アイデアはよく逃げる。
おっ、いいこと思いついた! と喜んでも2,3分後にはもう忘れていたりする。
何年か前から そういうアイデアを捕まえておくためにちょこちょこメモをするようにしているけれど、それでもやっぱりピチピチと生きのいいアイデアは手元からするりと逃げることがある。
こう、シャープペンシルの先があと1ミリで跡を残すぞっていうその瞬間に、
「あれ? なんだっけ?」
ってなったこともあるから毎度毎度 真剣にもならざるを得ない。
いったい何のアイデアを書き留めているのかと言えば、大抵は小説のネタかな。雑談ネタも集めていたことはあったけど、それこそ新鮮でないとおいしく食べられなかったりするから、あまり人と会うことのない今の生活には合ってない。下手したらネタが古すぎて食あたりを起こしてしまうかもしれないもの。そんなの目も当てられない。
最近はブログのネタをよく考える。昔思いついた小説のネタを引っ張り出してきて形にしてみるのも楽しいけど、何日か前に思いついたことの方が脂がのってる気がするな。
とはいえ、新鮮なネタを調理するにはそれなりの技量が必要で、下手に鮮度を求めてお客の前に出してしまうと、あとで後悔することが……多々ある。
会心の出来だと披露して、蓋を開けてみれば誰もかれも無反応。
意気消沈しながらも改めて見て見ればなるほど納得。こりゃあ人前に出すもんじゃなかったなぁ、と恥ずかしくもなるもんだ!
これはプロの作家さんも言っていることなのだが、ネタは寝かせる必要がある。
思いついたアイデアを書きだして、何日間かは忘れて過ごす必要が。
考えてすぐに使える作家さんもいるようだけど、まぁこちらとしてはうらやましがるばかりです、はい。
アイデアを寝かせ、しばらくして起こす。
そうすると そのアイデアが本当にいいものか、使えるものだったのか が不思議と分かるんですよ。本来の意図とは違う使い道を思いつくことだってあるしね。
さて、”寝かせる” につなげるわけじゃないけれど、寝起きに浮かんだアイデアが曲者だ。
アイデアを思いつくのはお風呂とかトイレとか、大抵リラックスしている時だったりする。
リラックスという点で言えば、寝起きは究極。
目覚まし時計に起こされる方の寝起きじゃなくて、まどろみの中から浮かび上がるような寝起きの方。
睡眠と覚醒の水平線上。
まさにリラックスにどっぷりと浸かった状態と言える。
そんな時にものすごいアイデアを思いつく。
ろくすっぽ開いていないまぶたをこじ開けながら、付箋のブロックを手繰り寄せてメモに取る。愛用の2B9ミリのシャープペンシルなら、さほど力を入れなくてもさらりと色が乗ってくれるから寝起きの弱々しい握力には最適だ。
書き終え、興奮と満足の中で再び眠りにつくときもある。この二度寝は最高の気分だったりする。
が。
実際は大したアイデアじゃないことが多い。
字が汚すぎて読めないことは論外としても、ネタとして面白くないどころか、ネタとして成立していないこともしばしば。付箋に「サバ」と書いてあって、それから何を読み取れというのか。もうちょっと説明が欲しいところだ。
これを『傑作のアイデア』と思い込んでいるんだからホントどうかしている。
思い返せばこの『傑作のアイデア』が浮かぶのって、夢を見たあとが多いかもしれない。
夢による記憶の整理の仕方はかなり大雑把で、色々な記憶がごちゃごちゃに組み合わさる。
それが理由かなとも思うが、どうもしっくりこない。
出来事の組み合わせによって素晴らしいアイデアが出ることはあるし、それをスゴイと感じるのは当然だ。
しかし、サバと書いて興奮したり満足したりすることは……おかしいでしょう。
だからこう思う。
『感覚の記憶』があるんだ。
何かをして「素晴らしい!」と感じたとき、その感覚と経験とがセットで生まれる。
それが夢のなかで「感覚」と「経験」に分離され、「感覚」の部分だけが「サバ」とくっつく。
結果、まどろみから浮き上がる時に「サバ」を「素晴らしい!」と感じるんだろう。
そう考えてみると、寝かせていない『新鮮なアイデア』を思い付いた瞬間というものも、案外寝とぼけているのかもしれない。
なんだか生臭い話だ。
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