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雷の柱が消えて、あとに残った4匹のマイケルたち。
子ネコたちが持ち上げているものを見て雷雲ネコさまは、立派なたてがみから赤い雷を四方八方にまき散らした。
『神の宝をネコどもがっ!』
そう、マイケルたちは神さまの宝でありこの登頂の目的でもある、神世界鏡の欠片を使って雷を防いだんだ。
「攻撃してきたのは雷雲ネコ様、あなたではないか」
神世界鏡を掲げる2匹、茶色いマイケルと虚空のマイケルの、そのすぐ後ろに立っていた灼熱のマイケルはそれまでの煽り調子をやめ、ごく真剣に、まっすぐな声で雷雲ネコさまに語り掛けた。
「神々に比べればワシらネコなどはさぞ矮小な存在だろう。実際その通りなのだからあえて目くじらを立てることでもない。どれだけ鍛えたとしても、稲妻をまともに受ければ丸焦げなのだからな。丸焦げネコだ」
さっき弾き返してたよね、とは口に出さなかった。
「だがワシらとて命なのだ。記憶があり痛みがある以上、死を避けようとするのは必然。黙って殺されるなどとは思わないで頂きたい」
その上で、と言葉を継いだ。
「神の存在には敬意を表する。あなたがた神が秩序を保っていてくれるからワシらは暮らしていけるのだ。それを軽んじたりしているわけではない。どうか分かってもらいたい。そしてこの場を穏便に納めては頂けないだろうか」
灼熱のマイケルは「お願いいたします」と腰を折り曲げて頭を下げた。他のマイケルたちもそれぞれに黙って頭を下げたよ。
「この鏡の欠片は必ず、かの神の元へと届ける。ワシらの困った顔をご所望とあれば下山の折にいくらでも見られるはずだ」
頭によぎる登頂までの記憶。
噴石を受け、ガスに包まれ、つむじ風に襲われ、土石雪崩にのまれそうになり、隕石にまで見舞われた。滑落して死を覚悟したのだってつい昨日の出来事だ。最後の雪壁も恐ろしかったし、その道をこれから後戻りするのかと思うと、よほどの覚悟が必要になる。
どれだけ困った顔をしてきただろう。
できれば避けたいけれど、雷雲ネコさまの機嫌が良くなるのなら困難に苦しむことも意味のあることかもしれないと思った。それに、困った子ネコの顔を見たがる神さまというのも可愛らしい気もする。見た目はとんでもなくコワいけどさ。
「重ねてお願いする。どうか神世界の平穏のためにも協」
言い終えるのを待たず雷の柱が4匹めがけて落ちた。不意打ちに、鏡を持っていた2匹がよろけて倒れそうになる。背中を支えてくれた灼熱のマイケルからは「なっ……」と小さく驚きが漏れた。
「なぜだ! こんなことをして何になる! 子ネコをいたぶるのと神世界鏡の修復と、天秤にかけてみてくれ!」
必死に訴えるけれど、2撃、3撃、4撃と雷の柱は間断なく4匹のマイケルに叩きこまれた。もちろん当たりはしない。放たれた稲妻は傘に弾かれた雨粒のように、辺りに散っていた。
『ニャアニャアとやかましいネコだ。雷撃に潰れろ』
8撃、9撃、10撃を越えた辺りから数える余裕がなくなる。明らかに周りの温度が上がっていたんだ。気温は一定以上にならないよう欠片の力で抑えられてはいるものの、辺りはサウナ状態。めまいがしてくるよ。さらに、
「くっ!」
「いかん、鏡からわずかでも身体を出すな、痺れるぞ!」
「なんでぇ!? さっきまでちっとも当たらなかったのにぃ!」
4匹のマイケルを焦らせたのは足元だ。
「誘導電流――いや、狙いは側撃か!」
虚空のマイケルが叫んだ。
”ごろごろと雷の音が聞こえてきたら木の下に立ってはいけない”
茶色いマイケルが小さいころから言われていたことだった。背の高いものは雷をよく引き寄せるけれど、そばにネコがいた場合、より電気を通しやすいネコの方に流れていくんだ。これが側撃。
今の状況に重ねると、あの『尖った岩』が木にあたる。
欠片の力で弾かれた落雷が、いったん尖った岩に引き寄せられる。だけどどういうわけか雷撃が尖った岩を避けるんだ。逃げ道をもとめた雷は茶色いマイケルたち方へと引き寄せられて足元へと落ちている。幸い今は、弱まった雷しか雪を伝って寄ってこないけど、だんだん強くなってる気がする。
「耐熱装備はあるがさすがにこの規模の雷の熱はマズイ。それにそろそろ」
「オイラが交代するから茶色は影に入って身を屈めて! 雪で頭を冷やさないと」
「雪国育ちにこの熱はたまらんだろう。少し休んでいろ。虚空! お前もワシと代われ!」
滝のように注ぎ続ける雷撃の中、茶色いマイケルと虚空のマイケルは交代して、2匹に背中をあずけてしゃがんだ。身体を縮めていれば側撃を受けずにいられるけど……。
「ジリ貧だな」
虚空のマイケルのつぶやきは、雷の中でもはっきりと聞き取れた。
「すまん! ワシが煽り過ぎた」
灼熱のマイケルが背後に向けて声を飛ばす。
確かにそれはあるかもだけど……と泣き出しそうな果実のマイケルを思い出すと、爪が出そうになる。そこへ、
「話をする状況を作ろうとしたのだろう、分かっているさ」
虚空のマイケルが落ち着いた声で言った。どこか笑っているふうでもある。
「あの調子でもてあそばれたなら、いずれ体力を奪われ、装備を奪われ、どのみち下山は厳しくなっていただろう」
雷撃、雷撃、雷撃。
怒涛の雷撃に欠片を持ち上げている2匹から声が漏れた。それでも轟音と轟音のあいまを縫って果実のマイケルは、
「ちょっとちょっと虚空ぅ、あんまりコイツぅを甘やかさないでよねぇ! ただでさえ喧嘩っぱやいんだからぁさぁ」
と冗談めかす。
「灼熱ってば茶色にまで喧嘩売ったことがあるんだってぇ。しかも買わせたっていうんだからさぁ、とんだ押し売りネコだよねぇ。ま、結局負けたってのがまたウケるぅけどさぁ」
「か、勝ったのか!? コレに!?」
「いや、勝ったっていうかあの時は……」
「なーにゴニョゴニョ言っておる! あれはワシの負けだと言ったろう、お前の勝ちだ」
「……スゴイな」
「ヤバイよねぇ……」
虚空のマイケルから向けられた目には、驚愕と尊敬が1:3で混じっていて、とても居心地が悪かった。嘘をついているみたいで心が痛いな。
ふっ、という笑い声は隣に屈んでいるマイケルからだった。
「まだまだ知らないことの方が多いようだ」
神さまに目の敵にされたこの状況。ズン、ズン、ズン、と止まない雷撃の中でするには緊張感に欠ける話だとは思ったけれど、だからこそ茶色いマイケルは、息を深く深く吸い込むことができたよ。
『そろそろか』
抑揚のない冷たい声を耳が拾って背筋が凍る。
何か来る、そう思って力んだ途端、衝撃が一切なくなった。
空中に放り投げられた瞬間のような心地になる。ぽっかりと生まれた緊張感のない時間。次に何をするべきかが分からなくなった空白の時。判断が遅れたのはそのためだった。
茶色いマイケルの目の前を、谷に向かって雷撃が通り過ぎる。虚空のマイケルがハッとした声で、
「アイスバイルを――」
と叫んだ時にはもう遅かった。
見る間に身体が浮き上がる。
瞳の水分が奪われ目を開けていられなくなる。
次に目を開けてみると空の上だった。
眼下には刃のような雪稜――ナイフリッジが見える。
吹き飛ばされたっ!
爆風だ。
頭からサーッと血の引く気色悪さをこらえて腰に手をやり、アイスバイルの柄をつかむ。カラビナを外す。もう一本は間に合わない。何とかこの一本だけで雪壁にしがみつくしかない。
だけど、再びの雷撃と、それを押し返すような谷からの爆風によって、茶色いマイケルはさらに高くへと吹き上げられた。高すぎる。うまく雪壁にアイスバイルをかけられたとしてもこれじゃあ――。
『くっふふふふふはは! さようならだ、ネコども』
ふと周りを見れば、果実のマイケルと虚空のマイケルもそれぞれ少し離れたところに飛ばされていて、ちょうど視線が合った。驚きで口は半分開いている。
あ、落ちる。
頂点を境に落下がはじまり、加速して、考える間もなく雪壁にぶつかった。アイスバイルを引っかける。弾かれた。衝撃が強すぎて飛ばされてしまった。爪を出す。引っかける。だめだ腕ごと弾かれた、落ちる!
『お前ってつくづく運がいいよなー。これってわざとやってんのー?』
えっ!?
雪壁に弾かれ放り出されたかと思えば、声が聞こえ、またもや身体が浮いた。茶色いマイケルは咄嗟に、
「お願いっ、みんなも!」
と叫んでいた。
まもなく「これは……!?」「えっ、なんでっ」「まさかっ」と聞こえた。
4匹のマイケルたちは風に拾われていた。
風はでたらめな動きで子ネコたちを宙に浮かせ続けていた。
『うまく乗れよー。落っこちたら拾ってやんねーからなー』
声は脳に直接。
風ネコさまっ!
茶色いマイケルは胸の奥がカァッと熱くなるのを感じたよ。とそこへ、
『あんた、どういうつもりだ』
見れば、たてがみをビンビンに尖らせた雷雲ネコさまが、警戒心を隠そうともせずに頭を低くして身構えていた。風ネコさまの姿はまだ見えないけれど、茶色いマイケルたちのすぐ近くにはいるらしい。雷雲ネコさまが恐ろしい顔でこっちを睨んでいるんだ。やめてほしい。
『なんでってー、まぁ、約束だったからなー』
『約束だって……?』
聞き返す言葉には応じず、風ネコさまは『それに』と言葉を継いだ。
『お前さー、なに勝手にオレの風使ってんだよ』
ぶっ殺すぞ
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