2-16:醜悪と狂気

ホロウ・フクロウの大森林と灼熱のマイケル 2. 灼熱のマイケル

***

「ワシと話し、ワシの闘う姿を見て、知識も知恵も実現力もない自分を、思い知ったのだろう?」

 子ネコはゆっくりと近づいて来た。

 一歩進むたびに右に左に揺れる身体。凛と背筋を伸ばして歩いていたさっきまでとは、また別の種類の洗練された動き。

 冬の寒い日、むき出しの土からたち昇る蒸気みたいだ。

 熱。

 そこだけがゆがんで見えるほど激しく熱を放っている。炎では言い足りない何か。その何かが近づいてくる。

 茶色いマイケルは態勢を整えようとしたけれど、一度ぐにゃりとしてしまった身体にはなかなか力が入らなかった。逆さまの状態から、地面にドロリとへばりつく。

「お前の力はその程度だ。その自己評価で間違ってはおらん。その場所と、その恰好が似合っている」

 足音は聞こえなかった。周りの音も。その声だけが耳に飛び込んでくる。痛いくらい。

「お前には何かを乗り越えるだけの力はないよ。知識がない。目的意識がうすい。失敗を恐れ、挑戦に怯え、結果として経験も少ない。だから応用力も育たず、機転も利かない」

「……」

「ワシと比べる必要なんてないのだ」

 優しさを装った軽蔑が、茶色いマイケルの胸に突き刺さった。

「お前はそこにいろ。この街でぬくぬくと暮らしていればいい。チルと言ったか、自分よりも下の者たちにちやほやされて生きろ。冒険は絵本の中だけにしておけ。絵本を抱えて夢でも見ていろ。いつまでも肉球をしゃぶりながら母の物語でも聞かせてもらっていろ」

 一呼吸あけて。

「ワシに、憧れなど抱くな」

 言われ、強張った。

 恥ずかしさでどうにかなってしまいそうだったんだ。視界がぼやけて瞳の表面までもが、あつい。

 言いたい放題に言われても言い返せない。言い返すだけの言葉もない。考えがない。言葉を導き出すための道筋すら辿れない。

 これが、ボクだ。

 分かってはいた。

 あの時、初めて会ってからずっと、ボクはこの子ネコみたいになれたらなって、どうやったらなれるのかなって、そんなことばかりを考えていたんだ。

 そんな方法があれば聞きたかった。しかもさ、出来るだけ手っ取り早い方法をね。

 なんか分かっちゃったかもしれない。この子ネコがボクのことを”醜悪だ”っていった意味が。難しい言葉だけど、はじめはあんまり意味が分かっていなかったけど、ボクはその意味を知らないまま、その意味を感じたんだ。

 心の奥で燻っていた熾火に、雪が積もっていく。

 しゅう、と情けない音を立てながら、熱が冷めていく。

 その様子を見て、燃える炎の子ネコは激昂した。

「くだらん子ネコを生みおって!」

 林全体が震え、慌てて鳥が飛び去った。顔は引きつり狂気そのもの。

「つまらん母ネコだ! こんなつまらん子ネコを産み落としてそのままにしておくとは正気か!? 教育もせずただ絵本を読ませているだけ。はっ。そういえば二人暮らしと言っていたな。なるほどなるほどあい分かった。お前のような子を産み、お前のように育ててしまったんだ。それはしかたない。どうせ逃げられたのだろう。お似合いだ。お前たち母子にはそこでヘタレているのが――」

 気味の悪い虫でも踏み潰したような声でしゃべっていた燃える炎の子ネコが、地面を転がった。水面をはねていく小石のように、一回、二回、三回と小さく跳ね、それから木の根で大きく打ち上がった。

 地面にぼとりと落ちたところまでは、さっきの茶色いマイケルと同じ。だけどさすがだね、滑らかな動きで態勢を立て直し、右の頬を拭った。

「……」

「……」

「……なんだ。言い返さんのか」

「言い返す必要は、ないだろ」

 シャアッっと、口を大きく耳まで裂いた凄惨な笑みが、茶色いマイケルに襲い掛かった。

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