4-40:ピューっと、舞う

***

『おいネコー、このまま家まで送って欲しいかー?』

 クラウン・マッターホルンの頂上の、そのまたさらに100メートルくらい上空で、不安定な風に浮かべられた茶色いマイケルは神さまの声を聞いていた。一見穏やかなその声は他のマイケルたちにも聞こえるらしく、

「む!」

「よろしいのですか?」

「ええっ!? ぜひぃぃ!」

 と直前まで命の危険を感じていた子ネコたちを食いつかせた。やり取りを聞いていた雷雲ネコさまも『なにを勝手な』と憎々しげに唸っているんだけど……みんな分かってないなぁ。

『ばっかじゃねーの、送るわけねーだろー、めんどくせー』

 風ネコさまは風をびゅうびゅう吹かせ、ケラケラケラと笑う。

 茶色いマイケルは、3匹のマイケルたちから何とも言えない視線を向けられ、チクチクと痛い思いをした。風ネコさまのことは話したんだけどなぁ。

 一方、ぶっ殺すぞと言われていた雷雲ネコさまは苛立たしげに、

『連れて帰るならそれでもいい』

 と言って、それから『くっふ』と含み笑いをした。

 雷のたてがみをぐるんと振り回す。

 すると雷雲ネコさまの顔の前に、見覚えのある光、神世界鏡の欠片が現れたんだ。「なぜだ!」と声を上げたのは虚空のマイケルだよ。それは小片に吸収したはず、とね。

 子ネコたちの動揺する様子に気分を良くしたのか、雷雲ネコさまは顔の雷雲を禍々しく歪めて、神世界鏡の欠片を鋭い牙に挟んでみせた。

『見逃してやってもいいんだぞ。そのまま帰って「集められませんでした」とあの神に言ってやれ。どんな反応がくるか、楽しみだなぁおい』

 くっふふふふふはは、と今度こそ威圧感たっぷりに笑った。雷鳴が拍手するように後に続く。

 けれど俄かに音はかき消されてしまった。

 風が流れだしたんだ。

 4匹のマイケルと雷雲ネコさまとを結んだ線の、ちょうど真ん中あたりに風が集まってきて、度の強いレンズを当てたように景色がねじ曲がる。

 透明な獣の器が、みるみる形づくられていった。

 雷雲ネコさまほどの大きさはないものの、昨日見た愛らしい神ネコ姿に比べればはるかに巨大。筋肉質でより野生味を帯びた四足獣。鋭く反った耳がまるで鬼ネコの角みたいだ。

 巨大な獣姿になった風ネコさまの身体の中を、クラウン・マッターホルンから吹き上げられた雪が、ピューっと舞っている。

『お前さー、調子にのってんじゃねーぞー?』

 シャーッ、と荒々しい威嚇。

 激しく吹き出した蒸気のように擦れた音だった。

『お前の遊びによー、オレまで使おうってのかー? あー?』

 風ネコさまは突然、錐揉み状に急降下して谷底に姿を消した。が、時を置かずクラウン・マッターホルンの山肌を一気に駆け上がってくると再び空に向けて跳びあがった。黒雲までの数キロメートルを一足飛びだ。

 空へと足をかけた風ネコさまはその場所で、バターになりかねない勢いでデタラメに暴れ回った。吹き荒れる風は空を覆っていた黒雲を散り散りにし、あとに残ったのはみすぼらしくちぎれた雲ばかりだった。

 あまりの速さに茶色いマイケルは呆気にとられて見ているだけだったけれど、雷雲ネコさま別の理由で動かなかったらしい。

『あんた、ここで神同士の喧嘩を始めるつもりか』

 低い声が空気を伝ってヒゲをビリビリと震わせる。いつでも噛みつけるぞ、とばかりに身を低く構える雷雲ネコさま。対して、青く晴れた空から見下ろす風ネコさまは、

『ケンカ売ってきたのはよー、お前のほーだろーがよー』

 と大口を開けてあくびを一つしただけだった。

『他の奴らが集まってくるぞ、いくらあんたでも』

『たかがケンカで仲間だよりかよー、お前さー、いちおー神さまの端くれなんだろー?』

 アゴを上げて見下ろす姿勢がいかにも馬鹿した格好だったからか、雷雲ネコさまは尻尾を天に向け、巨木を噛み砕くような音とともに尻尾の先から赤い雷を放った。空にはまた黒い雲が集まり、一帯が暗く沈んでいく。

 その黒雲の勢いを見て、慌てないネコはいないだろうね。

「や、やばぁ、欠片って誰が持ってるのぉ!?」

 少し離れて浮かんでいる果実のマイケルが、他の3匹に尋ねた。

「でかい方は谷底に落ちていくのをさっき吹き飛ばされる時に見たが」

 と灼熱のマイケルがこちらを向く。その視線を受けた茶色いマイケルは手のひらを広げて見て、どきりと心臓を跳ねさせた。預かっていた吸収用の欠片がどこにもなかったんだ。

「安心してくれ茶色いマイケル、小片なら俺が持っている」

 隣から声をかけられ心底ほっとした。全部なくなっちゃったかと思ったよ。

「いやいやぁ、安心するのは早いってぇ! 虚空は欠片ぁを持ってるからいいけど、オイラたちどうやってそこまで行くのさぁ!」

 そうだ、今子ネコたちは足場のない風の上に浮かされてるんだった。これじゃ身動きが……と思っていると、

『ネコー、これ使っていーぞー』

 という風ネコさまの声が頭に流れ込んできて、さらに周囲の風が4匹それぞれに集まり始めたんだ。わわっ、と声を出したかったけれど、風の勢いが強すぎてしゃべることも難しい。まるで嵐の日の風みたいに遠慮なく顔を打つ。

 それでもガマンした甲斐はあった。

 風は、風ネコさまと同じ四足獣の形をとって、茶色いマイケルたちをその背に乗せた。本体よりはやや小さいけれど、それでも全長5メートルくらいはあるんじゃないかな。でっか。

『ネコってさー、たしか空飛べただろー?』

 いや飛べないよ、と茶色いマイケルが言う前に、

「芯を使った空中移動のことですか?」

 と虚空のマイケルが応えた。

『そーそーそれそれ、そんなカンジで飛べ。あと雷うるせーから頭で話せなー。ついでに風も使えるようにしてやるからさー』

 それで雷雲のヤツを吹っ飛ばして来いよー

 と。

 言い終わると同時に雷雲ネコさまが、凄まじい怒りを茶色いマイケルたちへとぶつけてきたよ。

 わああ、と吹き飛ばされる子ネコたち。まさか雷でも風でもないものに吹き飛ばされるとは思ってもいなかったから、身構えてさえいない。

『いいんだな、あんたの言ったことは大戦を始めるってことだぞ』

『いーんじゃねーの? こんな世界なんてぶっ壊れちまった方がー、オレはのびのーび出来るんだからさー』

『そういえばあんたも同じだったな』

『はー? お前と一緒にすんなよー。オレがこの枷外したらー、真っ先にお前のことぶっ殺してやっかなー』

『……言ってろよ。それと、この戦いはあんたが始めるんだからな。責任も当然あんたにかかってくる。関わる気のない神たちが総出でかかればいかにあんたといえど』

『はー、お前ってほんとちーせーよなー。すーぐ話を大きくしたがるし責任を他になすりつけてよー。だからネコにまで馬鹿にされんだよー』

 これだから、細神は。

 その言葉が雷雲ネコさまにとってどういうものだったのかは分からない。だけど、たった一言で空の様相は一変した。

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