4-18:呪い

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 空ネコたちは普段から頻繁にクラウン・マッターホルンを出入りしていたらしい。

『僕は基本、空ネコたちの営みに直接手を出さない。権能の提供はしても、資材集めやそれを組み立てたり崩したりするのはネコたちの責任だ。だからクラウン・マッターホルンでの採掘や採集も、ネコたち自身でやっていたのさ』

 手を出さないというのは徹底していたみたいで、落石や地滑り、土砂崩れなんかが起きても助けたりはしなかったんだって。というか出来ないっていうのがホントのところらしい。

『埋もれたネコたちを引っ張り上げようとしたことがあったけど、つい加減が効かなくって山の形が変わっちゃった』

 その時、助けようとしたネコだけじゃなく、救助に来ていたネコたちまでも巻き込んだ。それからは手を出していないんだって。

『大地の神も同じように、ネコたちの営みには基本ノータッチなんだよ。地上でもそうだろう? ネコたちは成り行きのまま死んだり生きたりしてる。理不尽に感じることがあるかもしれないけど、僕たちの視点で見ればそれはめぐってきた流れに過ぎない。はるか遠くで誰かの吐いたため息が、100年後の大戦に繋がるみたいにね』

 茶色いマイケルはしっぽを正して口元を引き締めた。

『だから僕はさ、大喧嘩したからってあいつがネコたちに手をあげるなんて思ってなかった。クラウン・マッターホルンの天気が多少荒れるかもしれないな、くらいにしか考えていなかったんだ』

 ある日の夕方、クラウン・マッターホルン登頂を目指していた冒険家ネコたちの一行は、明日朝一番での登頂に挑むため、犬歯のような頂上の手前でキャンプを張っていた。

 辺りに雪はなく、大地も凍り付いていない。

 大空の神の加護があるとはいえ、山頂付近はいつも雪をかぶっているから不思議に思ったらしいよ。

 いつもと違う山の雰囲気に冒険家ネコのリーダーは「大空の神さまがいらしているのかもしれない」と、日ごろお世話になっていることへの感謝の気持ちを、心を込めて伝えたんだって。

 運悪く、そこには大地の神さまがいた。

 大空の神さまとの喧嘩で弱った力を回復させようとして、休んでいたんだ。

 神さまからすれば本当に小さな声だ、たった一匹のネコの声なんてさ。だけどその時は耳に入った。大地の神さまからすれば一番聞きたくない相手の名前で、ましてや自分がそれに間違われたんだから、たとえ悪気が無くても気に障るのは……まぁ、わからなくもないかな。

 突然の地響きに、キャンプを張っていたネコたちは慌てて寝転がってお腹をさらした。それは服従のポーズであるとともに、神さまへの絶対の信頼を示すポーズでもあったんだ。何もない山の中で、最後の最後に頼れるのは神さまくらいのものだからね。

 それがさらに大地の神さまを逆上させた。

『誰彼構わず服従を示す恥知らずな空ネコどもよ、お前たちの姿などもう見たくはない。二度とクラウン・マッターホルンへ立ち入るでない』

 冒険家ネコたちはその声をはっきりと聴いたという。

『いや、立ち入りを禁止するだけでは俺の怒りは収まらぬ。お前たちがどこぞで腹を見せていることを想像すると、世界をも滅ぼしてしまいそうだ』

 大地の神さまはそう言うと、ネコたちに呪いをかけたんだ。

「そんな! ネコが寝転べなくなる呪いなんて!」

 悲鳴のような声を上げたのは茶色いマイケルだけじゃない。

「なんという無慈悲!」

「お昼寝がぁ!」

「くぅっ……!」

 呪いのことを知っていた虚空のマイケルも含めて、4匹はその理不尽さを嘆いたよ。みんな3年干したアジみたいな顔してた。大空ネコさまは嘆き悲しむマイケルたちを見て、

『正直、僕には大したことじゃないように思えるけど……』

 と言葉を濁す。4匹は唖然とした顔で動物的なネコを見る。

『い、いやまぁ、何が辛いかなんてそれぞれだよね。それに、呪いが及ぼした影響を考えれば君たちの反応も納得できるし』

 それを聞いて一番に反応したのは果実のマイケルだ。「あぁ」と手を叩く。

「ほらぁ部屋で言ったでしょぉ、ネコノミー症候群。寝転べないってことはぁ足に血が集まっちゃうからねぇ」

 なるほど、病気が増えるわけだね。

「ならば恐らく空ネコたちの動きもそこに関係しているのだろう」

 その疑問を引き取ったのは虚空のマイケルだった。

「その通り。脚に溜まってしまう血液を、素早く動くことで他に送り、運動不足を解消しようという試みがとられている。確かな根拠があってのことではないのだけどな、それらしい噂というものは広まってしまえば厄介で、盲目的に信じられやすい」

 呪いの影響は、せかせかと危なっかしく動くネコを増やすだけに留まらず、ネコたちの性格や習慣まで変えてしまっているみたい。

 イライラネコが増えて、その怒鳴り声に怯えるソワソワネコが増ると、効率的で能率的な暮らしは一転して息苦しくなってくる。「きびきび動け!」なんてネコにあるまじき言葉すら出てきてるって、虚空のマイケルが言っていたよ。

 そんなネコ界を揺るがす大騒動の中、不幸中の幸いにも虚空のマイケルはこの神域接続の間にいたらしく、呪いは受けなかったという。

 話が空ネコたちの生活へと向いたところで、灼熱のマイケルが眉をしかめた。

「しかし大空ネコさま。『信頼の鎖ネコシステム』はどうして作用しなくなったのでしょう。それも呪いと関係があるのでしょうか」

 『信頼の鎖ネコシステム』。それは空ネコたちの疑心を取り払い、心を強く結びつける仕組み。そういえばまだその話が出てきていなかった。それが失われたっていう話がさ。

『へー、僕の権能はそんな名前で呼ばれているのかぁ。あれ? 前に聞いたっけ。そっかそっか忘れてた。……ねぇシエル・ピエタ。僕の名前を呼んでくれるかい?』

 虚空のマイケルに緊張が走るのが見えた。

「もちろん、仰せの通りに」

 シエル様。

 名前を呼ばれた大空ネコさまは、また一回り小さくなったような気がする。

『ふぅ、ありがとう。なんとか怒りは抑えられたみたいだ。いやぁ、思い出すだけで腹立たしい事なんだけど、今、クラウン・マッターホルンにいるのは大空の神だけじゃないんだよ』

 茶色いマイケルたちの間にあるミニチュア・クラウン・マッターホルンに、どこからともなく神ネコさまたちが集まってくる。

 ああ、と茶色いマイケルは、頭に流し込まれた神さまの名前を思い出した。

 『流れの神』『雷雲の神』『霧の神』『蒸気の神』『星屑の神』『礫の神』『つむじ風の神』『林の神』『小川の神』『風の神』

 見ればどことなくその名前に近い雰囲気の神ネコさまが、山脈のあちこちに陣取っていたよ。風ネコさまは山の周りをグルグル走り回ってる。

『僕たちの喧嘩で空が荒れてから、いろんな神が事情を聴きに来た。僕はそのすべてに丁寧な説明をしたんだ。なのにこいつらはまともに話を聞かず、大地の神の側についた』

 裏切り者だ、と大空ネコさまは言った。

 その声の向こうには首輪で縛っても抑えきれない怒りが滲んでいて、子ネコたちは思わず身構えてしまう。肉球は汗でべとべとさ。

『今、僕は油断ならない状況にある。内情を探らせている神の話によると、こいつらは力を合わせて僕を陥れようとしているらしい。単独では大したことのない神でも、大地の神と協力されれば僕だって危ういからね。僕もあちこちに声をかけて態勢を整えているけれど、急に攻め込まれるかもしれない。だから権能の一部を回収し、防衛に当てているってわけ。空ネコたちには悪いけど、他の神たちに空が奪われるのは避けなきゃならない』

 ぐわんぐわんと熱を帯びてきた大空ネコさまは、そこで急にしゅんとうな垂れてしまったよ。

『だけどさ、僕に味方してくれる神はそれほど多くなかったんだ。樹木の神やオーロラの神は中立なんて言って静観してるし、他の細神も「私ではなんの役にも立てません」なんて言って僕たちから距離をとる。離れてさえいれば、自分たちは安全だって思ってるんじゃないかな』

 そこに、

『……これだけの神が集まって事を構えたなら、世界がどうなっちゃうかなんて、ネコたちでも分かるっていうのに』

 ぼそりと付け加えられた言葉に、茶色いマイケルのヒゲがひりつく。

 大空ネコさまは地面を爪で引っかくような動きをした。じわりじわりと手を前後させるその動きは、抑えたはずの感情を掘り起こしているように見えて仕方なかった。

「そ、それで大空のネコ様、ワシたちがここへ呼ばれたのは」

『そうだった!』

 急に飛び跳ねた大空ネコさまにつられて4匹ともピョーンッと跳ね上がる。

『この問題に悩んだ僕は、ある神に相談することにしたんだ。その神も中立の立場をとっていたけど、誰よりも世界の調和を望んでいたしね』

 『時の女神』。それが茶色いマイケルたちをこの大空の国へ招き寄せた方みたい。

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