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ジャガーネコが蹴り飛ばされてから、どれくらい経っただろう。
子ネコたちは大樹にぽっかりとあいた洞(うろ)の中に身を潜めていた。ネコの口を縦に開いたような長丸い入り口からはほどよく光が入ってくる。
砂の止まった銀色の砂時計。
樹洞(じゅどう)の中はそんな印象だ。
穴の隣に背中をあずけて樹洞内を見渡すと、スプーンでくり抜いたような半円形の空間は、温かく静かで、だけどひんやりとした印象もあって落ち着ける。20匹という大所帯でも広さにはまだ余裕があった。
入口をくぐった光はふわっと広がり、右の壁際にいる『白い群』の神ネコさまたちを明るく浮かび上がらせる。冷気ネコさまや雪崩ネコさまは身体を寄せ合い、寝息をたてていた。その傍ら、コドコドをはじめとした小さな身体の神ネコさまたちは、こそこそと茶色いマイケルを盗み見て『すご』とか『ね』とか言っている。
うつ伏せになって寝そべる吹雪ネコさまがほんの少しだけ頭を上げた。反対の壁際で丹念に毛づくろいをしている風ネコさまの様子が気になったらしい。そのうしろでは3匹のクロヒョウとジャガーネコがうずくまりぐっすりと眠っている。寝息にはたっぷりと疲れが滲んでいたよ。
特にジャガーネコは礫ネコさまに思い切り蹴り上げられていたからね、弱っていて当然だ。あの時、もしもコドコドたちが飛び出していなければ――
――コドコドたちはジャガランディの注意がジャガーネコに向いたのを見て、すかさず地面を蹴った。礫ネコさまの柔らかそうなお腹めがけてダブル頭突きをかましたんだ。『おごぉっ』と低くうなってぶっ飛ぶジャガランディ。その隙にマイケルたちはマルティンさんの安全を確保する。すると霧ネコさまたちは、
『無事か!?』
『くそっ、どうします!?』
と2秒悩み、
『こうなっては仕方ない。……まずは報告だ』
『仕方ないっすねぇ、連絡事項もある』
『ああ、それから相談するとしよう』
慌てて確認しあい、逃げ去った。
『待ちやがれェ!』と雪崩ネコさまが追いかけようとしたのを風ネコさまが引き止める。子ネコたちはぐったりとしたマルティンさんの背中を支え容態を確かめた。ネコ精神体でもケガをするのは大空ネコさまとのやり取りで経験済みだ。
「大丈夫?」
声をかけるとマルティンさんは気がついて、
「おや、また君たちか」
と苦しげにつぶやき、
「どうにも恥ずかしいところばかり見せてしまうな」
ははは、と一瞬だけ高らかに笑って、泡をふいて気絶した。冗談みたいで拍子抜けしてしまう。そんな調子だったから目を覚ませばまた「ははは」と喧(やかま)しくなるんだろうなと思っていたのに……
……樹洞の中央、果実のマイケルは救護セットで傷の手当をしている。
誰の傷かといえばもちろんマルティンさん。なんだけど……前に会ったときとは別ネコに見える。ペチャクチャと喋りたくっていたのが嘘のように沈んでいて、ハァとかフゥとかため息を吐くばかり。そうかと思えばうつむいて、
「………………」
表情をすっと消す。
何があったのかを聞きたくても、なかなか話しかけづらいよね。樹洞内はそこそこ明るいはずなのに……ひどく気まずい雰囲気が漂っていた。
「ほ、包帯巻くから……」
「…………フフッ」
「ひっ」
手当もイマイチ進みが悪い。
「クク……あの豚猫もなかなか笑わせてくれる」
声は灼熱のマイケルだ。茶色いマイケルの左手側、同じく入口の穴を背にして座っている。ただしその姿は変わり果てていた。燃えるよう赤毛はボサボサで、毛先がちぢれて団子になってる。50年前のセーターみたいな有り様だ。
「フ……」
その向こう、虚空のマイケルはさらにひどい。見る影もないとはこのことで、グレーの毛がしんなりと肌にへばりつき、身体のどこかに空気穴でもあるみたい。8割がた抜けているから押し入れの奥に仕舞いやすそうだ。
茶色いマイケルも似たり寄ったりだろう。
実は、子ネコたちがこんなにもやつれているのには理由がある。きまずさと息苦しさの原因はなにも萎(しな)びたマルティンさんだけじゃないんだ。もう一つある。
子ネコはまっすぐ奥に目を向けた。
マルティンさんたちよりもさらに向こう、洞の一番奥。
外からの光の届きにくい暗がりには2つの影があった。
1つは奥の壁に背を預け、片膝を立てて座り、武器を構えている成ネコの影。今はフードを外しているから焼き潰された片目や縫い痕だらけの顔がうすぼんやりと見えている。
もう1つの影はボーガンの鏃(やじり)の先にあった。雪ウサギに焦げ茶色の毛を生やしたようなずんぐり獣。顔はアライグマに似ていて太い眉みたいな模様が目の上で優しく円弧を描いている。壁に寄りかかった成ネコに興味津々らしい。
ケマールさんとマークィー。
一触即発。どちらかが少しでも動けば樹洞の中は血生臭いことになってしまうかもしれない。
銀色の砂時計は今まさに、さらさらと軽い音を立てて落ちようとしていた。
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