***
『シエル……』
大空の神さまは今まで、茶色いマイケルたちをこれっぽちも見ていなかったみたい。
視線を向けられたと分かった途端身体が、空を映した床の上にへばりついた。とんでもなく高いところから放り投げられたカエルみたいに、両手両足を広げてブルブル震えた。
果実のマイケルと灼熱のマイケルの様子は見えない。2匹とは反対側に顔を向けていたからね。微かな呻き声は聞こえるから生きてはいる。
一方、虚空のマイケルはわずかに頭を下げただけで、姿勢を崩さずに跪き続けていた。それから口を開く。何か起こりやしないかって、恐ろしくて仕方がなかった。
「シエル・ピエタ王が長子、マイケル・NEKO・シエル・ピエタでございます。お待たせいたしました、シエル様」
『シエル……シエルか。そうだったな』
納得した声で言い終えると風が吹き荒れた。荒れたっていうのとは違うかな。風の流れていく方向は正面にある”捻じれた青空”だったんだから。
本当は見たくなかった。でも見ないでいる方がよっぽど怖かったから、恐る恐る顔を上げたんだ。そうしたら、
シャリーン
涼やかな鈴の音が大空の果てまで広がっていった。そして、
「ね……こ……?」
そこには一匹の子ネコがいた。
赤ちゃんネコよりは大きいけれど、普通のネコとは違う。タヌキやキツネみたいに四足立ちの、ひどく動物的な姿のネコだった。
あれは、ネコなの?
どの動物とも違うのは、それがただの入れ物だって、一目見れば分かるところだね。透明なガラスで動物的なネコの入れ物を作って、その中に青空を乱暴に詰め込んだような、そんな姿。
それが足音を立てずに、しなやかに尾を揺らしながら歩いて来る。時折、鈴がリンと鳴る。
あれ? 身体が楽になってる。
いつの間にか圧力が無くなっていた。手足が自由に動くし、へばりついた体も起こせたんだ。ホッとして気が緩んでいたのか、
「直接見るんじゃない! 茶色いマイケル!」
と言われるまで自分がどこにいるのか気づいていなかった。
茶色いマイケルは『青空のネコ』の身体の中に落っこちそうになっていたんだ。……意味は分からなくていいよ。茶色マイケル自身分かっていないんだからね。虚空のマイケルに引っ張り出してもらわなかったら、深い深い空の中に沈んで、帰って来られなくなっていたかもしれない。
「あ、あり」
「重ね重ね失礼いたしました、シエル様」
早口だった。
「このネコたちに神域での作法を伝え損ねておりました。悪気があってのことではございません。何卒、寛大な御心を、シエル様」
頭を下げた子ネコの姿を見て、茶色いマイケルも深く頭を下げたよ。ごめんなさいは言っていない。
驚いたのは虚空のマイケルが、大空の神さまの返事を待たずにしゃべり出したことだ。
「シエル様の御心により空のネコたちは心穏やかに暮らしております、シエル様」
「明日の食べ物の心配をする必要がないというのはそれだけで喜びでございます、シエル様」
「教えていただいた技術も大いに活用させていただいております、シエル様」
「空ネコたちの感謝の心を全て伝えられないのは大変心苦しいのですが、それでも代弁させていただけるのであれば、日々、毎時毎瞬、私ども空に住まうネコは、シエル様への感謝を忘れておりません」
そして、
「シエル様」
って、やっぱり最後に大空の神さまの名前を呼んだ。
すると、青空のネコがその場に座る気配がした。
その時だ、ふぅとため息をついて虚空のマイケルが立ち上がった。そりゃあ慌てたよ。しかもこの子ネコは今までの態度とはうって変わって、
「少し待っていてくださいね」
とリラックスして言うと、何でもないように青空のネコの目の前を横切り、果実のマイケルと灼熱のマイケルのいる方へと歩いた。
「少し見せてくれ」
だらりと横たえられた子ネコを庇う大柄な子ネコが、はぁはぁと荒い息で虚空のマイケルを見上げる。その顔にはたくさんの赤がついていて、まだ黒くはなっていない。
血以外にも表情に滲んでいたものはあった。
だけど気に留める様子はなく、「息はあるな」とため息交じりにつぶやいた。虚空のマイケルは青空のネコに向きなおり、
「シエル様、お手数ですが、この子ネコを治していただけますか?」
なんて気軽な調子で言うんだ。
また、鈴の音が響き渡った。
『いいよ』
コメント投稿