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誰だろう、すっごく高い声。
茶色いマイケルはヒゲと耳に集中した。長いヒゲが 空気の流れをとらえ、耳がそれを読みとり、頭の中でいきものの輪郭を浮かび上がらせる。
少し変だったんだ。いつもなら声の方向くらいは分かるのに今回はぼやけて聞こえた。遠いとも近いともわからないような、吹雪の中で聞くネコの鳴き声みたいにさ。
見つけた!
左側の家の屋根を見上げた茶色いマイケルは「わっ」と後ずさりしたよ。迷子の三毛ネコもその手にしがみつく。
脚だ、脚が生えてる!
2匹が見たものは、うすい水色の屋根から生えたさかさまの下半身だった。おしりも見える。
だけど本当に驚いたのはそこじゃない。その色だ。屋根が燃えてるのかと思った。
よく見れば茶色いマイケルよりも少し濃いくらいの茶色だってわかるんだけど、きっと毛のせいだろうな、うねうねと伸びる長い毛に、光と影とで濃淡が生まれ、ゆらゆらと揺らめいているように見えるんだ。オーブンの奥の暗いところで密かに熱を放つ炎に見える。
茶色いマイケルは迷子の三毛ネコを後ろに隠し、燃えるような毛の下半身に向かって尋ねた。
「キミは、ネコかい?」
知らなかったんだ。ネコがしっぽで屋根に逆立ちしているところなんて、見たことがない。
「なるほど」
高い声で言って、燃える毛の下半身は、ゆっくりと上下を入れ替えた。そうして見せた姿はやっぱり、耳の先からしっぽの先まで ゆらめき、燃え盛る、炎のようなネコだった。
「ネコかどうかを問われるということは、まだまだネコの域を超えていないということだな」
小難しい言い回しだ。でも声がすごく高い。チルたちよりも高いし、この迷子の子ネコと同じくらい高い。背だって小さい。きっと子ネコだろう。少しごつごつしている印象はあるけれど。
茶色いマイケルはできるだけ不自然にならないよう、周囲の状況を確認したよ。こんな怪しい子ネコ、見たことがないからね。
まず服がボロボロだ。肩口から先がなくって、ズタズタに破けている。冬だっていうのに靴すらはいていないし、他に荷物らしいものも持っていない。お祭りが目当てならカバンくらい持ってくるはずだからね。
それに……きっと強い。ケンカをいっぱいしてる雰囲気がある。茶色いマイケルよりも頭一つ分以上も小さいのに、大人のネコにだって感じない、怖いニオイがするんだ。
目の端で、左右の道を見る。
左は上り坂。迷子の三毛ネコにはきついかも。
右側は下りだけど、勢いを間違えれば すってん転んでネコ団子になっちゃう。
……だとしたら。
茶色いマイケルは迷子の子ネコの首根っこをつかみ、ヒザをくっとバネのように曲げて後ろの家の屋根に跳びあがる準備をした。
だけどそのタイミングで、
「そう警戒しないでいい」
と燃える炎の子ネコが、良く通る声で言った。
「ワシはただの子ネコだ」
「子ネコがワシなんて言うもんか!」
すかさず言い返した。茶色いマイケルは自分でもびっくりするくらいに気が高ぶっていたんだ。
この子ネコ、平気で目を合わせてくる……!
ネコってね、よそのネコとは滅多に目を合わせないものなんだ。挨拶するのもちょっと視線をずらして身体をこすりつけるくらいでさ。どうしてかって? ケンカになっちゃうからさ。
それなのにこの子ネコは、ジィーッと、茶色いマイケルのことを見つめてくるんだ。どれだけ温厚なネコでも気が立つってものだよ!
肉球が汗をかく。
眼球の圧力が高まる。
夏でもないのにカラカラにのどが渇いた。
茶色いマイケルは、燃える炎の子ネコの不躾な視線から気をそらすように、深く、深く息を吸った。しばらくは吐きだすのも忘れて吸い続けた。頭は少しすっきりしてきた。
だけどしっぽを見てよ。これでもかってくらいに毛が膨らんで、でっかいネコジャラシみたいになっちゃってる。
「いい顔だ」
燃える炎の子ネコが、心の底から楽しそうに、頬のヒゲを持ち上げる。小さな体が、わっと膨らんだ気がした。茶色いマイケルの足元の薄い雪は、正午を過ぎた日の光に照り付けられていつしか溶けてしまっている。
2匹のあいだにピリッとした空気が流れた。
が。
「おっと、そうか」
と、そこで燃える炎の子ネコが思い出したように視線をそらしたんだ。
「すまんすまん。そうだな、目を合わせ過ぎた」
ふっと茶色いマイケルのしっぽが力を失い、毛先をやわらげた。吸うばかりだった空気は、鼻からゆっくりと抜けていき、丸まった背中もすん と元通りになる。
「いらぬ誤解を与えてしまったな。実は案内してほしいところある」
燃える炎の子ネコは、2匹が「えっ」と声を出す暇もなく「少し待っていてくれ」と言って屋根の向こうに姿を消しちゃった。残された2匹の子ネコは大きく息をついた。今まで溜めてた空気を、ぜーんぶ吐き出しちゃうくらいにね。
なんだったんだろう……。
まもなく戻ってきたボロボロの服を着た燃える子ネコは、
「茶色いの。ワシはお前に、この街の観光案内を頼みたいだけなのだ」
と高い声で言って、キャスター付きの立派なスーツケースを開いて見せた。
わっ、いっぱいシロップ入ってる!
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