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茶色いマイケルの身体がふわりと浮かぶ。
「俺たちはこれから大空ネコ様の記憶を観るために、神体の中に”落ちる”ことになる。死にはしないが負荷が強いので気をしっかり持ってくれ。心を落ち着ければ負荷も無くなるから、リラックスできるポーズをとるといい」
虚空のマイケルは、しばらく”落ち”たら大空の神さまも降りてくる、とも言っていたよ。
そうこうしているうちに浮いていた子ネコたちの身体は、大空ネコさまの小さな身体の方へと吸い込まれて行き、その中にある大空へと落っこちたんだ。蛇口から流れ落ちる水が勢いよく排水溝に吸い込まれるようにね。
大気の抵抗はすごかった。だけど何度か空から落ちる感覚を味わっていたからかな、叫び声は出さずに済んだよ。
周りを見ればみんな平然としている。
虚空のマイケルは、前に見たデッキチェアでくつろぐポーズをしているし、果実のマイケルはゴロンと寝転がってお腹をポンと叩いている。灼熱のマイケルは「フンフンッ」っていいながらネコパンチとかネコカカトオトシを立て続けに繰り出していた。なんて順応力だ。
茶色いマイケルは腰を下ろして地べたに座るポーズを選んだよ。ご先祖ネコ様の丘から見えるスノウ・ハットの街並みを思い出せて、すっごく落ち着けるんだ。
4匹の身体は自然と、輪を作るような位置に落ち着いた。
お互いの姿のはっきり見える位置。
ふと、身体にかかっていた空気抵抗が無くなる。身体は落ち続けているのに、ふよふよと浮いているっていうのは変な感覚だね。
『準備は整ったかい。それじゃあ僕の周りで何があったかを見せるよ』
ブン、と耳の横で蜂の羽音が聞こえたかと思えば、景色が切り替わっていた。
空と大地。
一本の線で区切られた、とてつもなくシンプルな世界。
遠く地平線が360度をひと繋ぎにしている。
その中を、いつまで経っても辿り着かない大地に向かって落ちていく4匹。
大空ネコさまは、落ち続ける茶色いマイケルたちの前にすっと降りてきて、虚空のマイケルの膝の上にトスンと着地した。
『世界には様々な神がいるけれど、僕ほどの力を持つものはそういない。なぜなら僕は空だから。世界は空とそれ以外とでできているって言っても過言ではないでしょ? 確かに地上には大地や海といった巨大な質量があるけれど、そのほとんどは星の深いところに眠っていて、地上に及ぼす影響は空である僕からすれば微々たるものだ。例えばこう』
しゅるん、と大空ネコさまがしっぽを振ると、大地が隆起して火山になり、岩やらマグマやらが噴き上がってあふれ出した。
凄まじい音と揺れだったけど、テレビのリモコンを操作するみたいに音量が下がっていったから、耳を塞ぐ必要はなかった。
『深いところに眠っていた神が機嫌を損ねたとしてもこの程度。巻き上げられた噴煙で空が壊れてしまうわけじゃない。そして時が経てば』
世界が早送りされていき、猛り狂っていた火山はやがて緑に包まれた。
『この通り、怒り疲れて寝ちゃうんだから』
ただ、と大空ネコさまは笑う。
『もちろん地面がパカッと真っ二つに割れて星が無くなっちゃえば、空も何もあったもんじゃないからね。むやみにケンカを売ったりはしなかった。僕たちは均衡を保ち、仲良くやっていたんだ』
「僕たちぃ?」
つい声が出ちゃったんだろう、果実のマイケルが慌てて口を塞ぐのが見えた。大空ネコさまは「いいんだよ」とでも言うようにしっぽを振る。
『神々のことさ。だけどそうだな、この場合、”僕たち”のニュアンスはもっと狭いかな』
「なるほど。それが」
『そう、灼熱ちゃんの思っている通り、大地の神のことだよ。大空の神である僕と、大地の神はとても仲良くやっていた』
すると4匹のマイケルの囲むその輪の中に、大地が集まってきた。岩や土塊くらいの話じゃないよ。大地だ。大空ネコさまがそうだったように、大地が凝縮されてネコの形をとったんだ。四つ足で歩く動物的なネコの形をね。
『神そのものを見せようとすると君たちへの負荷が大きすぎるからね。これから神はネコの形で出てくるから。名前は……大地ネコにしようか』
立ち上がった大空ネコさまは、空中を歩いて大地ネコさまのところまで行き、すれ違いざまに頬から腰までを擦りつけ合った。ネコの挨拶だ。
『僕たちはとっても仲良しだったんだ。大地と僕とで世界の様々な問題を解決してきたなぁ。雨のやつが泣きすぎた時はいっぱい慰めたし、風の奴がやんちゃし過ぎた時はよく叱ったっけ。力の弱い神が次々と生まれては消える状況をなんとかしようとして、神たちで集会を開いたときも僕たちが中心となったんだ』
2匹の神ネコさまの周りには、次々と自然を模したネコが形を作っていったよ。雨、風、森、雷、川、雲……そういうもので出来た動物的なネコたちが、寄り添ったり、追いかけ合ったり、集まってニャーニャー言ってたり……あれ、ふれあい広場かな。
本題を忘れそうになったところで、大空ネコさまは景色を一変させた。
『大地ネコは友情の証として、空にこんなものまで造ってくれたんだ』
それは遥か遠くから雲塊をかき分けて姿を現した。
空を横裂きにして近づいてくる山々。
切り立った峰がノコギリのように連なり、視界の端から端を優に超えて、長い長い山脈を形作っている。王冠に見えなくもないけれど、どちらかと言えば尖った牙が高密度で並ぶ大顎のようだ。それでも、
「すごい、宝石みたい」
茶色いマイケルが思わず口から漏らしたのも仕方ない。山肌はクリスタルやダイヤモンドのように、光の加減によって色合いを変え続けているんだからね。
だけど大空ネコさまは、
『空だよ』
と、心なしか寂しそうな声で言った。
『あれは山脈の形をした空。大地の神が僕のために造ってくれた、特別な空なのさ』
神造山脈クラウン・マッターホルン。
子ネコの常識なんて遥かに超えた神さま同士の贈り物。
その美しくも畏ろしい山脈の中央、ひときわ鋭く聳え立つネコの犬歯のように尖った山頂を見て、茶色いマイケルは身震いをした。
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