朝、布団から体を出すと空気が冷たい。
肌がひりつくようで、露出した手の輪郭をはっきりと感じる。
暖かいときと比べると いくらか縮んでるかもしれないけど。
最近は気持ちの面でも自分のカタチを感じるようになってきた。『つめたい』の感覚がその朝その朝で違うみたい。
ただ冷たいと感じる朝があり、何も感じない朝もある。憎らしいと感じるほど肌寒い朝は決まって、布団の中に縮こまっていた気がする。
去年を思い返してみると、カーテンと床との間にできたすき間を、買ってきた断熱材でみっちりガードしていたからよほど つめたさ を嫌っていたのだろう。徹底的に寒さを取り除こうと対策グッズを値踏みしていたのを覚えてる。
なのに、大みそかの朝、目を覚ましたとたんに『澄んでる』って感じた。
昨日読んだ本に詩でも載ってた?
自分らしいような気もするけど、ちょっと恥ずかしい。
なんだか可笑しくなって、スマートフォンを引き寄せると、ツイッターにこんな文を投稿した。
『 冷たいだけと思ってた朝の空気も今年は最後だと思うと「澄んでる」だなんて感じるんだから、全く現金なものだよ。
そしてしばらくするとやっぱりちょー冷たいから厚着して温かい部屋に逃げ込むんだけどね 』
ちょっとした照れが見えかくれしてるけど、だからこそ気持ちの輪郭が見えているような気がする。結局この日は、厚着して暖かい部屋に逃げ込んだしさ。
元旦の朝に感じた つめたさ は『頭をすっきりさせてくれる つめたさ』だった。
去年とはまるで正反対。
感謝なんかしちゃってる。
『感じるようにしか感じない』って誰の言葉だったっけ。
誰かの言葉だったような気もするし、今思いついただけの言葉かもしれない。
妙に真理めいているんだけど、寝ぼけた頭が勘違いしてほざいているような気もする。
これも つめたさ と同じように、その時どういう心境だったかによって、いろいろと感じ方を変えるのだろう。
少し冷たくて静かな夜は、こういう言葉をこねくりまわしていたくなる。
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