平安時代、宮廷では教養と知恵を競い合う文化が花開いていました。
中でも興味深いのが、「子子子子子子子子子子子子」という12個の「子」の漢字だけで構成された不思議な文章です。一見すると意味不明に見えるこの文字列ですが、驚くべき読み方があります。
子供の子供の子供のこども……答えはズバリ、子孫じゃむ!
さて、どうかしら?
1. 子子子子子子子子子子子子の解説
1.1 読み方と意味
- 読み方:「ねこのここねこ ししのここじし」
- 意味:「猫の子仔猫、獅子の子仔」
「子子子子子子子子子子子子」という一見単純な文字列は、実は巧妙な言葉遊びです。この12個の「子」は、以下の4つの読み方を組み合わせて構成されています。
- ね (訓読み)
- こ (訓読み)
- し (音読み)
- じ (「し」の変化形)
これらの読み方を巧みに配置することで、「ねこのここねこ ししのここじし」という意味のある文章を作り出しているんです。
1.2 古典日本語における助詞の省略
この言葉遊びで興味深いのは、「の」という助詞が漢字で表現されていない点です。「ねこのこ」と「ししのこ」の「の」は、実際には文字として存在しません。
これは、古典日本語、特に和歌や物語文でよく見られる「助詞の省略」または「連体格助詞の省略」と呼ばれる文法現象です。
この省略には以下のような効果があります。
- 文の流れをスムーズにする
- リズムを整える
- より簡潔な表現を可能にする
古典日本語におけるこの特徴は、現代語に比べてより凝縮された、含蓄のある表現を可能にしています。
「子子子子子子子子子子子子」の解読には、こうした古典日本語の特性を理解する深い言語知識が必要となり、それゆえに小野篁(おののたかむら)の才能を示す逸話として語り継がれているようです。
せっかくですのでその逸話にも触れてみましょう。
2. 小野篁の才能を示す逸話
「子子子子子子子子子子子子」の逸話は、『宇治拾遺物語』第三巻の十七「小野篁 広才の事」に記されています。内容をものすごく簡単にしたものを用意しました。
- 嵯峨天皇の時代、宮殿に「無悪善」と書かれた、謎の札が立てられました。
- 天皇は小野篁にその札を読むよう命じます。
- 最初、篁(たかむら)は嫌がったのですが、天皇の命令で仕方なく解釈を述べることに。
- 篁の解釈:「無悪善」とは、「さが(悪=性)無くて善からん」と読み、これは遠回しに天皇を呪っている言葉(嵯峨なくていい)だと説明します。
- すると天皇は「お前が書いたんだろう」と篁を疑いました。
- 篁は「そうやって疑われるのが嫌だから言いたくなかったんですよ」とすかさず否定。
- しかし天皇は「こんな文章をスラスラ読めるのは書いた本人だけだろう。それともお前は、何でも読めるというのか?」と、篁の読解力を試すため、「子」の文字を12回書いて読ませることにしました。
- すると篁は即座に「ねこのこのこねこ、ししのこのこじし」と読み上げたではありませんか。
- 天皇はニヤリと微笑み、篁を咎めませんでしたとさ。
※話を分かりやすくするために、かなり意訳しています。
原文や現代語訳は、以下のサイトで読むことができます。短いので是非とも原文に触れてみてください!
さて、何やら親し気な嵯峨天皇と小野篁ですが、この二人ってどんな関係だったか気になりませんか? 時代背景を踏まえつつ、少し深堀りしてみましょう。
3. 小野篁と嵯峨天皇の時代
3.1 逸話の時期
残念ながら、「ねこのこねこ ししのここじし」のエピソードが具体的に何年に起こったかは正確わかりません。
ただ、嵯峨天皇の治世中に起こったとされていることから(原文に「嵯峨帝の御時に」とある)、嵯峨天皇の在位期間である809年から823年のことだと考えられます。
以下に、カンタンな年表を用意しました。
3.2 主な出来事と時代背景
主な出来事
小野篁(802年-852年)と嵯峨天皇(786年-842年)が生きた時代は、平安時代初期にあたります。
この平安初期という時代は、天皇が実権を持ち、積極的に政治改革を行っていました。特に嵯峨天皇は熱心で、815年に公卿勅旨(能力主義的な人材登用を目指したもの)を発布しています。
また、学問や芸術が重視される時代でもありました。
その一例として、弓馬ばかりしていた若い頃の小野篁に、嵯峨天皇が勉強を促したというエピソードが残っています。篁はそれに応え、18歳から本格的に学問を始めてわずか3年でキャリアコースの登竜門である試験に合格したようですね。
イメージを膨らませたかったので、AIに作ってもらいました。朝廷で手伝いをする20代の小野篁。(ちなみにトップ画像もAIに作ってもらっています)
3.3 オタク的豆知識
小野篁の逸話や平安時代の歴史は、現代の創作作品にも影響を与えています。ちょっとしたオタク的豆知識をご紹介しましょう。(いや、させてください!)
- 「ねこのここねこ ししのここじし」の逸話は、人気漫画・アニメ「鬼灯の冷徹」で取り上げられています。
- 小野篁の詠んだ和歌は、競技かるたを題材にした漫画・アニメ「ちはやふる」にも登場します。「わたの原 八十島かけて こぎ出でぬと 人には告げよ あまのつり舟」(小倉百人一首より)
- 858年に摂関政治の礎を築いた藤原良房(よしふさ)は、天神様として知られる菅原道真(845-903)と共に、歴史漫画「応天の門」の主要人物として描かれています。
- 藤原氏の摂政政治は、NHK大河ドラマ「光る君へ」の主人公である藤原道長(966年-1027年)の時代へと続きます。
このように、1000年以上前の歴史や文学が、現代の創作作品の中で生き続けているのには胸が熱くなりますね。
4. 小野篁の冥界伝説
さて、小野篁にはもう一つ、不思議な逸話があります。
それはなんと、昼は朝廷で働き、夜は冥界で閻魔大王の補佐をしていたという不思議な二重生活の物語で、『今昔物語集』に収録されています。
4.1 冥界往来の物語
以下のような内容です。
- 若き日の篁(たかむら)が、宰相の藤原良相(よしみ)に助けられる。
- 数年後、良相が病死し、冥界へ連れて行かれる。
- 閻魔王の宮殿で裁きを受ける良相が、そこで篁と出会う。
- 篁は閻魔王に良相の善行を説明し、罪の免除を願い出る。
- 閻魔王が許可し、良相が蘇生する。
- 後日、良相が篁に冥界での出来事を確認。篁は恩返しだったと明かし、秘密にするよう頼む。
- しかし、この話は自然と広まり、人々は篁を閻魔王の臣下として恐れ慎むようになる。
この物語は、小野篁の神秘的な一面を表すとともに、恩義を忘れない彼の誠実さも描いていますね。
原文と現代語訳はこちらのウェブサイトが分かりやすかったので紹介させていただきます。
小野篁情けによりて西三条大臣を助ける事|瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
4.2 六道珍皇寺と「冥土通いの井戸」
さらに興味深いことに、この伝説の舞台となった六道珍皇寺は実際に存在し、今でも参拝することができるそうです。寺には「冥土通いの井戸」が残されており、篁の冥界通いの伝説を今に伝えています。
詳しくは六道珍皇寺 | 冥界への入口!冥土通い&黄泉がえりの井戸 – ふらふら京都散歩をご覧ください。実際の写真や詳細な情報、さらには他の逸話までもが掲載されていて面白いですよ!
まとめ
- 「子子子子子子子子子子子子」は「ねこのここねこ ししのここじし」と読む。
- 助詞「の」は省略されている
- 小野篁は、平安時代初期に朝廷で活躍した多才な人物で、不思議な逸話がある。
ねこのここじし!
混ざってる混ざってる!
いかがでしたか?
この平安時代の言葉遊びは、日本語の奥深さを今に伝えるとともに、小野篁の卓越した才能を象徴的に表現したものでもあります。1000年以上経った今でも、私たちの心を惹きつける不思議な魅力を持った人ですね。
小野篁の言葉遊びや、平安時代の謎めいた伝説に触れることで、私たちが忘れがちな歴史の面白さが少しでも伝われば幸いです。もし『子子子子子子子子子子子子』の読み方や他に気になる平安時代のエピソードがあれば、ぜひコメント欄であなたの考えや疑問を聞かせてください!
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