4-34:ネコニシカタベラレナイタケ

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「クラウン・マッターホルンは古くから霊峰と崇められていて、事情を知らない若い空ネコたちでさえ神を身近に感じることがあったようだ。特に山頂付近では身に覚えのない声を聞いたと語る冒険家ネコたちも多い。不思議なことではあっても信じない理由にはならないさ」

 岩の上に座った虚空のマイケルは、両手を組んで炎に目を落としながら落ち着いた口調で語った。焚火がパチパチと音をたて、2匹の間に火の粉を舞わせている。

「夢というよりは臨死体験に近いか。身体が眠っていることに気付かずに、ネコ精神体だけが活動したと考るのが分かりやすいかもしれないな」

 辺りは暗く、焚火だけでは一帯を照らしきれていない。

 虚空のマイケルの微笑みはオレンジ色の火に照らされて、いつもより穏やかに見えた。茶色いマイケルの肩を揺すっていたさっきまでとはまるで別ネコに見える。

 あれから約3時間、今日崖を登ることを諦めた2匹は、落下地点から少し離れた雪のない林のそばで野営することにした。虚空のマイケルはビバークって言ってるけど、幸い装備は無事だったし充実もしてるからね、緊急避難というほど切羽詰まった感じはしない。

 一通り準備をして火をつけたあたりで、風ネコさまとのことを話したんだ。目覚めてしばらくすると、夢だった気がしてきたから確認の意味も込めてね。それで今みたいな話になったってわけ。

「ネコ精神体……それって『神域接続の間』の?」

「ああ、あの時と同じだよ、存在が神と近くなったんだろう」

 茶色いマイケルは胸の辺りから大きく裂けたネコジャケットに目をやり、それからその奥、胸や背中、手や足に意識を向けた。

 大岩に思い切り身体をぶつけたのに、骨が折れるどころかかすり傷の一つすらないんだ。

「じゃあもしかして、ボクたちは一度落ちて大ケガをして、それからネコ精神体ごと治療をしてもらったのかな。灼熱が大空ネコさまにしてもらったみたいに」

「どうだろうか、俺には軽い打撲の痛みが残っているからな。最初に岩にぶつかった時のケガだと思う」

「そっか、全部治ってないってことは風ネコさまは力を使ってないってことかな」

 だけど虚空のマイケルは「風ネコさまがどれだけ力を繊細に使えるかによって話が変わってくる」と言って、うなづきはしなかった。

「考えても分からないものは分からない。なにせあの神様方のことだからな。それよりも今すべきことをしよう。さぁ、焼けたぞ」

 と手渡されたのは木の枝を削った串。ネコミミのついたキノコが香ばしい湯気を立てていた。虚空のマイケルは、

「炙っただけなのに、ほどよく塩が利いていてうまい」

 と言って、炙りたてを口に咥え、勢いよく頭を振って串を抜いてみせた。毒見のつもりだろうかと苦笑いをこぼさずにはいられない。そんなことしなくても食べるのに。とはいえ口に入れたのがちょっと早かったみたいで、2匹して息をハフハフさせ、しばらくは飲み込めなかった。

 足元に串の山ができ、体もぽかぽかしてきた頃、「どうした?」という目が返ってきた。どうやら食べる姿をじっくり見過ぎていたみたいだ。茶色いマイケルは正直に、

「ううん。……もうすっかり食べられるようになったんだなって」

 と伝えたよ。灼熱のマイケルに無理矢理食べさせられていた一昨日が嘘みたいだって思ったんだ。すると、

「そうだな。普通に食べている」

 つぶやく虚空のマイケルの顔には驚きがあった。手に持った串を眺めてもう一度、

「普通に食べているな」

 と言って不思議そうにしていた。

 それから手鍋にお湯を沸かし、茶葉を入れ、ゆっくりとスプーンでかき混ぜ、フツフツと煮立ち始めたところで火を止めて、そうしてたっぷりと時間をかけて淹れた紅茶をカップに入れて手渡して、ふうふうと息をかけて飲める温度になるまでずっと、何かを考えていたみたいだから横から声を掛けたりはしなかった。

 一口飲んで白い息を吐き、

「このキノコの名前を知っているか」

 と虚空のマイケルが炙っていないキノコを手に取って聞いた。茶色いマイケルは串に刺さったキノコをちょっとだけ眺め、

「ううん、なんて言うんだろう」

 と聞き返したんだ。

「これは『ネコニシカタベラレナイタケ』というんだ。ネコ以外が食べると痺れるらしい。これと見た目が似ている、傘にネコミミのついた食用キノコには『ネコデモタベラレルタケ』や『ネコダケデタベヨウタケ』などがある。ネコミミの向きや垂れ方によって名前が違うんだ」

 知識をひけらかしたかったわけじゃないのは、声を聞いていればわかったよ。言葉の感触を確かめながら話しているみたいだった。

「へぇ、キノコなんてどれも同じに見えるのに、よく見分けられるなって思ってたけど、見分け方がちゃんとあるんだね」

「ああ。俺も果実のマイケルに教えてもらうまではそう思っていた」

 そう言ってまたカップを口に持っていって傾けると、つい零れたというようにフッと笑ったよ。

「知ってしまえばなんという事はないのか」

 虚空のマイケルはもう一本串を炙り、程よく冷ましてから美味しそうに食べた。それから、足元に積み上げた串の上に、今食べ終えたばかりの串をもう一本重ねて乗せた。

***

 翌日、朝早いうちにシュラフやテントを片付けた2匹は崖を登り始めたよ。

 山岳地図を見れば思ったよりも落ちていなかったんだ。あの時、やけに長く感じたのは必至だったからかな。ここから登れば午前中には灼熱のマイケルたちに追いつけるかもしれないと言われ、俄然やる気になった。

 ただ、シエル・ハーケンが一つも無かったから心配だったんだけど、

「道具が無ければ他で代用すればいい。ほら、ここに出っ張っている岩なんかは、たとえ俺たち2匹がぴょんぴょん飛び跳ねてもびくともしないくらい頑丈だ。支点を作ろう」

 と虚空のマイケルがザイルを巻き付け、中間支点を作り上げた。

「道具に頼らなくてもなんとかなる。システムに頼らなくても、やれることはあるんだ」

 それが茶色いマイケルに向けた言葉じゃないっていうのは、子ネコにだって分かったよ。

 途中途中に休憩を挟みながら3時間くらい登った頃かな、2匹の耳に待ち望んでいた声が届いて来た。そこには横穴が開いていて、聞けばあの火の玉に見えた隕石が作った穴らしい。

「昨日、ワシらはここに泊まったんだ。そのまま登る気にはなれなくてな。昼までにお前たちが登って来なければとっとと行くつもりだったが」

「はいはい、何言ってるんだかぁ。助けに降りるぞぉって言って、昨日だってあんまり寝てないんでしょぉ?」

「むっ、余計なことを言いおってこの豚猫め。ワシの真似のつもりか知らんが全然、ちぃーっとも似ておらんわ」

 再会して早々、こんな調子の2匹だったものの、一旦話が落ち着いたところで灼熱のマイケルは、虚空のマイケルに真剣なまなざしを向けた。

「虚空」

 呼びかけられた子ネコが目を伏せかける。茶色いマイケルでさえも一瞬、何を責めるのかと思ったくらいだからね。

 だけど片方ずつ2匹から手を取られ、

「よく生きて戻ったな。それに」

「茶色を助けてくれてありがとう」

 とお礼を言われてビックリしていたよ。

「あの時お前が爪を出さなければ、たわんだザイルで茶色の首は引きちぎれていたかもしれん。虚空の素早い判断があったからこその今だ」

「それにぃオイラたちも虚空の指示で、別の支点を作ってたから助かったんだぁ」

「ボクからも改めてお礼を言うよ。ありがとう、虚空」

 重ねて言われたありがとうを受け取るように、虚空のマイケルは目を閉じた。

「……いや、助けられたのは俺の方だ。俺は下に落ちるまでずっと意識を失っていたしな。茶色いマイケルには命を救ってもらって言葉もない。ありがとう。それに果実のマイケル。君に教えてもらったキノコの見分け方が早速役に立った。おかげでこうして登って来られたんだ、ありがとう」

「虚空……」

 そのお礼の声からは言葉以上に深い響きが伝わってきたよ。ちょっと照れくさくなるくらいにね。だからだろうか。

「あふふ、灼熱だけ役に立ってないんじゃなぁい? お礼言われてないしぃ」

「なっ! この豚猫め、お前などザイルにくるんでネコハムにしてやる!」

 いつものようにニャーニャーギャーギャーが始まった。呆れちゃうね。ま、今回は虚空のマイケルが少しだけ笑えてたみたいだから、いっか。

「さて、欠片は既に6つ集まった。残すは頂上の1つのみだ。ここで一泊、英気を養ってもいいが、どうするお前たち」

 6つめの欠片はお約束通り隕石の穴の中にあったらしい。そして山岳地図を見る限り登頂まではそう遠くないときている。だったら。

 4匹の掛け声に、遠くのやまびこも元気に応えていたよ。

 さぁ、頂上へ!

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