽もない。なのに暗くない。むしろ昼間みたいに明るい。さらに頭を動かせば、
「氷像だ!」
ネコ混みの中にちらほらと、ネコや動物をかたどった等身大の氷像が立っているのが見える。そのまま動き出しそうなくらい生き生きと彫られているから、近づいて見るのを躊躇っちゃうくらいさ。さらにさらに、
「でっか! ネコだ! でっかいネコが寝てる像!」
ホロウ・フクロウ並みに大きなネコの像があった。頭を低くして地面に伏せってはいるものの、それでも高さ15メートルくらいはあるんじゃないかな。これは氷漬けにはなっていなくって、寝息が聞こえてきそうなくらい毛がもっふもふだ。その周りにいるネコたちが豆粒みたいに見えたよ。
「何の集まりなんだろうね! 知ってるネコとかいないかな。ピッケとかいたりして! ピッケ本猫じゃなくって、女神さまだったらいるかもしれないよ? ちょっと様子を見に来てて、それでこの辺でばったり会ったら、けっこう気まずいよね。ふはは!」
「さすがにそれは無いだろう。それよりもちょっと落ち着いたら」
「どこなんだろうここ! あっ、あっち行ってみない?」
ぐいぐい先へ進もうとする茶色いマイケルの腕を、
「おいあまり興奮しすぎるなよ。このネコ混みで迷子ネコになられるとちと厄介だ」
灼熱のマイケルがつかまえる。
「大丈夫だって! もしもはぐれたらあの噴水のところで待ち合せればいいだけだし」
「いや、単独行動は避けた方がいい。場所ばかり見ているようだが、ネコたちにも目を向けてみろ」
「そうだねぇ……中には危なそうなのがちらほらとぉ……」
言われて見れば、
「ひぃっ!」
まず鬼ネコのお面をしたネコと目が合った。般ニャ面だ。お祭りで売っているような安いっぽい品じゃなくって、郷土ネコ資料館とかに置いてある、権威の象徴に使われていたようなお面をかぶっているネコがいたんだ。その『鬼ネコ面』がじぃっとこちらを見ていた。茶色いマイケルはそおっと目を逸らした。
他にも、外套のフードをかぶってフラフラとそこら中のネコにぶつかりまくっているネコや、「イヒヒヒヒ……」と笑いながら辺りを物色するいかにもマタタビをやっていそうなネコの集団や、上半身裸で踊っている2匹連れの変態ネコまでいる。形の違う鬼ネコ面も何匹か見かけた。流行ってるのかな。
「ここはネコ魔境か……」
虚空のマイケルがつぶやいた。さらに、
「いや、それで済めばいいがな。あまり目立つなよ」
そう言って灼熱のマイケルがアゴで示した方に目を凝らしてびっくりさ。
「か、か、か……」
神ネコさまだ。あのでっかい像の前に集まっていた豆粒は、神ネコさまたちだったみたい。しかも、
「あれってさぁ……」
「うむ。どう見てもあ奴らだろう」
そこにいたのはクラウン・マッターホルンの頂上に後から来た神ネコさまたちだったんだ。ネコというには大きすぎる”獣”の姿もあったけど、どれも神ネコさまの雰囲気をピンピン感じる。
4匹は「近づかないようにしようね」と言って猫背気味に身をかがめ、警戒しながらネコ混みの中を分け入って、できるだけ神ネコさまたちからは距離を置くことにしたよ。その途中で、
「あっ! 見て、動物がいるよ!」
ネコ混みの端に、動物の集まっている一角を見つけたんだ。
「ゾウ! キリン! キツネ! タヌキ! アライグマ! サル! あ、トリが飛んでった! ねぇエサをあげようよエサ!」
「あっ、こらまてっ!」
と呼び止める声に耳だけ向けて、ねこじゃらしみたいな動きでスルスルと進んだ茶色いマイケルは一番乗り。そこへ他のマイケルたちも追いついてくる。
「お前はさっきからはしゃぎ過ぎだ。どれ、エサはワシがやる」
「俺も動物と触れ合って心を穏やかに……ん? ……おい、一つ確認するが、俺たちはいつからこの格好になっていたんだ?」
虚空のマイケルに言われて気づいたんだけど、装備が根こそぎなくなっていたんだ。登頂用にあつらえたネコジャケットもザックもシュラフもザイルもアイゼン・キャット・ウォーカーも、何もかもが無くなっていて、茶色いマイケルが着ているのはいつもの白いパーカーだけ。腰に下げた荷物袋はあるけれど、中身はたしか『ティベール・インゴット』しか入っていなかっただろう。
「そうだ、時の女神さまの部屋。あの時にはもうこの恰好だったと思う」
時の女神さまからティベール・インゴットを預かって、それを袋に入れたことを思い出した。だけどどうして? 装備はどこに行ったんだろう。
「ふむ。まぁ、ないものはないで仕方ない。だがスマンなお前たち、ワシの荷物にはエサになるようなものが入っとらんのだ」
灼熱のマイケルは警戒するキツネの前に座って、ズタ袋の中身を広げて見せたよ。キツネはスンスンと鼻を鳴らしてすぐに離れていった。
「俺は荷物袋自体が無いらしい。着の身着のままというやつだな」
黒いスーツ姿の虚空のマイケルがネクタイを正している。
「着の身着のままがスーツってさぁ、肩ぁ凝らない? その点オイラのトレーナーは動きやすいからねぇ。どっかの小さいネコみたいに小汚くもないしさぁ」
なぁにぃ、とチンピラネコみたいな歩き方で威圧する灼熱のマイケル。だけど果実のマイケルは恐れるどころかむしろ勝気な顔をして、
「フフンッ。さーて、オイラのカバンの中身は何でしょぉ」
と肩掛けカバンを灼熱のマイケルの目前に突きつけたよ。
***
4匹はそれぞれに野菜を持って動物にエサをあげた。
「見てみてぇ。オイラってばぁ、超人気ネコなんだけどぉ。動物に好かれまくりでさぁ」
「エサと思われとるに決まっとるだろう。草食動物にまで目をつけられるとはお前、さては草だな」
「ちょっとぉ、生態系のピラミッドから勝手に引きずり降ろさないで欲しいんですけどぉ」
「ククク、反芻されてこい反芻。少しは痩せるぞ」
「いや、それはさすがに、普通に消化されるのではないか? きちんと飲み込まれればの話だが」
なんだかんだ楽しくやっている3匹を見ながら、茶色いマイケルはニンジンをぽきっと折って、馬にあげていた。とっても毛並みが良くて、落ち着いた馬だ。その馬の、真っ黒で優しそうな瞳を見ていると、ついつい話しかけたくなってしまう。
「キミたちはここがどんなところか知ってるかなぁ? 知らないよねぇ。ボクもよく分からないんだ。他のネコたちは知ってるかなぁ。できるだけ早く聞いておいた方がいいよね」
それは一匹言だったけど、他のマイケルたちも「そうだな」と返事するくらいには同じことを考えていたみたい。
危ないネコもいるみたいだけど、これだけ多いんだからまともなネコもいるよね。とりあえずみんな何をしているのかを聞いて、それからどうするかを決めて……とむしゃむしゃ食べている馬の口をじっと見ていた時だ。
「ヒッ! ピュ……ピュ……ピュ……」
と馬の向こう側からネコが飛び出してきて尻もちをついて転んだよ。黒いシルクハットを被ったグレイ白の紳士ネコで、黒いモーニングコートを羽織っていた。こんなところにそんな服で? と思ったけど、虚空のマイケルも似たようなものだからね、口には出さない。
シルクハットの紳士ネコはひどく怯えている様子だった。それもそのはずだ。その視線を辿ってみれば、茶色いマイケルのよく知っている、あの姿があったんだ。
「……風ネコさま」
獣姿の風ネコさまは、茶色いマイケルをギロリと睨んで、シャー、と蒸気を噴くように威嚇した。
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