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マルティンさんは壁の形を確かめるように身じろぎし、わずかに前のめりになって座り直した。
「つまり、私の勘違いだとおっしゃりたいので?」
声にはやはり鼻で笑う音がある。目は笑っていない。
『アイツ昔からバカだけどよー、他のヤツを利用したりはしねーぞー』
風ネコさまは茶色いマイケルの頭の上で香箱座りをした。
「つい今しがた、神はネコを道具としか考えていないと言ったばかりではありませんか」
『フツーはなー。けどアイツはしねー。そもそも最初から興味ねーからなー』
いまでこそ派閥をつくって群れている大空ネコさまだけど、昔はずっと1匹でいたらしい。
『アイツよー、不器用なくせに力がでけーから色々壊しちまうんだよなー。地核のジジーを除けば、大地とオレくれーしか話し相手いなかったんだぞー。今みてーにペラペラ喋らなかったしなー』
まわりを遠ざけていたという。クラウン・マッターホルンでネコを助けようとした大空ネコさまの話を思い出した。力を振るい、別の大きな被害を出してしまったのだと。
『でもよー、それでも興味を持つならフツーじゃねーだろー』
特別。
その言葉を聞いて、マルティンさんは今度こそ確かに身を乗り出す。
『あれでまわりのヤツのことは大事にするんだよなー。よく話を聞いてやるし一緒に考えてやったりもするぞー、バカだから大したこと言わねーけど。『頑張れ』って言われたんだろー? だったらそーなんじゃねーのー? オマエのこと応援してたんじゃねーのかー?』
「だ、だが薄情だとは思いませんか? こっちは何も知らないネコ1匹。それを、ネコ・グロテスクでしたか、あんな化け物の中に放り込むなんて。応援というならもう少し言葉があっても……」
『だったらそう言うように誰かが仕向けたんだろー。それがオマエのためになるとでも吹き込まれたんだろーなー。バカだなーアイツ。相変わらず近くのヤツをバカみたいに信じちまうバカなバカだからよー』
ピョンと跳ねたのは雪雲ネコさまだった。膝を抱えた茶色いマイケルのももの上に乗ってきて、両膝の間に顔をはさんだよ。
『オマエも気づいてんじゃねーのかー? 『裏切り者』って言葉使ったり追手よこすヤツなんて、まー、1匹しかいねーだろー』
低く、くぐもった唸り声が薄闇から響いてきた。その音を聞けば誰の話なのかはすぐに分かる。
「しかし……」
マルティンさんから威勢が抜けていく。
『アイツは都合が悪くなったからって一緒にいたやつを捨てたりしねー。追いかけてきてボコるなんてこともぜってーしねー。言葉に裏なんてみじんもねーんだ。口から出た言葉はバカみてーに全部本心だ』
その確かな口振りに成ネコは、さっきまでが嘘みたいにしょぼくれてしまった。地面を叩いていた手が止まり、怒った肩もだらんと垂れる。頭も重そうだ。
マルティンさんはしばらく銀色の、鈍い光沢のある地面をじっと見つめていた。この銀色は鏡のようには映らない。だけどぼんやりと、自分が自分と分かるくらいにはその姿を映すんだ。やがて彼はこうつぶやいた。
「誰かに言われて、悪意なく」
つぶやきには喜びの響きが混じっている。それ以上に辛そうな音でいっぱいだった。どういう心境でそうつぶやいたのかは分からない。分かりはしないけれど、子ネコは心の奥の方をそっと撫でられたような気がしたよ。
信じがたい何かに、理由があって欲しいと思うのはきっと、普通のことなんだ。
視界の中のマイケルたちは「そういうことか」と洞の壁に背中を預けた。膨らんでいた毛が柔らかさを取り戻す。しっぽを立てていた神ネコさまたちもマルティンさんに牙を剥くのをやめて丸まり、穏やかに背中を上下させ始めた。
銀色の洞の中に、静かで重たい空気が流れてくる。
そう居心地の悪い沈黙でもない。言葉を挟もうと思えばすっと入ってこられる沈黙だ。だから唐突に、
「どうして神さまたちが四つ足ネコの姿をしているか、知ってるかい?」
と尋ねられても何気ない調子で答えられた。
「流行りって聞いたよ」
たしか広場で風ネコさまから聞いたことだ。今はネコ科の猛獣を模すのも流行りだけど根強く親しまれているんだって。
「あれは大昔のネコの姿らしい」
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