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波打つ黒雲にむけて次から次へと突き刺さる、赤い雷。
放たれるたびに普通の稲妻とは違う、鋭い音をさせている。
4匹はそれを強張った表情で眺めているしかなかった。
『まだ頭が追いつかないか?』
首筋に舌を這わすような声だ。子ネコたちを馬鹿にしているのが伝わってくる。雷雲ネコさまは腹這い状態から起き上がり、
『そろそろか』
と言って、軽いかけごえとともに尻尾を振った。
『それっ』
ピシャッ。
これでもかと雷を泳がせる上空の黒雲から、白い雷の矢が一本、虚空のマイケルとその後ろにいる茶色いマイケルとの間に突き立った。矢はあっというまに雪の中へと消えてしまったけれど、糸くずみたいな光が雪を伝って茶色いマイケルの靴――アイゼン・キャット・ウォーカーの爪先にからみつき、しばらくピリピリしたあとで消えた。
よわっ、と笑えるような状況じゃないみたい。
『ちょっと弱かったみたいだな、もう一本いくぞ』
「お待ちください雷雲の」
『いや』
再び降ってきた『白雷の矢』はさっきの3倍は大きかった。それが同じように雪の足場に突き刺さって消え、さらに茶色いマイケルの爪先にからみつき、
「ぎゃっ」
登ってきた。蛇のように足首にまきついて裾のすき間から這いずってきたんだ。
「茶色!」
「へ、平気! 驚いただけ!」
茶色いマイケルは、灼熱のマイケルが駆け寄ろうとするのを手で止めた。あんまり近づきすぎると良くない気がするしね。
『ありゃりゃ、もうちょっと強くても良かったかもな』
「どうしてこのような事をなさるのですか! 雷雲の神よ!」
雷雲ネコさまは身体を横向きにかえて、巨大な頭をぐるんぐるんと回した。
『どうしてこのような事をなさるのですか、雷雲の神よ、神さまよぉ! 神さまだよぉ! くっふふふふふはは! おいおいおい、お前は虫が鳴いてたら耳をかすのかぁ!?』
今度は虚空のマイケルを取り囲むように3本の白雷が突き刺さった。雪上を走って爪先にからみつく。
「うぐぁっ……!」
「虚空ぅ!」
胸を大きく反らせて膝から崩れ落ちた子ネコは、しっぽが静電気でぱんぱんに膨れ上がっていた。
『なるほどそうか、じゃあ』
言うなり放った白雷は2本。
「いぎぃっ……!」
呻き声は果実のマイケルだった。
『おっ、お前いいなその声。いぎぃっ! いぎぃっ! くっふふふふふはは! なんだその気持ち悪ぃ声!』
反省しろ!
そう理不尽に言い放つ雷雲ネコさまは、白雷の矢を次々と子ネコの足元めがけて飛ばした。今度の矢は小さくて、しかも一本一本間隔をおいて飛んできたから、当たったとしてもさほど痺れはないみたい。「わっ、わっ」と慌てながらも果実のマイケルにしてはうまく矢を避けていたと思う。
だけど、大きく避け過ぎている。
『おいおいおい! ちょっとずつ外すのだって難しいんだからもっと上手に避けろよぉ!』
放たれる間隔が短くなって、少しずつ当たるようになってきた。だんだんとジャンプが間に合わなくなってきて、タイミングがずれるたびに「いぎっ」と声をあげる。いくら痺れがわずかだとしても重なれば痛みは増す。怖いものは怖いんだ。必死でこらえているけれどその表情は、いつ泣き出してもおかしくないように見えたよ。
『くっふふふふふはは! 泣くかぁ? 泣いちゃうかぁ? いいぜいいぜ泣け泣けぇ!』
ふぐぅ、と呻き声をあげるたびに雷雲ネコさまが興奮して大笑いする。
なにがそんなに面白いんだっ。
茶色いマイケルが肉球をぎゅっと握りしめた時だ。
「小さく跳ねろ! 高く跳ばなくていい!」
雷雲ネコさまの声すら打ち消すほどの大声だ。果実のマイケルはスイッチが入ったように小刻みに跳びはじめたよ。すると少しは呼吸が楽になったらしく、表情も落ち着いたようにみえる。ホッと胸を撫でおろしたい気分の茶色いマイケルだったけど、どうやら神さまは面白くなかったらしい。
『……なに横から口出してるんだ。お邪魔なんだよてめぇは!』
茶色いマイケルが「灼熱!」と叫び終わる前に大量の矢が子ネコを襲った。まるで白い雨が降っているよう。あまりの勢いからか、足元の雪が舞い上がりその姿を覆い隠してしまった。
あんなのまともに浴びたら……!
だけど、
『…………』
大笑いすると思った雷雲ネコさまは、恐ろしく低い音でのどを鳴らすだけだった。
雪煙の晴れると灼熱のマイケルの姿が見えた。燃える炎の毛をした子ネコは、白雷の矢の飛んできた方向に拳を突き上げて、「ふぅ……」と白い息を吐いていたんだ。
「興を削いでしまったようでまことに申し訳ない。しかし雷雲の神、いや」
雷雲ネコ様よ。
そう言いなおした声にはうっすらと笑いが混じっている。
「ワシらとしても一方的にやられるばかりでは納得しかねるのでな、遊ばれるにしてもせめて理由を知っておきたい。どうだろう、あなたの言う『面白いもの』とはなんだったのか、それを教えてもらえないだろうか」
ちらりと横に目が揺れた。茶色いマイケルは小さくうなづき、荒く息を吐く果実のマイケルの無事を確認したあと、ずっと倒れていた虚空のマイケルに駆け寄って、上半身を起こすのを手伝った。「助かる」とお礼を言うその手を取ると、
あっ。
茶色いマイケルの耳が跳ねたよ。
『今のは殺したかと思ったんだけど。思ったよりも丈夫なんだな、ネコ。つまらねえ。そういえばお前、降ってくる礫を砕いてたヤツか』
「ご存じ頂いているとは光栄だ。つまりワシらのことはその時から知っていたと? だとすればこれまでの会話には、おかしなところしか見当たりませんな」
しっぽをつかみましたよ、とでも言うようなしゃべり方。敬語は使っているけれど、心の中がはっきりと透けて見えた。
『……』
低く唸った雷雲ネコさまは、茶色いマイケルたちの視線よりも高いところに浮いたまま、前脚、後脚の順で波打つように飛び跳ねた。脚を叩きつけるように何度も繰り返した。その姿が、獲物を噛み殺す直前の走りに見えたから思わず腰が引けちゃう。やろうと思えばこの山の頂上ごと口の中にすっぽりと納まってしまう大きさなんだ。
神さまはやがて動きを止め、
『そうだよ、俺はずっとお前たちのことを見てた。最後の欠片を隠してここで待っていた。まさか直接吸い込むとは思わなかったけどな』
つまらなそうにぼやいた。かと思えば、次の瞬間には一変する。
『くっふふふふふはは。いや、思い出したら少しは気分が良くなったぜ。欠片を探し回っているお前たちの顔! あと何時間探せばいいんだろう……泊まり込みかなぁ……お腹すいたよぅ……ってか! じわじわと滲んでくる焦り顔が滑稽だったなぁ。その後の予定も考えてたん』
「食料探しを邪魔する、もしくは諦めて帰るのをニタニタと眺める。そんなところでしょう」
『……なんだお前』
「随分と良い趣味をお持ちですな」
『俺、殺す気まではなかったんだけど』
「それはそうでしょう。欠片を集めきれずにげっそりと頬のこけたワシらの顔を眺めるのが目的だったのだろうから。殺す気が無かった? いやはや冗談までお上手だとは。成果を持ち帰れんかったワシらがどうなるかくらい、あなた様にはお分かりでしょうに」
雷雲ネコさまは、黒雲の顔に雷をほとばしらせ、目を眇めるように首を傾げた。
『何言ってんだか』
「まさか分からないとは仰いますなよ? 神」
『……』
「雷雲ネコ様、あなたがどんな役割を担ってこの山にいるのか、ワシらが知らないとでも?」
低い唸り声。その音を聞くたびに身を低く屈めたくなる。
茶色いマイケルは、さすがに「えっ、何のこと?」とは言えなかった。
「とはいえ、ワシらも軽々にその名は出せませんからな。そうだ、こうしましょう。さきほど仰られたようにこのままワシらの下山を見守って頂きたい。なに、ここまで4匹で登ってきたのです、特別な加護は必要ありませんとも。そうすれば」
『そうすれば、なんだよ』
「そうすれば、ここではすんなり欠片を見つけられたことにしておきましょう。もともと全て報告するようには言われていないのですしな。ご存じとは思いますが、なかなか大雑……大らかな方のようですから」
『おいネコ。もしかしなくてもお前、この俺を脅してるのか?』
「まさか。さっき言った通りですとも。一方的に遊ばれるのは納得しかねる。ネコというものは遊びは好きだが、遊ぶ気もないのにちょっかいを掛けられるのがどうも嫌いなようでな。特に子ネコですから、まだ我慢のきかん年頃なのですよ」
鞭をふるうように二度三度しっぽを振った雷雲ネコさまは、つまらなさそうなため息をふんとついて、
『バカなネコどもが』
と言ってたてがみを逆立てた。
灼熱のマイケルが身構える。他のマイケルたちも動いた。果実のマイケルがその影に飛び込んで身を屈め、茶色いマイケルは虚空のマイケルに肩を貸して走ったんだ。
『黙ってうな垂れていれば死にはしなかったのによ』
雷雲ネコさまはその巨体に大蛇のような稲妻を生みだし、泳がせ、さらには尻尾から上空の黒雲へと放出した。それを、
『じゃあな』
と躊躇うことなく4匹のマイケルたちへと叩きつける。
この世のものとは思えない音と光のあとに、爆風と空振とが続き、ネコどころか山頂そのものを消滅させかねない雷の柱が数秒も立っていた。
にもかかわらず、しかし待っていたのは神の絶句だった。
「ワシらをただのネコと思わない方がいい」
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