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カラバさんの連れてきた余韻が、4匹の子ネコたちの口を重くする。
ここはピッケの故郷。
メロウ・ハートを出たのは記憶にないくらい小さな頃の話だと思う。だけどピッケはこのことを聞いていたんだろうな。お父さんネコやお母さんネコから、ううん、たぶん迷路街に身を寄せた他のネコたちからだね。ご近所ネコさんたちって、話して聞かせるのが好きだからさ。
どんな風に思うだろう、って茶色いマイケルはピッケになったつもりで考えた。
迷路街は探検するには面白い場所だったけど、暮らすにはちょっぴり不便だし、なんとなく影が多い。暗がりがたくあんある。そこで近所のネコたちが「キミのお父さんネコとお母さんネコはなぁ」って華やかだったメロウ・ハートと両親ネコのことを話すんだ。……自慢したいとか、誇らしいとか、そういう気持ちだけでは済まないだろうね。見てみたかったなって思っちゃう。
なんで今はそうじゃないの? って。
隣に座るピッケは、膝の上で肉球を握りしめて、それをじっと見つめている。茶色いマイケルは言葉を探したよ。先に声をあげたのは灼熱のマイケルだった。
「……世の中がそんなことになっていたとはな。見ているようで見ていなかったというのは、実感してみると何とも惨めなものだ。自分が希薄になった気さえする」
いつもは率直な子ネコだけど、どこか別の場所にある言葉を手繰り寄せるような、そんなたどたどしい言い方だった。灼熱のマイケルはソファーに浅く腰かけたまま姿勢を正し、左隣のピッケに向きなおる。
「ピッケはこの話を知っていたのだろうな。だからあの時、『あわあわの世界では何でも望みが叶う』と店主に教えられたあの時に、興奮したのだろう?」
そうか、と茶色いマイケルは立ち上がったピッケの横顔を思い出した。瞳に宿った、どこか鈍い光。
ふと、胸の奥がざわめく。
「ピッケ、聞かせてくれ。大空の国へ渡り、あわあわの世界へ行くとして、お前は何を願うのだ。大望とやらがどういう理由で関係してくるのかはまだ……おおよそしか分からんが、その願いが問題となっているのであれば、まずははっきりさせておこう」
しん、とイヤな音の途切れ方だった。ひと息おいて灼熱のマイケルは言う。
「お前の願いは、『この街を元に戻したい』と、そういうことか?」
茶色いマイケルにはその質問が、どういう意味を持つことなのか、分かっていなかった。だけどね、凍えるほど寒い日の隙間風みたいな気配を感じたんだ。ピッケはもっと強く感じていたのかもしれない。
子ネコがキュッと縮こまる。犬歯がはみ出して、口元に押し付けられている。そこへさらに、
「聞かせてくれ、お前の口から」
灼熱のマイケルが重ねた。それはただの質問のようだけど、声はそう言ってない。茶色いマイケルは慌てて、
「ちょ、ちょっと待ってよ。どうしてそんなに怖い声になる必要があるのさ」
とピッケの前に出ようとする。だけど、
「茶色」
と声で止められた。強く言われたわけじゃない。むしろこの子ネコからしたら柔らかい声だ。
遠くでマタタビ酔いしたネコが騒いでる。
茶色いマイケルは灼熱のマイケルの目の奥を覗き込んでいたけれど、その意識はピッケの方に向いていた。だからさ、目の端っこにうなずく姿が見えたとき、茶色いマイケルはうつむいた。
「べつにさ……別に変なことじゃないんじゃないかな。平和だったころに戻したいって、そう思うのはさ」
茶色いマイケルはピッケの握りしめた手に目をやって、それから灼熱のマイケルの足元に目を移したよ。
「あわあわの世界に行って、それができるんならさ、試してみたって」
「ピッケ」
灼熱のマイケルは茶色いマイケルを見ていない。
「滅んだ都市をどうにかしようなどと思ってはならん。それは子ネコのお前には過ぎた願いだ」
「しゃ、灼熱」
「お前には元に戻す力はない。もっと地に足をつけて前を見据えろ。大きすぎる願いはお前の未来を捻じ曲げるぞ」
「ねぇ、灼熱ってば」
「考えても見ろ。都市というのはネコの集まりだ。皆が去り、そして滅んだということは、ネコたちがそれぞれに考え、決断し、たとえ苦渋であっても選び取った道なのだ。それを否定するようなことをしてはならない。後ろを変えようとするな。そんなことをしなくともワシたちは毎日変わっているのだ。願いなら前に持て。前だけ変えて生きてい」
「灼熱ってば! やめてよ! そんなに言う必要はないじゃないか!」
「茶色は黙っていろ。これはピッケのために言っていることだ」
「キミが何かためになることを言っているのは分かる、でもさ、そんな立て続けに言ったって分かるもんじゃないよ! そんなに急に、気持ちなんて変わるものじゃないだろ!」
茶色いマイケルは同意を求めてカラバさんを見た。だけどその視線はピッケに向いていた。だから果実のマイケルを見た。だけどやっぱり目に映るっているのはピッケだけだった。
「どうしてさ……どうしてそんな……ただ思ってるだけでしょ? 壊れた街が元通りになればいいなって、それのどこがいけないっていうんだよ」
言いながら、その言葉がどこか空を切るのを感じていた。
「願いをさぁ、持つこと自体は悪くはないんだよぉ」
ゆったりとした口調は相変わらず。だけど少し低い音。
「だけどねぇ、壊れたものを元に戻すっていうのはさぁ、とってもとっても時間がかかる。ううん、ゆっくりとぉ時間をかけて戻さないとぉ、灼熱が言ったみたいに、どこかに歪みがでちゃうんだよ」
果実のマイケルの言葉にはどことなく深い実感があって、茶色いマイケルは少し考えこんじゃった。
「だからさぁ、ピッケがメロウ・ハートを元に戻したいって思うんならさぁ『あわあわの世界』の力になんて頼らずに少しずつ少しずつ元の姿に戻していけばいいんじゃないかなぁ。灼熱の話に賛成するのはしゃくだけど……ん? 灼熱のしゃく……あふふ、いててっ、ちょっと分かってるってばぁ、もうふざけないからぁ。ゴホン。過ぎたことは変えられないけど、今あるところからなら変えていけるんだからさぁ。せっかく生きてるんだから」
「死んだんだ」
突き刺されたのかと思った。
3匹のマイケルたちはバカみたいに「は?」と声をそろえる。だけど言葉の意味が飲み込めない。ピッケの一言に刺された部分だけが、生々しく痛みを訴えるんだ。
止まった時間に流れを与えたのはカラバさんだった。
「ピッケさんのお母様は、お亡くなりになっているのです」
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