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世界を救う意味はあるのか……?
そんな当たり前のこと、と茶色いマイケルは質問をしたケマールさんを見て首を傾げた。
住む家がなくなると困る。自分の部屋や秘密基地がなくなるのもイヤだ。街がなくなるとシロップ祭りや雪と氷の祭典に行けなくなるし、ご先祖ネコさまの丘から街を見下ろすことさえできなくなる。いなくなってほしくないネコなんて山ほどいる。一つ一つを挙げていけばきりがないよ、バカバカしい質問だ。みんなだってそうじゃないの?
なのに。
ケマールさんの隣にいるマルティンさんは、ようやく上げた顔を下ろしてしまった。さっきまでとはまた違う種類の暗さだ。少しだけ怒っている風でもある。ケマールさんも。むき出しの古傷がズキズキと痛むのか、引き攣った、とても怖い顔をしている。
その深刻な表情を見て、飛び出しかけた言葉は飲み込んだ。
「いや、住む場所があり、身なりよく暮らしていられるのなら世界に存在する意味はあるか。お前たちは子ネコだ、なにはなくとも楽しいということもあるだろう」
小さな笑いは少しだけ優しい。
「質問を変える。わざわざ困難を選ぶ理由はなんだ。説得せずとも望みは叶うのだろう?」
ならば、と目に力が込もる。
「神とやらの意識を消してしまえばいい」
ひくっ、ひくっ、とケマールさんの顔が震えていた。傷のせいだろうか。顔の筋肉が傷ついていて、それが小さな痙攣を引きおこしているのかも。なにかを詰め込んだ箱がカタカタと揺れているみたいにも見える。
茶色いマイケルはその傷に目を向けながらも考えていた。どうして簡単な方を選ばないのか。特別賞に願って神さまたちの意識を消してしまったほうが楽ではあるんだ。それは分かってる。でも。
「前に、大空ネコさまの周りにいた神ネコさまたちを見た時にね、思ったんだ。背筋を伸ばしてピシッとして、すごく堅苦しいなぁって」
ケマールさんは片眉を持ち上げた。隣のマルティンさんの顔も少し上がった。
初めてスラブに乗ったときの事だ。ひと回り以上大きな空飛ぶ大岩が子ネコたちに迫ってきて、そこにマルティンさんとクラウン・マッターホルンの神ネコさまたちが乗っていた。整列してね。
「ネコはあんまり背筋を伸ばさないからさ、窮屈だろうな、ムリヤリさせられてるのかなとも思ったんだ。けどね、嫌々やらされてる風じゃなかった。むしろ、キッと前を向いてる姿はカッコよくて、何となくだけど誇らしげに見えたよ。好きでそうしてるんだなっていうのが伝わってきたんだ。ボクの知ってる神さまたちとは違って」
クラウン・マッターホルンの頂上で見た神ネコさまたちの様子を思い出す。
「あの神さまたちは、口を開けば悪口だった。殺すとか潰すとか、話なんてしようともしなくって……今の神ネコさまたちとは全然違ってたんだ。ちっともカッコよくなんかなかったし、背筋も曲がって見えた」
まぁ、ここでも高圧的な神ネコさまはいるみたいだけどね、とジャガランディを思い浮かべる。だけどそれはネコに対してだ。表の神さまたちとは比べられない。
「でも、事情を聞いて思ったんだ。本心ではあんな風に争ったりしたくなかったんじゃないかなって。みんなで、背筋を伸ばしていたかったんじゃないかな、カッコよく前を見て。ボクはさ、ああなって欲しくないんだ。
きっと悲しいことだよ。神さまたちにとっても。いつもみたいにできなくて苦しいんだよ。歪んじゃったんだよ、神さまの意識は」
罪を犯して後悔する神さまがいる。歪んじゃうほど苦しくて辛い思いをしている神さまたちだ。なんとかしようと頑張った神さまもたくさんいたらしい。だけど色々なものを失っちゃった。
茶色いマイケルはフードの中でまだゴロゴロ言っている風ネコさまの重さを感じた。
きっと、なんとかしたかったんだ。
「だったらさ、そうなるって分かっているならね、止めてあげたい」
助けたい。そう思う。
「気まぐれで何をするかわからない神さまたちだけど、言葉を交わしていられるのなら、そのほうがずっといい」
ふと見上げた大空にも、感じた風にも、踏みしめた大地にも、心があるんだって、そう思えた方がいいじゃない。
「大切だと思ったものが失われてしまうのはつらいことだよ」
まっすぐに見つめた視線の先、ケマールさんはボーガンを大きく揺らす。
それにな、と言ったのはケマールさんの隣であぐらをかいている灼熱のマイケルだ。
「特別賞も入賞も、要するに神頼みであろう? ワシらはもう神頼みなんぞしないと決めてここに来たのだ。それこそ酷い目にあったからな」
鼻頭にシワをよせ、渋面をつくった灼熱は、パッと顔を変えた。つられて笑ったのは虚空のマイケルだ。
「面と向き合って神々と話をする機会はそうそう無いからな。せっかくなので思いの丈をぶつけさせてもらおう。洗いざらい吐いてスッキリするのも悪くない」
それにはマルティンさんが噴き出して、「なかなかスリリングな舞台になりそうだ」と頭の毛をくしゃっと撫でつける。さらには果実のマイケルがニコッと笑い、
「ここはオイラたちで乗り越えるって決めたんだ。でしょ、茶色」
茶色いマイケルはうんと頷きこう応えた。
「本当に大切なことは、誰かに任せない」
ケマールさんの身体が強張った。ぐらりと揺れる右手のボーガンを、慌てた左手がぐっとつかんで押さえつける。鏃の先はマークィーからは大きく外れ、銀色の砂の中に埋もれてしまった。
「少し疲れたらしい。見張っていろ」
そう言うと、ケマールさんはフードをかぶり直してうつむいた。ボーガンはもう、構えていない。
隣にいた果実と目が合うと、苦笑いが自然と漏れた。それを見ていた灼熱がパシッと両手を合わせたよ。
「よし、心は決まったな。なんだかんだと言いつつ神には助けてもらってもいる。それもまぁ事実だ。仕方ない」
素直じゃないなぁ、と果実が茶化すと樹洞の中はこれまでで1番明るくなった。まるで銀色が自分から発光し始めたみたい。
「しかし護られてばかりというのも癪(しゃく)だ。『神助け』してやってもいいだろう」
すると何を感じ取ったのか、それまで黙っていたコドコドたちも起き上がり、灼熱のマイケルの周りをうろちょろしながら、
『助けてもらおうじゃねーかー、あぁん!?』
『助けちぇもちゃちゃちゃ……あぁん!?』
と騒ぎはじめる。まだまだ考えなくちゃいけないことは他にもたくさんあるっていうのに、と思いつつも、思わず明るい笑い声がこぼれたよ。
その瞬間、ふっと暗くなった。
慌てて入り口を見れば穴が塞がれている。そのかたわらにはお尻をついた吹雪ネコさまがいて、口をあんぐりと開けて穴のほうを見ていた。目を凝らせばわかる。穴を塞いでいたのは……
「ま、マークィー……」
しかも1匹じゃない、いくつも顔があったんだ。つぶらな瞳の毛むくじゃらの顔が穴を塞ぎ、中の様子をしげしげと物色していた。
まずい、逃げ場がっ。
ゾワッと寒気がして空気が引き締まる。洞の中がぎゅっと圧縮されて身体が1/30くらいに縮む思いだった。
そこへ、
「いやぁ、神助けとはなぁ。やっぱりいいぜマイケルチャンたちよぉ!」
もこもこしたマークィーの顔の中からポン、ポン、と見覚えのある2つの顔が現れたんだ。
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