(102)8-20:罪と後悔のサイクル

***

 息を荒くし、足を震わせ、ついには頭から足元に崩折れたオセロット。話を進め、深いところに切り込めば切り込むほど弱っていく。雪崩ネコさまたちも話を止めさせようとしていた。なのに、

『あわあわの神によって下された罰はもうひとつある』

 話は続く。声にはすきま風が吹くような音が混じっていて、「もうやめて」と言いたくなるくらい痛々しいのに止められない。誰も口を開くなという強い意志がひしひしと伝わってくるんだ。絶対に言っておかなければならないことがあるんだっていう。

 “俺は罪そのもの”だなんて。

 悲しい気持ちになる。

 オセロットの器には小雨がさしている。まるで数え切れないほどの針を飲み込んでいるようだと、茶色いマイケルはひざを抱えた手を組み替えた。

『つまりその罰ってのをよー、オレも受けてるってことだよなー』

 風ネコさまはせわしなく動き回り、今は茶色いマイケルの左肩に跳び移ってしっぽをソワソワと揺らしていた。

『それってどんな罰なんだー? 回りくどい話してねーではやく――』

『風さま』

 びゅっと耳に飛び込んできた声は吹雪ネコさま。樹洞の入口で外を見張っていた体が、最奥に集まる茶色いマイケルたちに、いや、まっすぐに風ネコさまを向いている。彼女からも強い意志を感じた。だけど、

『なんだー、吹雪』

 振り向かれるとシナシナと萎れてしまう。何かを言おうとして、ためらって、また何かを伝えようとして、でも口をつぐんで。

『なんか、まじーのかー?』

 吹雪ネコさまはうんともすんともいわず、背中を曲げてうつむいてしまった。風ネコさまは視線を移す。3匹でうずくまっているクロヒョウたち。かたわらで寝息を立てるジャガーネコ。反対側の壁にいる冷気ネコさま。そしてオセロットへと戻ってくる。誰も何も答えない。

 ついに風ネコさまも動きを止め、穴の中はかすかな葉擦れの音さえ聞こえてくるほど静まり返ってしまったよ。

「風ネコさま。ボクが話を聞いておくよ」

 視線が合った。その透明な器の向こうでは、吹雪ネコさまもうなだれた顔を上げていた。

 なんとなくだけど、それがいいと思ったんだ。たぶんここから先は。

『そーだなー』

 風ネコさまは耳をペタンと倒し、するするっとパーカーのフードへと潜っていった。話の続きを聞きたかったにちがいない。身に覚えのない罪を犯したと言われ、罰も与えられていると知って、その内容を知らずにいられるかな。

 喉の鳴る音がゴロゴロと聞こえだすと樹洞の空気がちょっぴり緩まり、茶色いマイケルをまっすぐ見ていたオセロットはためらいがちに頭を下げた。そして話が再開される。

『このレースは何万、何十万、何百万回と繰り返されている。大空の神たちは、その後の全てのレースで同じ過ちを、つまりは罪を繰り返しているのだ』

 さすがは神さまたちだ、スケールが違う。2日に1回レースをしたとして、六十年でようやく1万回ちょっとなのに、それを何百万回なんて――。

「は?」

「毎回だと?」

「罪をですか」

『その度に見つかる』

「どうしてそんなこと……」

「バカなのぉ?」

「そうじゃなかろう豚猫」

 成ネコ2匹を挟んでいがみ合う果実のマイケルと灼熱のマイケル。その外から「そうか」と声が飛び込んだ。視線を集めた虚空のマイケルは言う。

「罪の繰り返し。それそのものが罰なのだろう」

『そうだ』

 きっぱりと、端的に正解だと言ったオセロット。だけど茶色いマイケルにはすぐにイメージできなかった。

 罪の繰り返し。

 同じことを何度も何度も繰り返させる。そのたびに怒られる……。

「悪いことって、そんなに何度も繰り返せるものなのかな」

 怒られればすぐにやめる、悪いことはもうしないと約束する、そうやって育ってきた子ネコには想像しづらかった。周りのみんなの目も気になるだろうし、そもそも罪を繰り返す前に「やめなさい」と言われるはずだ、ってね。そこへ、

「消されているのだな。記憶を」

 深く、思い出すように灼熱のマイケルが言う。オセロットはうなずいた。

『大空の神たちはレースのたびに記憶を消されている。レースの中で罪を犯し、罰を言い渡され、うなだれて表の世界へと戻るとそこで全てを思い出すのだ。自分たちが何万回と罪を繰り返してきたのだと。そのたびに惨めな思いをし、後悔だけをひたすら積み重ねている』

 茶色いマイケルはフードの中のわずかな重さを強く感じた。喉を鳴らす音はまだ続いている。何も知らないゴロゴロだ。

『この罰は永遠ではない。大空の神たちがレースの中で過ちを止めれば終わるものだ。その点で救いはある。しかし、何も知らない神たちが罪に気づくことはない。罪があれば後悔に終わりはなく、罰は延々と続いていく。膨れ上がっていく。神たちは、終わることのない後悔を繰り返しているのだ』

 想像できるか?

 オセロットは言った。

 ネコにはムリだ。想像できない。

 やめておけばよかったと思うことはいっぱいあるし、どうしようもない後悔もあった。生きるのをやめたくなるくらいの後悔が。

 それを何度も何度も思い知らされる……?

 今度は絶対に成功させると思ってレースに行くと、気づけば、また同じことをしている。そのたびに自分を責める。

 ――やった、できた。

 ふいに風ネコさまの声が聞こえた気がして身震いする。考えようとして、色々なものがなだれ込んできた。なぜだか涙がでそうになった。

「そんなの、頭がおかしくなっちゃうよ」

『神も同じだ。神はけっして意思の強い存在ではない。むしろ力と意識との比率でいえば、ネコたちよりも弱いかもしれないな。『不変』というにはあまりにも脆弱だ。ささいな事にも心を揺らす。ゆえにこの後悔は、神の気さえ狂わせてしまったのだ』

 ――殺せ。

 ――大空を穢す者どもを殺せ。

 ――殺せ。殺せ。大地の神を。殺せ。

 ――風の神がどうして鏡を割ったのかはわからない。まさかケラケラ笑ってどこかへ行っちゃうなんて。まるきり性格が変わったとしか思えなかった。

 ――ケラケラケラ。

 ――あんなイカレたヤツ、好きになるもんか。ぶっ殺してやる、ぶっ殺してやる。

 ――嘘をつくな、すぐに出せ。

 ――もっともらしいことを論(あげつら)ってまで俺の邪魔をするのか。お前、神世界鏡を使って何か良からぬことを企んでいるな。

 ――くっふふふふふはは!

 ――こいつ、自分が何をしようとしたのか分かってないね。もうダメだよ。

 ――ここはいずれ大地に組する我々の元へと返却されるべき場所。それを消失させようとは。

 ――いいや貸し出したのではない、神世界鏡は盗まれた。我らを唆そそのかし、地核から騙し盗らせたうえ、大地の神までをもたぶらかしたあの悪神の策略だ。

 ――ネコ……そうだ、ネコ。ああネコ、可哀そうなネコ。大空に連れ去られ、奴隷のように扱われ続けて。

 ――そうだな、とりあえず半分殺そう。力を見せつけておけば裏切ることもないだろう。

 ――秩序だなんだと言っても結局よー、周りのことなんてちーっとも考えちゃいないんだからなー。

 耳と耳とのあいだを駆けめぐる神さまたちの声。そのどれもが茶色いマイケルの心をざわつかせる。むき出しの言葉の奥には歪みが見え隠れし、それぞれに主張はあってもちぐはぐだ。聞いている方が困惑してしまうくらいにみんなバラバラなことを言っている。それが、

 ――この後悔は、神の気さえ狂わせてしまったのだ。

 たった今聞いたばかりのこの言葉で一つに束ねられた。『表の世界』の神さまたちの本当の姿がはっきりと見えた気がしたんだ。

 ――どうかあの子を嫌わないであげて。あの子は大切に思っているだけだから。

 オーロラネコさまの言葉がくっきりと頭の中で響いたよ。

「それで余波、なんだねぇ」

 言葉を忘れた茶色いマイケルの斜向かいで、果実のマイケルが大仰にうなずいた。

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